64. 不可逆RE-BLAZE
「ど、どういうことだよ、それ……」
理里は取り乱す。『お前はもう用済みだ』と言われたも同然だ、当然のこと。
「もともとあなたは、今回の作戦に向いていない。何せもともと、尻尾が再生する以外には人より少し膂力があるだけの怪物……そしてその左眼は、誰かを『救う』には過激すぎる」
「うっ……」
理里は言葉に詰まった。
理里の左眼、"蛇媓眼"は、体力・精神力の大幅な消費を代償に、有機物を石化させる光を放つ。だがその能力は、今この状況において何の役にも立たない。理里の目的は、綺羅の暴走を『生きたまま』止めることだからだ。生きとし生けるものを石化させる邪眼は、誰かの生命を救うにはあまりに攻撃的。
加えて、理里はそこまで肉体の能力が高いわけでもない。綺羅の捜索であれば、飛行能力をもつ珠飛亜のほうが適任だ。理里や手塩が地面を歩いて探すより余程早く、もし『青い炎』が再び放たれても珠飛亜なら自力で復活できる。
「仕方ない、手塩先輩……俺を家まで送ってくれ。綺羅の捜索は珠飛亜に任せよう」
「いえ、それも不適当です」
「……?」
理里と珠飛亜は首を傾げた。
「どうして? わたしなら飛べるし、綺羅ちゃんがまた『青い炎』を発動しても復活できる。それならわたしが行った方がいいんじゃ」
「『飛行』と『解凍』。その二つは私にも可能です」
「「……!?」」
姉弟は驚愕する。
「あ、アンタの能力って、いったい……?」
「そこまでは明かせません。事態が収束すれば我々はまた敵同士なのですから。
ですがこれだけは明かしましょう。私は、『自分以外を解凍することができない』。これでお分かりですか」
「……!」
珠飛亜が察した。
「そっか……! もし仮に、手塩君がりーくんを連れて行って、わたしが綺羅ちゃんの捜索に出ると、『青い炎』が再発動された時にわたしと手塩くんは助かる。けど、手塩くんはりーくんを解凍できない……!」
その間に、理里が死んでしまうかも知れない。
実のところ、『青い炎』がもたらす凍結にはまだよくわかっていないところが多い。細胞全てを凍らせているのか、それとも表面を覆うのにとどまっているのか。
だが実際に肉体を冷凍した場合、水分の体積膨張によって細胞が破壊される可能性が大きい……つまり解凍しても無事では済んでいないはずだ。今のところそんな事例はないので、体表面を氷が覆った時点で『凍結』とみなされているのだろう。
「それに私は、綺羅さんの位置には目星がついている。我々は先程まで、彼女を討伐しようとしていたのですから。
そういうわけで、綺羅さんの捜索には私が行かせていただきたい。……ただ、私だけで速く見つけられるかは疑問です。理里君を送り届けたら、先輩にも協力していただきましょう」
「……わかった。……りーくん、行こ?」
少し、ぎこちない口調。珠飛亜は起き上がり、理里を促すが。
「……嫌だね、俺は」
理里は、珠飛亜の手を振り払った。
「……? どういうつもりです」
手塩が顔を歪める。黄色い眼が細くなる。
「論理的に考えれば、この組み合わせが最善のはず。なぜそれを拒否する」
「『論理的』ね……ハッ。堅物の生徒会長様には、絶対分からねえ理由だよ。俺はこの女とは組みたくない。この女に連れて帰られるくらいだったら、その辺で野垂れ死んだ方がマシだ」
「……理里君……?」
手塩はますます眉を寄せる。その向かい側では、珠飛亜が憂いを帯びた表情で肩をすくめている。
「うん……でも、仕方ないでしょ。わたしとりーくんが一緒に戻るのが安全なんだよ」
「知るか。俺はもうあんたの世話にはならない……あんたの面倒も、もう見ないんだよ」
理里は、珠飛亜を追い払うように右手を振る。その瞳は、ぎらぎらとした怒りに揺れている。
「……何があったのか知りませんが、今はそのような私情を挟んでいい場面ではありません。無駄な行動は控えていただきたい」
手塩が怒気を込めた声で諭す。
だが、理里の態度は変わらない。
「……うるせえ、俺は組まねえと言ったら組まねえんだよ。どうしてもその女と組ませたいってんなら、殺して死体を持って帰らせろよ。いいじゃないか、敵が一人減るぜ」
「そうですか、ではそうさせていただきます」
「えっ」
次の瞬間、理里の口から飛ぶ胃液。
「がはっ……」
手塩の拳が、理里の鳩尾にめりこんでいた。
「手塩くん!?」
珠飛亜が驚き、理里から手塩を引き剥がす。どさっと理里の身体が倒れる。
「りーくん、大丈夫!?」
慌てて珠飛亜は弟を助け起こすが、眼が開かない。
「ご安心を、気絶させただけです。……詮索はしません、時間の無駄ですので」
手塩はすでに、"鎧"の方へと歩き始めていた。投げた剣を拾うのだろう。
「……ありがとう」
「例を言われる筋合いはありませんよ。私は作戦を円滑に進めたいだけですので。
さあ、疾く去りなさい。私の能力については、企業秘密ですので」
背を向けた手塩の表情は見えない。だが、珠飛亜は深々と頭を下げた。
「……それじゃ手塩くん、そっちは任せたよ。わたしもすぐ行くから」
「ええ。先輩も、お気を付けて」
ばさり、翼を広げた珠飛亜は自らの巣へと飛び立った。最愛の弟をその腕に抱えて。
☆
(さて……この者の処理については、確か)
倒れた"鎧"の前に立った手塩は、耳の無線機からある回線に接続する。
「●●●●様。こちらテセウス、ご無沙汰しております。ええ、例の者がついに目覚めました。現在はすでに鎮静化しております。そこで、回収の方をお願いしたく……はい。はい。了解いたしました。では、宜しくお願い致します。失礼いたします」
ぷつり、無線が切れる。
(相変わらず不愛想なお方だ……だが、これで『彼』については心配ない。私も、自らの役割を果たさねば)
手塩は、先ほど"鎧"に向かって投げた黒剣を拾う。
「神剣"アリアドネ"、起動。血液情報検索、名称"Harpyia"……反映」
そう手塩が口にすると、彼の身体が『変化』しはじめた。
緑の鱗が生えた腕から肘、指先へと、茶色がかった羽毛が生えはじめる。また、腕の骨格そのものも、ばきばきと音を立てて伸びてゆく。
『変化』は腕だけではない。頬や耳にも同じく、鷲のような羽毛が生え、眼は鷹のごとく黄色く染まる。
緑の脚は黄色に変わり、細く長く伸び、足の指が三本に。尻からは扇型の尾羽が広がる。
「…………」
一〇秒とかからぬうちに、手塩の姿は二回りも大きく『変化』……いや、『変身』していた。
身の丈の倍はあろうかという一対の翼。コンパスのように細長く、しかし付け根は太い脚。隆々に発達した上半身……だが、背中や脇腹、頬にかけては鳶色の羽毛に覆われている。また、貌は硬質な普段の面影を失い、狂暴な牙がむき出している。
半人半鳥の獣・ハルピュイア――かつてアルゴナウタイやオデュッセウスの航海を阻んだ怪物に、その姿は酷似していた。
「ヒッポノオスからの連絡がまだ届かない……もう一悶着ありそうですが、なるたけ早く収束できるといいものだ。
"英雄"の底力。神々に、今こそ御覧ぜ――」
人面の猛禽……否、猛禽の姿をとった『人』。その双眸が、氷界に輝き――
その眼は、突如驚愕に見開かれる。
「ぁ…………!?」
言葉を失う。その母音、微かに一音しか発せないほどに。
身体が固まる。曇天に飛び立とうとした、その態勢のまま。
見上げた視線。その先に在った……いや、居たモノは、あまりに巨大であった。
つい先ほどまで、なぜその存在に気付かなかったのか。いや、確かにそれは、ほんの一瞬前までそこには無かったモノ。居なかった者。
であればそれは……突如として現れ、柚葉市の大地を踏み凍らせた。そう考えるしかあるまい。
獅子だ。いや、山羊だ。否、蛇だ。
否、否、否。それは、それら総てである。青い炎でできたそれは、獅子の前半身と山羊の後半身、蛇の尾、そして歪な形の翼を持っていた。
「……キマイラ……なのか……!?」
いいや、にしては巨大すぎる。全高百メートルを超える大きさは、もはや神話に語られた『彼女』をゆうに超えている。
其は、死によって新たな異能を獲得した混沌。ただ火を吐くだけの怪物が、その前世の最期の忌まわしき記憶を引き金に、新たな『願い』を帯びた魂の姿。
"暴れ狂う蒼炎の混沌"。
「――逃げてください、先輩!」
手塩が振り返ると同時、焔の前脚が彼の視界を覆いつぶした。