表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
99/162

96. 叫声

「……」


 やかましく入口の鈴が鳴って、仏頂面の手塩が店内に入ってきた。


「あ、こっちです」


 手を挙げて呼びかける理里に、手塩はあからさまな不機嫌で応えた。


「何の用ですか。この私に」


 しかし歩み寄って来た手塩は、理里たちの座る喫煙席のようすを見て、少し目を見開いた。


「……どういう状況ですか」


 ふてくされた珠飛亜が椅子の隅でいじけている。その向かいでは、やけに眼の鋭い四十前後の男が煙草をふかしている。そして理里は何か思い詰めた顔つきで、手塩を見つめている。彼からすれば異様な状況であろう。


 が、その説明は一旦置いておいて、理里は手塩にそのまま呼びかけた。


「今日は、先輩に聞きたいことがあって呼んだんです」

「ほう?」


 眼鏡を掛け直す手塩に、紫堂が横から問いかけた。


「単刀直入に聞こう。お前、俺の娘の居場所を知ってるのか?」

「……」


 手塩は答えない。この四十路の男が何者かはかりかねている。


「この人は、折邑紫苑さんのお父さんです。娘さんの記憶を取り戻されて、その行方を探されています」

「それで? なぜそこで私が駆り出される」

「とぼけないでください、貴方は知っているはずだ。折邑さんがどこに行ったのか」

「……君は、この男に全て明かすつもりか?」


 圧。


 手塩という高い鉄塔、その頂上から見下ろす冷ややかな目が、理里を威圧する。



 だが、目は、逸らさない。



「……!」


 理里の大きな眼が手塩を睨み返し、二人の視線が火花を散らす。それが二十秒に達しようかというところで、ようやく手塩が目を逸らした。


「……ふむ、いいでしょう。君の推測を述べてみるがいい」

「!?」


 理里は半ば拍子抜けした。あの手塩が、こうも簡単に首を縦に振るとは。


「どうしました? 話すことが無いなら私は帰りますが」

「いいや、語らせてもらう」


 理里は席を立ち、自分より頭半分背の高い手塩に詰め寄った。


「折邑紫苑は、英雄として覚醒した。あの『鎧』が、彼女の正体だ」


「……」


 肯定も否定もせず、手塩は立っている。山のように、そこにそびえている。


「紫堂さんには全て話した。柚葉市凍結事件のこと、俺たちの正体、そして英雄の存在。あの時暴走した『鎧』の英雄の中身こそ、彼女に間違いない」

「その心は?」


 問うてきた手塩に、順を追って理里は整理する。


「ここ最近のできごとを、少し考察してみれば分かる。

 まず起きたのは、柚葉市の凍結。その凍結事件は、おそらくオリンポスの神々によって『無かった』ことにされた。人々の記憶から街の状態に及ぶまで、全て。そして同じように彼女の存在も『無かった』ことになっている。人の手の及ばない規模でな。これもおそらく、神々によるものだとみて間違いない。

 では、この二つの『喪失』はなぜ起きたのか? 前者は簡単だ、神々が事件を隠ぺいしようとしたんだ。では後者は? 一般人の少女を、神々が消す理由が無い。でも、彼女が()()()()()()()()()()話は別だ」

「……」


 手塩は反応が無い。理里は続ける。


「ここにいる紫堂さんに聞いた。彼女のあの髪色は、生まれつきだそうだ。この特徴、どこかで聞いたことがないか?

 ……そう。異能力者は、特殊な色の髪をもって生まれる場合が多いんだ。

 彼女はあの凍結事件で、異能力者として……いや、英雄として覚醒した。そして同じように、あの事件で『覚醒した』と考えられる英雄がいる。……あんた言ってたよな。あの『鎧』は、いずれ目覚めるといわれていた星座の英雄だって。おそらく、彼女を英雄として成熟させるため、あの赤い槍の女は彼女を回収した。そして彼女が消えたことに整合性をもたせるため、神々が世界を改変した。

 折邑紫苑は、すでに消えていたんだ。五日前、街が凍ったあの日の時点で」


「……ただの蜥蜴にしては見事な推測能力だ」


 手塩は微動だにしないまま、口だけを動かして理里を称賛した。


「ええ、その通りです。君の推測はおおむね正しい」

「おいお前……何を当然みたいな口調で言ってる?」


 ここで紫堂が、灰皿に煙草の灰を落として立ち上がる。


「俺は、お前らの言ってることはよく分からん。神だの怪物だの簡単には信じられん。だが、おまえらがうちの娘を、親である俺たちに無断で連れ去った。あげく、大切な娘の記憶を俺たち夫婦から消したんだ。何か言うことがあるんじゃないのか」

「……と、いいますと?」

「とぼけるな!」


 ガンッ、と紫堂はグラスをテーブルに叩きつけた。


「詫びろと言ってるんだよ。今俺が言ったことをな」

「なぜ?」

「お前っ……!」


 血走った目で紫堂が手塩を睨む。今にも相手に殴りかかりそうな彼を、理里は胃がキリキリする思いで見ている。


 手塩は目を伏せて続ける。


「なぜ、あなたに事情を説明する必要がある? それではわざわざ真実を隠した意味がない。これは、神々からあなたがたへの『ご配慮』だというのに」

「配慮、だと?」


 疑わし気な紫堂に手塩はうなずいた。


「ええ。突然ご息女が消えてしまったら、両親であるあなたがたは誰よりも混乱し、今のように探そうとするはずだ。ご息女はどこよりも安全な天界で訓練を受けているというのに。何も心配いらない状況なのですよ。だが、一般人であるあなたがた夫婦に事情を説明するわけにはいかない……余計な心配を起こさないよう、神々があなたがたの記憶を封印したのです」

「ガキが……ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ!」


 紫堂が手塩の胸倉を掴む。


「お情けなんざいらねえんだよ! ちゃんと事情を説明してくれりゃよかったんだ! そうすれば俺達も受け入れられたかもしれない……なぜこんな強引な真似に出た!

 お前、うちの家内がどれだけ娘を大事にしてたか知ってるのか!? あいつは俺なんかと違ってた……毎日、寝る間も惜しんで娘の看病に行ってたんだ。その家内から、お前らは最も大切なものを奪ったんだ! 罪悪感ってものはないのか!」

「何が、『罪』だというのだ?」


 無。

 何の感情もない顔で、素朴な疑問を浮かべるように、手塩は首を傾げた。


「なっ……!?」

「真実をあなたがたに伝えれば、神々の存在を世間に公表される恐れがある。そうなればもう一度世界の改変を行わなくてはならない。それは『余計な手間』だ。神々の時間が奪われる、最も不敬にして許されざる損失だ。そのようなリスクを踏んでまで、なぜ我々が事情を説明しに出向かなくてはならない?」

「それを俺たちが公表すると思っているのか? 筋を通せと言ってるんだ」

「わかりません、公表しないとは誰にも言い切れない。そのリスクがある限り、我々は何も語らない」

「……ハ、だとしたら遅かったな。そこの妖怪の兄ちゃんが、全部説明してくれたよ」


 紫堂は理里を指さして続ける。


「俺は今でも、あんたがたのことを公表するつもりはない。だが、ひとつだけ言わせてもらいたい。娘を返せ」

「それはできない」

「なぜだ!」


 紫堂が鬼の形相を寄せる。しかし手塩は微動だにせず、淡々と語った。


「彼女はもともと、()()()()の人間だからだ。我々と志を一にし、魔神を滅ぼすためにこの世界に再臨した」

「でも俺の娘だ!」

()()()()の話だ。あなたの娘になる前から、彼女は我々の同胞だ」


 手塩がそう言うと、紫堂はぴたりと動きを止めた。追い打ちをかけるように、手塩は続ける。


「あなたがた夫婦は彼女……いや"彼"によって、この世に再誕するために利用された存在にすぎない。彼が現世に顕現するための依り代となる()()()()()()()。それだけだ」

「……本気で言ってるのか、それは」

「無論」

「!」


 紫堂が、手塩の頬を殴った。


「っ!」

「もう一度言ってみろ。腹を痛めて生んだ母親の前でその言葉、もう一度言ってみろよ。おまえを絞め殺してやる」

「紫堂さん、落ち着いてくださいっ」

「お客さん、騒ぐなら外でやってくれないかい!」


 理里は紫堂を羽交い絞めにして制止する。七十前の老婆がカウンターから声を張り上げる。それでも紫堂はもう一発、目の前の男を殴ろうと抵抗する。

 怒れる父を冷ややかに見つめ、手塩は告げた。


「あなたの娘は生まれる前から、神々の所有物だった。あなたがたは運が悪かったのです。せめてもう一人子どもをつくっておけば、まだ救われたものを……」

「この野郎!

 命を…………命を何だと思ってるんだアァ――――ッ!!!!!!」


 きびすを返した手塩は答えなかった。

 さびれた喫茶店の木壁に、枯れた男の叫びがこだましていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ