65. 惨悶伍燦鬼離
「絶景哉、絶景哉」
この国の名に聞こえた大泥棒の台詞に、そんなものがあったような。だが、籠愛が空中から見下ろす景色は、およそそれとは程遠い。
人も、建物も、全てが氷に覆われた柚葉市。そしてその中心で、何かを探し求めるように闊歩する、巨大な『青い炎』の獅子。それはまるでこの世の終焉、ともすれば彼が見た魔神の襲来にも匹敵するやも知れぬ地獄。
だが、彼はそれを『絶景』と称した。それは、今の彼には、この光景がそう見えていた……否、そうとしか見えなかったから。
「蒼炎以地涌紅蓮……」
それが、かの混沌の異能の名であったか。まさに、まさに大地に湧現した紅蓮地獄のようだ。このありさまは。
「……くはは。くっはは、くっははははははははははははは!!!!」
籠愛は嗤う。狂ったように、嗤う。
「破壊とは! 破滅とは! これほどまでに心地良いものか!! ああ、魔神の衝動も少しはおもんばかれよう……これほどまでに、爽快なものだったとはなぁ!!!!」
籠愛は嗤う。それが、己が直接もたらした破壊ではなかろうとも。
前世においてキマイラ =綺羅を殺した籠愛は、綺羅にとって最大の恐怖の対象である。その恐怖は能力を封印している綺羅の自制心をも上回る。
綺羅は籠愛に出会ったから暴走した。この現状を引き起こした張本人は籠愛だ。だが、今、彼はその事実を心地良く感じていた。自分を虐げた世界に、人間に、このような形で復讐できたことが。
「……だが、まだだ。まだ足りない」
そう、足りない。この街などあくまで序章に過ぎない。
キマイラがさらに暴走すれば、この国も、この星でさえ、総てを氷の下に幽閉することができるだろう。さらには、あの神々の国でさえ滅ぼすこともできるはずだ。それが籠愛の復讐だ。二度と自分のような悲劇を起こさせないために、人間を、世界を滅ぼす――そして、自分を悲惨な目に遭わせた世界に復讐するのだ。
「そのためには……そう」
キマイラの暴走を再び引き起こすにはどうすればいい? ――簡単だ、もう一度籠愛の姿を認識させればいい。
キマイラは彼を排除できていないことを察知しているはず。そして彼を探している。こちらから姿を現してやれば、あの大火力の炎で彼を狙うだろう。
彼を殺すまで、キマイラの暴走は止まらない。籠愛が逃げつづければ、キマイラはところかまわず『青い炎』を発し続けるだろう。そして、その通過した跡は残らず氷に包まれる。
(幸いにも、わたしは『青い炎』の攻略法を見つけている。私が精魂尽き果てない限り、キマイラの破壊はどこまでも広がっていく……まあ、私を仕留めたところで止まるとも思えんが)
キマイラは我を失っている。もはや籠愛を倒したとて止まらないだろう。
が、止まらなかったとしてもそれは籠愛の計画どおりだ。彼女には命尽きるまでこの世を破壊しつづけてもらおう。
「迎えに行くぞ、いたいけな子猫よ……私の望みを叶えておくれ」
キマイラのもとに急降下。ただ、視界に入るだけでいい。それだけで、さらなる『炎』は世界を呑む――
「……む?」
一直線、キマイラの目前に至りかけた籠愛の眼下を影が横切った。
その漆黒の翼は……籠愛が忘れようにも忘れがたき『あの女』のもの。
「……エキドナ……!」
途端、ブチ、ブチと血管が籠愛の額に浮き上がる。ぎりぎりと歯が鳴りはじめる。
自分を侮辱し、ペガサスに致命傷を与え、狡猾な策で空から叩き落とした『怪物の母』。彼女への怒りは、そう簡単に消えるものではなかった。
彼女は誰かをその腕に抱えている。ちらちらと見える生足、脱ぎかけのブラウス、雪風に揺れるピンク色の髪……
「麗華さん!? なぜそんな化け物と!」
考えかけ、籠愛はハッと気づく。そういえば、英雄と怪原家はいま協力している。恵奈もそれを知って、倒れていた麗華を救出したのだろう。
「……小癪な真似を……」
麗華の救出は籠愛にとってかなり不都合だ。
彼女の異能力は籠愛とあまりに相性が悪い。彼女を野放しにしておけば、籠愛の計画が頓挫するかもしれない。だからあのような不意打ちで彼女を無力化したというのに。
(……いや待て。なぜ私は、あの時麗華さんを殺さなかった……?)
そこで初めて、籠愛は己の非合理性に気が付いた。
邪魔だと分かっている麗華を、なぜ殺さなかった? あの時点で殺しておけば、恵奈に回収されることもなかっただろう。だのになぜ?
「うっ……」
にわかに頭痛が走る。なぜだろう。考えてはいけないことでも考えてしまったか?
「……いや、過ぎたことは忘れよう。いま殺せばいいだけの話だ」
頭を振り、痛みをはらい、空の英雄はさらに急降下する。
サブタイトルは『さんもんごさんのきり』と読みます。石川五右衛門があの名台詞を放った歌舞伎演目が、同じ読みで『楼門五三桐』と言うそうです。