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星狩りのレプタイル ー邪眼の蜥蜴と夜空の英雄たちー  作者: 若槻未来
第4章「天馬騎士と氷の獅子」
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62. 熱死線



 柚葉市立病院。市内の例に漏れず、建物も設備も寝たきりの患者も、全てが氷の国の一部と化したその場所。

 北館、五○三号室。一様に氷に閉ざされた院内、その扉が在るはずの位置にだけ、不自然な『穴』が空いていた。

 いや、それが『穴』と呼べるかは怪しい。金属製の扉やコンクリートの壁、床は蝋のようにどろどろと溶けて、下階の病室に滴り落ちている。

 部屋の中は、もはや見るも無残。ベッドは炎上して原形がなく、そこに寝ていたであろう者の生命を維持していた機械も、今や液状化した鉄の塊に。

 有機物は燃え、無機物は融け。焦熱地獄の大窯にも似たその場所に、ひとりたたずむ女が居た。


「一足、遅かったか……まったく。天界の連中も、もっと早く連絡を寄越せばいいものを」


 ブン、と彼女が振るったのは紅い槍。メリハリのある肢体を覆うのもまた、同じ色をした密着性の高いスーツと鎧だ。


「平時ならばとんだ失態だが……幸い、今はこの非常時。人界への被害を気にする必要は無い……怪原家の一匹でも潰してくれれば、好都合」


 振るった槍が巻き起こした風で、炎は瞬時に消え去る。どろどろと波打つ鉄やセメントも冷却され、黒い岩のような塊となった。


「今は状況の把握が最優先。()()()()()()()()がどう動くのか、見物させてもらうとしよう」


 眼下の氷界を見据える女の首筋には、蜂……あるいは、(さそり)の針のような刺青がのぞいていた。





GOOOOOOOOOグオオオオオオオオオオOOOOOO(オオオオオオ)!!!!!!!!」


 天空(そら)に、響き渡る咆哮。

 白鳥のような翼を生やした、ライオンらしき生き物が、柚葉市の空に咆えている。

 らしき、というのは、それが明確にライオンとは違う要素をそなえているからだ。まず、その身体を宙に浮かせている白翼。続いて、サイズの差。通常、ライオンの体長はオスで一七〇~二五〇センチメートル、雌で一四〇~一七〇センチメートルほどだ。だが、この生物の体長はゆうに六メートルを超えている。サイズだけでいえば小型の象にも近い。


 だが何よりも異様なのは、その頭部だった。たてがみがあるはずの場所には黒い髪が生え、真っ白な肌はどことなく人間らしく、全く毛がない。しかし顔立ちは厳めしく、般若の面を岩に彫ったような狂暴さだ。長い牙を剥き出し、口からは涎を垂らしている。


 これこそが、怪原珠飛亜の真の姿。有翼の人面ライオン、スフィンクスであった。


(この姿、本当はすっごくイヤなんだけど……そうも言ってられないから)


 翼を翻し、人面獅子は標的に突撃する。

 白い鎧をまとった、謎の人物。いや、生物であるかどうかも怪しいが。とかく、それが理里の方に向かおうとしていたのは確か。


(こんなに隙間なく鎧で覆われてちゃ、"蛇媓眼(じゃおうがん)"の光が届くかは分からない……りーくんじゃ、相手にならない)


 ここで、自分が仕留めなくては。理里はほぼ確実に、こいつに殺される。それだけは避けなくてはならない。


GOOOOOOOOO(グオオオオオオオオオ)ッ!!!!」


 珠飛亜が咆哮すると、下界の住宅を覆っていた氷が溶け、波となった水が一気に"鎧"に襲いかかった。


 だが。


『………………』


 "鎧"が一歩も動かずとも、水流はそれに至る一メートルほど手前で蒸発しきってしまう。


(っ……この程度じゃ、足りないか)


 珠飛亜の狙いは、"鎧"が発している熱を冷却し、無防備になったところで怪物の身体での物理攻撃を叩き込むこと。あの「熱」さえ何とかして、肉弾戦にもちこめば、物理的なパワーは珠飛亜の方が上のはず。あのスカした白い鎧を打ち砕き、(あればだが)中の肉体に強烈な一撃を食らわせてやるのだ。


(……それにしても。あの宝石の配置、どこかで見たような……)


 珠飛亜は、鎧に施された装飾が気がかりだった。

 はじめ気付かなかったが、あの白い鎧には、ところどころに橙や青の小さな宝石が埋め込まれている。それは肩や肘などの関節部にあるほか、三つが腰にまっすぐ並んでいるのだ……まるで、()()()のように。


(なんだっけあれ……ま、いいか。今はそんなこと気にしてる場合じゃないし!)


 少し距離をとった珠飛亜は、"鎧"の周囲を旋回しはじめる。その飛行軌道下にある氷をすべて融かし、顔の前に水の球体として集めていく。


 二分ほどが経つと、"菫青晶の舞付師アイオライト・コレオグラファー"の効果範囲と同じ……空をも覆う水の球体が出来上がっていた。


(直径三〇メートル、体積にして約千四〇〇万リットル……ジンベエザメが泳げる水槽の容量の三倍弱! これだけあれば一瞬でも冷却できるはず!)


 水は蒸発するとき、周囲から熱を奪う。現在、柚葉市の気温は-2度。この状況下で、千四百万リットルの水をすべて蒸発させるのに必要な熱は約三五三億二五〇〇万キロジュール。これは広島に投下された原子爆弾・リトルボーイが爆発した際に放たれたエネルギーの約四.八倍に相当する。それほどのエネルギーを、あの小さな鎧が秘めているとは到底考えられない。


(いくよっ……『漲水巨弾球メガトン・キャノンボール』!!)


 珠飛亜が旋回している間、一歩も動かなかった"鎧"の上空を、巨大な水の玉が覆う。


「いっけえええええええええええええ!!!!!!!!!!!」


 投下。あまりにも大きな滴が凍った大地に向けて落ちる――

 が、それが解き放たれる直前、"鎧"が、動く素振りを見せた。


(……? なに……?)


 十五メートルにも及ぶ水に遮られた珠飛亜には、"鎧"の姿がはっきりと見えない。ただ、あれは……何か、()()()()()のような?


(……何をする気か知らないけど、無駄無駄っ! これだけの水量、一気に蒸発させられるわけないんだからっ!)


 よぎった不安をかき消して、珠飛亜は落下に集中する――と言っても、ただ空中に繋ぎとめた大量の水を解放するだけでいいのだが。

 そもそも、これだけの量の水があれば、水球をぶつけたあとの珠飛亜のとどめすら必要ないかもしれない。常人であれば押し流されて死亡するはず。


(さよなら、よくわかんない"鎧"さん! さて、わたしは早くりーくんのところに……!)


 そう、珠飛亜が次の算段を立てかけたとき。




 ――視界が、"光"に覆われた。




(……えっ?)


 理解(わか)らない。ただ、珠飛亜の視線の先を埋め尽くしていた大量の水が、目が灼けるほどの"光"に包まれていく。


 思わず珠飛亜が目を閉じた、次の瞬間。


「……GUOOOOOOOO(グオオオオオオオオ)OOAAAAAAAA(オオアアアアアアアア)AAAHHHHHHHアアアアアアアアアアア!?!?!?」


 スフィンクスの巨体が、吹き飛ばされた。

 とてつもない熱気が、石のように硬い肌を舐める。人の身であれば確実に大やけどでは済まなかっただろう、熱された蒸気が、スフィンクスの体を上空へと舞い上げる。


 先程まで直径三〇メートルの巨大水球があった場所には、今や(そら)を破らんばかりの光の柱が立っていた。その起点では、白き"鎧"が天空に向け、正拳を突き放った体勢で制止している。


 衝撃波は近隣の建物を砕き、"鎧"の立つ位置を中心に、巨大なクレーターが形成される。だが、"鎧"は一歩たりとてその場を動かなかった。たとえその足が大地にめり込もうとも、"鎧"が拳を突き上げた態勢を崩すことはなかった。


「かっ……は……」


 やがて光が収束し、柱が消え去ったとき。空を覆う黒雲には、ぽっかりと大きな穴が空いていた。

 その中心では、憔悴しきった珠飛亜が落下している。金の毛並みに先ほどまでの輝きは無く、ところどころが焦げ、あるいは発火している。純白を誇った翼は、ほぼ真っ黒に焼けていた。

 "鎧"の拳による強烈な風圧。そして"鎧"の意思によって上方向に収束され放たれた熱が、珠飛亜の『漲水巨弾球メガトン・キャノンボール』を全て()()()()()()。さすがに全てを蒸発させるには至らず、散った水がざあざあと雨のように降ってくる。強い熱によって光の柱が生まれ、それに巻き込まれた珠飛亜は丸焦げになってしまったわけだ。


 だが、そんな焦熱地獄を生き延びた珠飛亜に対し、"鎧"は、さらなる動きを見せた。


『…………』


 ぎちぎち、と。全身に力を溜めるような素振り。膝を軽く曲げ、脇を締め。



 次の瞬間、"鎧"の姿は其処(そこ)に無かった。



「……!」


 とっさに防御姿勢をとろうとした珠飛亜だったが、そこで重大な事実に気付いてしまう。


(……水が、無い……!)


 周囲に水がほとんど残っていない。能力の効果範囲・十五メートル圏内の雲は全て『光の柱』に押しのけられてしまい、近辺の建物や地面を覆っていた氷は『漲水巨弾球メガトン・キャノンボール』発動のために使ってしまった。防御に利用できる水は、もう無い。


(まずいっ……)


 すぐさま珠飛亜は退却しようと翼を動かすが――




 熱。




(……!)


 視界に入るより先に、"熱"が肌を舐める。くすんだ金色の背中、体毛がじりじりと焦げ付く。


(っ……!)


 反射的に振り返り、右の爪を敵に突き立てようとするが――


GGYAH(グギャア)ッッ!?」



 じゅわり。



 熱された隕石が顔面を直撃したような。強烈な衝撃により、珠飛亜(スフィンクス)は大地に叩き落とされた。


GUUU(グウウウ)GOAAAAAAAA(ゴアアアアアアアア)!!!!」


熱さに獅子の身体がのたうち回る。大理石の彫刻より硬い(かお)のど真ん中に、黒い焼け跡が無残にも刻まれている。


 だが、"鎧"の追撃は終わらない。


『…………』


 珠飛亜を叩き落とした空中、くるり、宙返りをしたかと思うと、そのまま垂直に回転しながら"鎧"が落ちてくる――否、それはすでに攻撃の態勢。



GA()ッ……!」



 的確に。獅子の腹部に決まったかかと落とし。胃酸が逆流する。

 が、"鎧"の攻撃は未だ止まない。天から降る溶岩弾のごとく、蹴りの連撃が始まる。


GOo(グオォ)ッ、GUu(グウゥ)GAAh(ガアッ)……」


 地に墜ちた珠飛亜にはなすすべがない。ただ、降り注ぐ蹴撃を、抵抗もできずに受け続けるのみ。


AHhh(アァア)ッ!!」


 前脚の骨が折れる。肋骨もすでに何本か逝っている。怪物の強靭な肉体を、こうも簡単に破壊するとは。


(強さが……違い、すぎる……!)


 有村大河や田崎蘭子とは、まったく強さのレベルが違う。大河は異能力にステータスを全振りしたテクニカルな戦闘スタイル、蘭子はフィジカルに全振りした「脳筋」のスタイルだった。だが、この"鎧"はその両方のステータスにおいて彼らを上回っている。

 直径三〇メートルの水球を吹っ飛ばす。怪物の動体視力でも視認できない速度。怪物態の珠飛亜の巨体を一方的に蹂躙する膂力(りょりょく)。すべてが規格外だ。



(勝て……ない、の……?)



 悪い予感が脳内をよぎる。このまま、何の抵抗もできずに、蹴り殺されてしまうのだろうか。近辺の氷は全て溶かしてしまった。地下水すらも全てだ。もはや、"鎧"に対抗する手段は肉弾戦以外にない。

 しかし、あまりの猛攻にそれすらも封じられてしまっている。だんだんと人面獅子(スフィンクス)の巨体は地面にめり込み、羽根の1枚さえも持ち上げることはできない。



(っ……。そんなの、いやだよ……!)



 獅子の眼に、涙が浮かぶ。痛みによるものではない涙が。



(まだ、わたし……りーくんにきちんとあやまってない! わたしの都合で、わたしの気持ちだけで、りーくんを振り回してたこと……! りーくんはまだ怒ったまま、なのに……)



 それは悔恨の涙だった。せっかく、理里に見捨てられた絶望の淵から昇ってきたというのに。謝りさえすれば、また以前のように愛してもらえるのに。その一歩手前で、力尽きてしまうなど。


GU(グゥ)……GUOOO(グオオオ)OOOOO(オオオオオ)!!!!!!!」


 獅子が悲しい哮り声をあげる。だが、それは虚しく寒空に消えゆくだけだった。

 超高温の"鎧"の足は、すでに珠飛亜の身体を焦がし尽くしつつある。美しい黄金の毛並みは見る影もなく、胴体はヒョウ柄のように数多の火傷でただれている。前脚は異様な方向に曲がり、乳房は脇の靭帯の部分で断裂している。


(わたし……本当にこのまま、死んじゃうのかな……)


 実感が湧かない。そのことに対する恐怖はもちろんある。痛みもある。だが、それらよりも何よりも、理里と仲直りしないままに彼と別れるのが。


(いやだ……いやだよ! いやだよそんなの!



 だれか――



 だれか、助けて)



 一瞬、そう()()


 が、救いの手が差し伸べられることは無い。視界には、目にも止まらぬ速さで自分を踏み続ける白い"鎧"しか入らない。

 怪物に神は居ない。怪物を救う者など存在しない。己が身は己で守るしかない。そして珠飛亜は今、己と己の大切な者を守る闘いに負けた。ならば、その先に待つのは凄惨な死だけだ。


 だが、それでも。助けなど来ないと知っていても。それでも、願いたかった。自分にはまだやらなければならないことが、やりたいことが沢山ある。まだ、生きたい。生きて、もう一度弟に会いたい――


 しかし。現実は残酷である。


『…………!』


GUA(グア)ッ!?」


 "鎧"が珠飛亜を踏み台に、大きく跳躍した。高い空中で、両腕を水平に伸ばし、脚を閉じて、十字架にかけられた聖人のポーズをとる。つま先をピンと伸ばして。


 その鋭利な足先の装甲は、珠飛亜(スフィンクス)の心臓に向いている。かつて神の子を突き殺した聖槍(ロンギヌスの槍)の如く。



『――!』



 "鎧"が落下する。己が身を槍とした攻撃が、獅子の心臓めがけ、墜ちる。


(……っ!)


 もはや珠飛亜は、一歩も動けない。天使のごとき真白い翼は動かず、強靭なその脚も一(センチメートル)たりとて持ち上げられない。


 終焉を齎す槍の穂先が、今、まさに珠飛亜の心臓を貫く――






 がきん、と。






「……?」


 目を瞑っていた珠飛亜の耳に届いたのは、その()のみ。


 何か、金属と金属がぶつかった、いや砕け散ったような。その音だけが、尖った珠飛亜の耳に響いた。

 本来であれば、"鎧"のつま先が自分の肉をえぐる鈍い音と、激痛が襲ってきていたはず。だが、珠飛亜が感じたのは、それだけだ。


 不思議に思って、珠飛亜が目を開けると。




「まったく……何やってんだよ、バカ姉貴。あんなデクの坊にやられるなんてよ……!」




「……りーくん!」


 理里だ。半蜥蜴男(リザードマン)形態の理里が、右側、50mほど遠くの曲がり角に立っている。少し()()()ような、安堵の表情で。

 そして。その左に居た人物は、()()()()()()()()()()で珠飛亜の方を見ていた。


(て、手塩くんっ!? なんでりーくんと!?)

「ふふ……怪物に変身した状態の顔でも分かります。動揺していますね、()()?」


 見慣れた彫りの深い顔で。茶色い長髪の青年は、意地悪く嗤った。


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