指標と感想の効能
指標と感想の効能
作品を発表すれば、評価されたい。評価されれば感想が聞きたいと言うのは当たり前の反応。
どんなに頑張っても先が見えないのでは迷ってしまう。現在の立ち位置さえわからないのでは、意欲は減衰するものだと思います。
そこで感想を欲しがる。点数ではどこがどう悪いのか分かりませんからね。具体的にどう思っているかが欲しくなる。
そこで感想を受け付けると玉石混交の意見がドバーッとくる。
やっと生の意見に触れられるんだ!と期待をしたら、マイナスの意見が来て物書きが発狂して潰れる。この時に期待しているのは自己肯定(自分のベクトルを教示)してくれる感想であって、
批判のみの感想は想定していないですから。
砂漠でオアシス見つけて助かると思ったら、蜃気楼。希望を見つけた後の絶望は計り知れません。
それで、評価に戻ると、懐疑的になる。やがて、自分が信じられなくて辞める。というパターンが多いんじゃないかと。評価に戻らなくて感想から直接終わるパターンもあります。
ここで重要なのは作者の状態。
物書きが迷い助けを求めてるのに袋叩きにすると、折れます。
物書きが元気な時はそんなのへいちゃらだったりします。
もっと自分のために感想よこせ!とか気炎を上げているような物書きは後者に分類されます。
では、読者はどうしたら?状況に応じて物書きをケアした方がいいの?という問いには普通に感想を送ってあげることを提案します。優しく優しくするのもいいのですが、ネガティブになっている物書きは優しさすら嘘に思えてしまうこともありますので。普通に接して、いつでも執筆していいんだよ。というスタンスを崩さずに気長に待ったほうがいいかと。いつか、作者が感想欄を見て復活するかもしれません。ぽつぽつと感想が付いてるのを見ると、すまん、ありがとう、頑張って書くわ。となる人もいます。
また、的確に褒めてあげるのもいいですね。ネガティブになった物書きは具体的な命綱が欲しい。助かると思える感想があれば、それを伝って復活する可能性があります。みんな認めてほしいのです。
非難、罵倒の類は物書きを潰しますが、良い感想、的確な感想は未来を創ると思っています。物書き、読者間の感想欄での交流はお互いを認め合い、高め合い、かつ、親愛の情を湧き起こす。そうして、信頼する関係が出来上がるのではないかと。
物書き、読者間の絆ができると物書きは信頼する読者の意見のランクが上がります。酷いこと書かれたけど、信頼する読者さんの言うことはこうだから、別に気にしなくていいよね。と耐性ができるという変化もありますね。
いい面、悪い面、感想欄では一面しか見えない人もいますが、人です。いろんな面があることを知ったうえで、認めてやり、提案したり、空想したり、楽しい時間を共有する。良い経験が物書き、読者という人を育てていきます。
時に傷つくかもしれません。
が、それはすべてではありません。
戦乱の時代を生き抜いた大人から見れば、よちよち歩きで危なっかしいかもしれませんが、やがて起き上がって自分で歩いていきます。
あなたがいなくなった後も彼らは歩いていく。
その時、あなたは彼らの手助けになれますか?
彼らが成長することを望むならば、万難を排すのでは無く、それを糧と出きる、強い彼らを作る
、その土壌を作ることこそが今大人がするべきなんじゃないかと。
一時的な甘やかしは容易いですが、長期的には損失です。見守る、手出しをしないという選択肢を選ぶことも必要だと思う次第です。
以上。
ということで、
物書きは読者と交流するのも成長の機会だよ?作品だけじゃなく、物書きがつくる世界すべてが読者の感じるものだからね。人と交わった方がいいよ。
読者は作者に感想を送ることで物書きと交流し、その世界ごと楽しむって気分でどうぞ。作品数が少ない方には褒め多めで(無理には褒めないで。だいたい物書きは嘘に敏感)。
ってことでした。
物書きが書いたら、意図を読み取っていい感想を返すぜ。でも、もっとこういう風のがいいよね~って気持ちは伝えてくれると嬉しい。
あと、物書き、読者とも押し付けはダメ。それだけで拒否反応が出る人もいるからね。
拒否反応が出ると、作者、読者の精神が不健康に。健康でないときには受け止める方は傷つきやすく、伝える方は攻撃しやすくなる。拒否反応かも……と思ったら気分転換。紅茶飲んで、お風呂に入って、それでも抑えきれなければ、寝よう。次の日になったら小さな問題だと思うかもしれない。だったら、言葉にしなくて正解。落ち着いてもなお伝えたい、伝えないと私は後悔すると思ったら書こう。それはあなたにとって重要な問題と判断されたわけだからね。もし間違ったら謝ればいい。許してくれないかもしれないけれど、あなたは謝った。という事実が残る。そのことを受け入れてくれるかは事の大小や相手の度量によって変わるけれど、子供じみた、意味の無いプライドで気持ちを捻じ曲げたら、そのことをずっと後悔すると思う。
あなたの大切な人と喧嘩して、次の日にその人が亡くなっていたら、気持ちが自分を壊すから。
ありがとう、ごめんなさいっていうのは自分のためでもあるのよ?
(↑目がうつろになるように改行しないで書いてます)
……暗黒面に引きずられてる。後で調整すると思います。
かなり逸れました。
言いたいことをまとめると、「物書き、読者で、一つのコミュニティ」「相手のことも考えて」、「自分の気持ちを大切にね」
でした。
メモ
優しく優しくのくだり、「優しさ」の仮面を被っていることを見破られない人なら大丈夫かと思います。が、そこまで書ける人はほとんどいないかと。
玉石混交は物書きもそうですね。読者の視点だと、プロも初めて書いた人も同列になっているのがなんともマズイ。でも、相手によって使い分けるのは難しいから、良い所を褒める、悪いところは相手の納得するように諭す。っていう当たり前の子育てが必要なのかなぁ。と。
褒めて伸ばすのはいいですが、ネットには叱る親がいない。躾もない。だったら、先輩が良い方向に導く必要がある。いつだって先達を模範にするのですから。
「必要なときだけ感想をくれ!あとは籠もるからするな!」という意見を見ましたが、自分の世界を作りたいなら、自立して自分の城を築けと。要は独立しろ。このニー○と思ってしまった。……個人の感想です(爆)。
信頼を築かなかった人が一方的に忠告してくれ!って言っても周りの反応は冷たいと思います。そもそも信頼してない人から忠告されてもその言葉を信じられないと思いました。
信者の功罪は置いてます。
全然以上じゃなかったorz