67. expansion
(……とは言ったけど、まだ早すぎるわよ!)
恵奈は麗華を抱えて空中を逃げる。
そう、まだ早い。戦闘に入るのは、せめて麗華を怪原家の希瑠にあずけてからでなくては。
麗華の体重は軽いが、人ひとりを抱えてあの籠愛とは戦えない。
(だけど気のせいかしら……あの男、少し速くなっているんじゃない?)
先程のように激昂することはなく、静かに追撃してくる籠愛。その飛行スピードは明らかに増している。何せ、恵奈が五割も力を出さないと降り切れないのだから。
冷静になったことで飛行の精度が上がったのか? と恵奈が考察していると、
右側。眼下の住宅の赤い屋根が、裂けた。
「……!?」
いや、斬れた、と言った方が的確か。巨大な金属どうしがぶつかったような音とともに、屋根が真っ二つに割れていた。
攻撃? どこから、誰から?
分かり切っている。だが、恵奈にはその『事実』が信じ難かった。
「籠愛が……!?」
有り得ない。だが、奴以外に考えられない。
彼が『空気の刃』を放ち、恵奈のすぐそばの家の屋根を破壊したのだ。屋根がはじけ飛ぶ寸前に恵奈の肌をはたいた疾風が、それを証明している。
だが、彼の能力の効果範囲は多く見積もって二、三メートルだったはず。八〇メートル近く離れている恵奈に攻撃が届くわけがない。
しかしそれは実際に起きた。信じがたいことだが、
「効果範囲が、拡張した!?」
その推測に恵奈はわれながら戸惑った。
ありえない。そんな話は聞いたことが無い。異能力の効果範囲は生まれて死ぬまで決まっているはずだ。
「っ!」
ブウン。再び『空気の刃』が恵奈の脇を通り過ぎる。今度は電線が切られて火花が散った。
(どういうことなの……!? とりあえず怪原家に戻って立て直さないと……!)
心を乱されつつも、恵奈は希瑠の待つ家に向かい飛翔する。
☆
「……どういうことだ……?」
恵奈を追撃する籠愛自身もこの現象に驚いていた。
もともと半径二メートルだった効果範囲が、今は五〇倍以上……半径一〇〇メートルほどの範囲の空気を掌握できている。
(気絶から目覚めて以降この調子だ……なぜ突然?
それに)
実を言うと、変化が起きたのはそれだけではない。恵奈が察していたとおり籠愛のスピードは向上している。
風が平時より強く吹く。いや、正確には風を吹かせるのに使う『意思の力』が少なくすんでいる。
"空気の支配者"は対象を空気に限定した念動力だ。強く念じることで、より速く、より強く空気を動かせる。その意思の強さがさほど強くなくとも以前より素速く飛行できる。
『空気の刃』を放った時は驚いた。あれは極細に収束した衝撃波なので、もともと効果範囲より遠く飛ばせたが……牽制のつもりがまさかあそこまで飛ぶとは。
「……凄いぞ」
己に力がみなぎっているのを感じる。
たとえばそう……今、エキドナが飛んでいるあたり(八〇メートルほど先か?)の空気も操れる。
「……もしや」
半信半疑、エキドナの周辺の空気に意識を集中させる――
吹き荒れよ。
ごう、と大気が渦巻いた。乱気流は恵奈の平衡を崩したが、惜しいところで抜け出される。そういえばあの女は未来視が可能だった。
「ふふ……だが、これならどうだ?」
ふたたび念じると、猟銃に撃たれたハトのように恵奈は墜落した。
当然だ。彼女の周りから空気を無くしてしまったのだ。
「くく、これは凄いぞ! もはや『空気の支配者』ではない!」
――大気。
籠愛の支配した空気の量は、そう呼ぶに相応しい。
「"空気の支配者"などとみみっちいことはもう言わなくていい!
"大気の支配者"! それが、進化したわたしの異能の名だ! ア――ッハッハッハッハッハッハ!!!!!!!!!!!」
豪雪舞う宙高く、空の英雄は哄笑する。