87. 神卓
「はーっははははははは! いや、お見事! やはりオリンポスの神々は最高だ!!」
この世界、あるいはここではないどこかに存在する、天を衝く霊峰。その山頂に位置する豪奢な宮殿。中央に位置する『円卓の間』で、帽子を被った優男が騒いでいた。
彼は円卓をぐるりと囲む椅子のうち、『Ⅹ』のギリシャ数字が書かれたものに座している。その他の椅子にも番号が振られており、その数合計十二脚。
これなるは至高なる神々の円卓。卓を囲む者は全て対等、しかして序列は忘れるべからず、という主旨のもとに造られた、円卓ならざりし円卓である。
「これ、騒ぐでないヘルメス……父上の前であるぞ」
『Ⅵ』の男神が『Ⅹ』の神をたしなめる。彼は筋骨隆々で、他の神よりも背が高い。軍人のような鎧とマントで着飾っている。
「そうですよ、ヘルメス。大いなる神王の御前で、無礼です」
たおやかな雰囲気の『Ⅷ』の女神が、柔らかな声で彼に同調する。
しかしヘルメスは興奮が抑えきれないようで、
「アレス兄上はこれを見ても昂らないのですか!? さては図体ばかりデカい玉無しなのですか? デーメテール叔母上も、自らの権能をもっと誇ってください! おお、麗しきは豊穣の女神……あーっ、今すぐ帰ってあなたを讃える歌を書きたいッ!」
帽子を円卓にたたきつけ、くせっ毛の髪を掻きむしって頭を振る。
「あら。でしたらわたくしに書いてくださる? 美しさでいえば、この中で一番はわたくしでしょう」
『Ⅴ』の女神が席を立ち、形の良い胸を張ってヘルメスに呼びかける。
すると、『Ⅱ』と『Ⅲ』の女神が眉間に皺を寄せた。
「聞き捨てならないわね。このなかで最も美しいのは、神王の正妃たるわたくしです。そうでしょう、アテナ?」
「いいえ、それも承諾しかねますヘラ様。最も美しいのは、知識と戦の神たるこのアテナと決まっている」
「「……何ですって?」」
険悪な雰囲気の三女神に、『Ⅺ』の神が豪快に呼びかけた。
「おいおい貴様ら、またトロイア戦争を起こす気か? まあ、それならそれで儂も乗っかるが……」
「……勘弁してくれ。あのような不毛な賭けは、もう二度とごめんだ」
『Ⅸ』の神がそれを遮り、深々と溜め息をついた。
「いやはや、お三方ともお綺麗! それでいいんじゃありません? あ、末席の僕が言うのも恐縮ッスけどね!」
『Ⅻ』の神は壇上のぶどうをつまみ、盃を飲み干しつつ笑う。
「もう一度あのような戦争が起きたら、お兄様はどうなさいます?」
「さあな。だがその時は敵に回ってくれるなよ、アルテミス」
「さあ、それはどうだか」
『Ⅶ』の女神と『Ⅳ』の神は、われ関せずといったふうに微笑を浮かべていた。
混沌の様相を呈した円卓。部屋の入口を守る衛兵が、中の騒がしさに冷や汗をかきはじめた時……
「……静まれ」
『Ⅰ』の神が声を発し、円卓は水を打ったように静かになった。
「豊穣をつかさどるデーメテール姉上、竈の女神ヘスティア姉上、冥府の総覧者ハデス兄上、忘却の女神レテ、そして全能たる我……五柱の権能をもってすれば、この程度のことは造作も無い。本来であれば我のみで可能な些事であったが、暇を持て余す神々に使命を与えたのである。頭を垂れて奉謝せよ、そして崇敬せよ」
「神聖にして不可侵、勇猛にして果敢、絶対至上の神王よ。我らの身に有り余るご恩寵、恐悦至極に存じます」
『Ⅷ』のデーメテールが、椅子を降りてひざまずいた。
「善い。着席せよ」
「は。我が卑賎なる謝辞を受け入れていただき感謝いたします、王よ」
そう、長々しい感謝を述べて、デーメテールは着席した。
それを一瞥し、『Ⅰ』の神は円卓に向き直る。
「さて。愚鈍にして傲岸、不遜なる背信者の処刑も完了し、事態は完全に収束した。しかしながら今回の一件をふまえ、我にはひとつのわだかまりが生まれている。それが何か、察せられる者は居るか?」
「……」
沈黙。あれほど饒舌だったヘルメスも、一言として漏らさない。
「……恐れながら、偉大にして超然、聡明にして俊英、永劫不壊の神王に申し奉ります」
しばらくして、『Ⅲ』の理知的な女神……アテナが口を開く。
「寛大、高潔、寛容なるその御心によって、神王陛下は壊滅した人の街に慈悲をかけられました。しかしながら、忌まわしくも醜い怪物によって引き起こされた災害の事後処理を、神が担うなど言語道断。今後はこのような惨事に至らぬよう、英雄側での予防が肝要かと存じます」
「左様。見事なる洞察である、我が娘アテナよ。其方の神殿には後に、ネクタル2樽を送らせる」
「有難き幸せに存じます、神王陛下」
アテナは深々とお辞儀をした。
「今アテナが申した通り、このような屈辱は二度とあってはならぬ。よって職人ダイダロスに、このような事態を招かぬ宝具の開発を命じる。ヘルメスはこの会議後直ちに出発し、この王命を彼の者に伝えよ」
「承りました、陛下」
ヘルメスも、帽子を胸に当てて一礼する。その様子は、十字架に祈りを捧げる敬虔な神父のようであった。
「さて、次の議題だが……覚醒した"例の者"はどうなった?」
「は、それについては私から」
Ⅳの神が立ち上がる。彼はひときわ輝く金髪を柔らかい風に流し、そのよく通る声で報告する。
「あの男は、すでにルピオネが回収しました。大いなる地母神ガイア、そしてその意思を預かったこの私が、責任を持って教育いたします」
「善い。全てそなたに一任しよう、アポロン」
「は。ありがたき幸せ」
アポロンはうやうやしく頭を下げた。その隣では、銀髪で小柄なアルテミスが物憂げな表情を浮かべていた。
太陽神が着席したのを認め、『Ⅰ』の神は王座のひじ掛けを槌で二度叩いた。コンコン、と固い音が円卓に響く。
「では、これにて本日の会議は閉幕である。十二神においてはこの非常時に気を緩めぬよう、脚下照顧の志でもって行動せよ」
「御意」
全員が一礼して1秒後、円卓にはひとりの神さえ坐していなかった。
がらんどうの会議場の窓辺では、白いカラスがきょろきょろと中を見回していた。しかしそれもしばらくして興味を失ったのか、悠久の蒼空に羽を広げ、飛び去っていった。