第十夜
そこには建物があったが、戦争の大空襲で焼けはてた。
第十夜
夢が破れて山河があった、かつての強者は弱者と成り果てた。満月までとはいかぬまでも、光り輝く月が夜空に浮かんでいる。それが照らすのは、夜と言う名前の虚栄。そこには建物があったが、戦争の大空襲で焼けはてた。B29やグラマンの戦闘機が昼と夜とたがわずに大雨のような爆弾を降らし、あたりは火の海となった。またその五十年後には大震災にて、新たに建てられた家屋も朽ちた。次の世紀がやってきて、人々はいそいそと再び労働と退屈に明け暮れる。国の形は違えども、人間の営みに違いはない。また夜の暗みに濃淡の差はあれども、月の明るさには違いはない。叫び声が聞こえるのは、誰のもの?日本家屋の一つから、その女のギャーという声が聞こえる。その家は焼け野原の後に、ある豪商が買い取った家だ。畑とあわせて当事のお金で一反が三千円だった。それから高度成長期が過ぎ去り、一時は震災や火事で周辺の建物は崩れ落ちた。だがその畑と日本家屋だけは残った。城下町というのではないが、古くは神明天皇の頃からある北攝地方の土地だ。京都と大阪を結ぶ地域は交易に栄え、江戸に中心が移ってからでもそれなりに振るっていた。その豪商は岐阜の庄屋の出身で、一時は東京に出たが関東大震災にあって、居場所を関西に移した。戦争の後、ちょっとした反物の取引で得た利益によりその場所を買い取った。一族は栄えたが、その豪商が死ぬ直前に事件は起きた。その女は、豪商の障害を持った長男の二人目の娘だ。つまり豪商の孫娘であり、障害を持った男を父に持つ二十歳そこらの女性だった。豪商は、障害のある長男ではなく次男に家を継がせることにしたが、そのため長男の嫁は「話しが違う。」と怒った。そもそも彼女が嫁いできたのも「ワシがいなくなったら、その遺産は長男のものになる。」と豪商に説得されたからだった。彼女とて岐阜の名家の出身で、嫁いでから三人娘を産んだが男の子は生まれなかった。つまりはそれが豪商の気を変えさせたのだ。次男には三人の息子がいたのだから、当然のこととして跡継ぎは障害のある長男にはならなかった。「仕方のないこと。」と病床においても強気な豪商は、嫁をなだめた。そして「代わりに、お前の娘に次男の息子の一人を養子としてはどうだ。」と言った。最初、嫁は意味がわからなかったが、つまりは血の濃さから結婚することはできずとも養子として同じ籍に入ることができる。さすればやがては遺産は再び彼女たちの元に返ってくるではないか。嫁にはなぜそんなまどろっこしいことをするのかよく分からなかった。そもそも初めから私たちに遺産を分けてくれたらよいではないか。しかし豪商によると「土地は分割すると利益を失う。」つまりは共同管理してこそ、会社・一族として繁栄することができるというのである。あとは運と意思次第というわけだ。嫁は試しにその話を次女にしてみることにした。長女はすでに結婚していたし、三女も器量がよく相手がいたからだ。「なんであんな人と。」というのも無理はなく、相手の男は不細工で学歴もあまりなかった。しかも従兄弟として小さいころからいじめていた過去があるのだから、心情的にもおかしくなってしまう。「無理に決まってるやん。」という彼女を説得することが嫁には到底できなかったが、病床の豪商はその次女を呼び出した。「おじいちゃん。」恐る恐る次女は障子を開ける。祖父とはいえ、権威と力にあふれた一族の長である。彼女も小さい頃から、祖父を恐れてきたのだ。「どうしてもダメか。」と豪商は言う。すべてはお前にかかっている。一族の運命はお前次第なのだ、と。「そんな、あたしの幸せはどうなるん。」お前の幸せは当然一族の成功の上に成り立つんだ。と半ば強制的に言う病床の豪商に向かい、数時間後にギャーっと叫び声をあげて次女は首を絞めにかかった。寸前で孫娘により殺されるところだった豪商は、すんでのところで月の光に救われる。その晩は月の光が庭を照らし、そこを障害を持った長男が通りかかった。普段はわけのわからぬことをつぶやきながら野良仕事だけをしている男。彼が庭先から見たのは、娘が自分の父に襲い掛かる影だった。軒先から駆け寄った男は、襖を開けると次女を押さえこんだ。すんでのところで、近親者による殺しは起きなかった。後に豪商が亡くなってから、次女はよそ者と結婚してしまった。月の光は永遠とは言わずとも、次第次第に強くなりまた弱くなる。それを繰り返しながら、また一族の反映と衰退を看取っているようだ。




