74. Beyond the Flame(コキュートスの炎を超えて)
「よし、邪魔者は消え去った!」
籠愛は興奮していた。ひとつ、またひとつと自分を阻む者が消えていく。そのかわりに自分の計画が完遂に近づいていく。喜ばしい。
「あとは貴様が暴走するだけだ! その有り余る炎を現世に解放しろォ!」
なおも苦しむキマイラに、籠愛は狂気の笑みを向ける。
「殺せ……わたしを殺してみろよ。怖いのだろう? ならばその炎で焼き尽くしてみろ。わたしはこんなにも小さい……貴様には簡単なことだ!」
煽るような口調で呼びかける。が、キマイラは否定するようにかぶりを振る。後ずさりはしているが、それ以上のことはしてこない。
(スフィンクスの呼びかけが効いたのか?)
籠愛の顔が険しくなる。
「……ふん、そうか。ならば、わたしが、貴様を殺すだけだ」
虫でも見るようにキマイラを見下ろし、告げる。
『……GuU,GAAAAAAA!!!!!!!!』
途端にキマイラが咆える。籠愛の言葉を理解したのか。
意味は解っていまい。しかし彼の纏った殺気が尋常でないことは獣にも嗅ぎ取れた。
『……GOOOOOOOOOOOAAAHHHHHHHHHH!!!!!!!!!!』
咆哮と同時に、両目がかつてなく大きく燃えあがる。だんだんとその巨躯が膨張し、地獄の窯のように大きく燃え盛っていく。
「ハッハハハハハ! そうだ! それだ! もっと燃えろ! 燃えて燃えて、この世界を凍らせ尽くしてしまえ!!!! あっははははははははははは!!!!!」
籠愛の興奮も最高潮に達する。もう少し、あと少しでこの世界を滅ぼせる。忌まわしき人類社会に幕を下ろせる。ほかでもない自分の手で。
「ハッハハハハハ! これほどの『偉業』を成し遂げた者もほかにはいるまい! 人類の邪悪さを知り、自らの手で人類の歴史に幕を引くのだ!! これほどの偉業が、功績が他にあろうか!!」
これほどの高揚はなかった。人の中の悪を断つのでなく、人そのものを『悪』と断定して滅亡させる……あのテセウスでもこのような偉勲は成し遂げられないだろう。
「わたしは未曽有の英雄になるのだ! 大英雄ヘラクレスや、英雄王ペルセウスさえも超える英雄に! わたしは、唯一無二の存在となるのだ!!」
「――いいえ。そんなものは、英雄ではない」
「……はっはは……は?」
籠愛の笑い声が、止まる。どこからか聞こえてきた、男の声に。
「人類の邪悪さを知る? 人類を滅ぼすことが偉業だと? ……勘違いもはなはだしい。それはただの殺人者だ。英雄とは程遠い下衆以下の存在だ」
「誰だ……いや、この声は……!」
知っている。籠愛は知っている。その低く通る声の持ち主を彼は知っている。
「どこだ、どこにいる!」
混乱し、籠愛は辺りを激しく見回す。上か? 下か? 右か? 左か?
が、そのどこにも声の主は居ない。それもそのはず、
声は、前から聞こえていたのだから。
「……!?」
キマイラのたてがみをかき分け、豪雪の空にぼふうとその『影』が躍り出る。雪や暴風をものともせず、その鳶色の翼が雄々しく広がる。
耳まで裂けた口、猛禽のように黄色い瞳、鳥の脚。そこまで変貌していても、籠愛はその声の主を判別できた。
その眼光のするどさは、まぎれもなく彼のものだったから。
「テセウス…………!」
「そこまで堕ちたか、ヒッポノオス!」
猛禽の瞳が、ぎろりと闇に堕した英雄を見下した。




