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星狩りのレプタイル ー邪眼の蜥蜴と夜空の英雄たちー  作者: 若槻味蕾
第4章「天馬騎士と氷の獅子」
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61. Phantom Joker





 ――誰のせいだ?





(……!?)



 意識を喪いかけていた籠愛の脳内に、そんな黒い問いがよぎった。


 わからない。何が善なのか、何が悪なのかわからない。ならば……自分を、ここまで悲惨な運命に遭わせたのは誰なのか? 自分の人生を悲しみで塗りつぶしたのは、いったい、誰だ? それこそがきっと、「悪」なのでは?

 ――そんなことを考えてはならない。それは悪魔のささやきだ。()()としては許されぬ問い。


 だが、思考は進み続ける。


 誰だ? 誰のせいで自分はこれほど不幸になった? 神との盟約を破った祖父だろうか? 馬に人肉を食わせた父か? 陰口を叩いた召使いか?



(違う……!)



 必死に言い聞かせても、自問自答が止まらない。ずぶずぶと「問いの連鎖」が、籠愛を飲み込んでいく。



 誰のせいだ?



 弟を殺してしまった自分か? そもそも、そんな競技大会を企画した者か? 自分を追放した母国か? 誘惑してきた隣国の王妃か? 自分を殺そうとした王か? キマイラか? それとも雷を落とした、神帝ゼウスか?


(やめろ……! 考えるな、考えるな、考えるな!)


 籠愛は自戒する。他者に責任を求めるのは悪だ。英雄たる己には許されない。


 結局のところ、自分が全て悪いのだ。投げた砲丸が偶然弟の頭に当たったのも、一瞬でも天界に至ろうと考えたのも、全て自分のせいだ。そう考えて、黙って死んでいけばいいのだ。それでこそ、滅私奉公の英雄なのだーー




『……おまえは、それでいいのか?』




(……!?)


 突然。頭の中に、声が、響いた。


 低い声。深淵(タルタロス)の底から響いてくるような、くぐもった……そしてどこか、()()()声。

 そして。見えなくなったはずの視界に、()()()が現れる。



「……おまえは……いったい……」


 青い眼、高い鼻。どこか憂いを帯びた顔立ち、長い金髪。だが、どこかで見たような……そんな顔。

 ククッ、と(わら)って"顔"は答える。


『俺が誰か? そんなの聞くまでもないだろう。転生してからの十五年で忘れたかもしれないが……()()()は前世で嫌というほど見てきたはずだ』


「何…………!?」


 少し経って気付く。それは、『自分(ベレロフォン)』の顔だった。


 転生して新たな肉体を得る前の神話時代の自分の顔。長い金髪の美丈夫。それが目の前でいやらしく嗤っている。眼球が弾け飛んで何も見えぬはずの暗闇に、唯一浮かび上がったそれが。


「ち、違う……! 私は、私だ……! 今ここにいる私こそが私だ!」


『ああ、そうとも。()()()()()()()()()()。だからこそ、お前()のことはよく知っている……お前()がいつも、頭の隅で考えていたこともな』


「私……が……?」


 籠愛は戸惑う。この「自分」は、いきなり何を言いだす? 私が何を考えていたというのか。


 呆けたようすの籠愛を、かつての彼自身は鼻で笑った。


『なんだよその顔。森の動物たちと戯れているとき、いつも考えていただろう? どうして自分は人間などに生まれてしまったのだろう? ってな。人間なんかじゃなければ、こんなにつらいこともなかったのに』


「……!」


 驚いた。確かにそれは、籠愛がときどき考えていたことだ。

 だが、それは「弱音」だ。けっして「本音」ではない。人として生まれたことは覆せない。そんなことを願ったところで、どうしようもないではないか。

 だが、かつての彼自身は続ける。


『そしてある時、こうも考えたはずだ。「人間は知能を発達させすぎた。文明を発展させすぎたために、人間同士のしがらみで不幸を招いている」』


「……やめろ」


『人間がこんなに進化しなければ、自分には、こんな不幸は起こらなかった。厳しくとも自由な自然のなかで、ただ悠々と生きていたはずだ。人間でさえ、なければ……』


「やめろ!」


『いや、そもそも人間なんてものが存在しなければ、自分がこんな不幸に見舞われることも無かったはず。ヒトに生まれたために、不幸な人生を送っている者が何人いるだろう? そう少なくはないはずだ。ならばいっそ……人類など、滅んでしまったほうがいいんじゃないか』



「やめろと言ってるだろうが!」



 ついに籠愛は声を大きく荒げた。それは、憤怒の叫びであった。


「そんなことを考えてどうなる! わたしに人類を滅ぼせとでもいうのか!? そんなことができるわけがない! それは"悪"だ! 多くの生命を奪うことは、まぎれもない"悪"だ!

 ……それに、人間に生まれたために幸せになった者も多く居る! 自然界は自由だが厳しい……常に死と隣り合わせなんだ。人類は文明を発展させることで身を守ってきたんだ。だから、おまえ()のその考えは愚かだ! 幸福な人間の数が多いものが正しい世界なのだ……!」


『"最大多数の最大幸福"ね……なるほどな』


 かつての己がうなずく。


 が。


『だが……それで、()()()()()()()()?』


「……ぅ」



 籠愛は言葉に詰まる。



『確かに、(お前)のその理屈は正しいとも。が、それで(お前)は納得したのか? ……いいや、否だ。おまえは常に切り捨てられる者だった。それが不満だった』

「違う! わたしの人生にも幸福はあった! それを私自身が、愚かにも捨て去っただけのことだ……!」

『そうか? 本当に「自分で」か? オリュンポスの神々が勝手にお前を罰しただけだろう。お前は「ただ高く空を飛びたかった」だけなのにな』

「うっ……」


 否定が、できない。自分だけが不幸なことが不満だったのは事実だ。その原因が、己のせいだけではないという不満がずっとくすぶっているのも事実だ。

 もちろん間違った感情だ。理論的には穴だらけだ。だが、それらはあるひとつの側面において、すべて()()なのだ。事実だから、その安易さに身を委ねてしまいたくなる。




 抗えない。ただ、楽になりたい。




 その感情が、籠愛を支配しはじめていた。


お前()は何も間違っちゃいないんだよ。悪いのは全部周りなんだ。周囲が、(お前)をここまで追い詰めたんだ。

 ……憎いだろ? 数千年溜まった恨みつらみ、ここで晴らさなくてどうするよ。このままじゃお前は、永遠に自分を哀れみつづけるだけだ……そんなことが許せるのか?』


 かつての己が問うてくる。それは"悪"へのいざないだった。まぎれもない悪への。英雄には似つかわしくない、『怨恨』という醜い衝動への。


 だが、もうそんなことはどうでもよかった。何が善なのか? 何が悪なのか? そんなことは考えたところで無駄なのだ。絶対的な善も悪も存在しない。籠愛自身がたどった悲運の生がその証明だ。


 ならば……何が善か、何が悪か。そんなもの、自分で決めてしまえばいいのだ。


「許せ……ない」


 籠愛は、静かに答えた。


『フ……物分かりがいいじゃないか』


 かつての自分が(わら)う。だが、籠愛はそれを気にも留めなかった。

 黙った籠愛に、かつての彼は続ける。


『そうだ。人間なんかが存在したからお前みたいな不幸なやつが生まれたんだ。人間の存在は、新たな「ベレロフォン」を生み出しかねない。それは正しいことなのか?』


「否……だ」


『オリンポスの神々もそうだ。奴らがお前から、せっかくの幸福を奪ったんだ。そんなひどいことが許せるだろうか?』


「……ぅ」


 さしもの籠愛もここで迷う。オリンポスの神々を否定することは、自分が信じていた彼らとの敵対の意味を持つ。


 が、答えているうちに、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。この男の言っていることは、()()()()()()()()()()()()。籠愛を苦しめたのは人間と神々だ。それらが存在したから、籠愛は苦しんだ。

 自分は決して多くを望まなかった。ただ、天馬と空を翔んでいられればそれで満足だった。なのに、『世界』は理由もなく自分を虐げた。そんな理不尽が、許せるだろうか?


「……いいや、許せない……!!」


 籠愛は言い放った。

 もう、彼は止まらない。彼は、『世界』への怒りをその身に宿した復讐者となった。神々を、人類を、どんな手を使ってでも殺し尽くす憤怒の化身となった。


『それで、良い。何もかも滅ぼしてしまえ、お前は正しいんだからな』


 かつての自分の口元が歪んでいることに籠愛は気付かない。


「……ああ。だが、どうやって奴らを滅ぼせばいい? 私の力だけでは、とても……」

『……簡単さ。……この大惨事の原因になったおまえの宿()()を、利用すればいいのだ』

「……そうか!」


 その言葉の意味を理解した籠愛の脳内に、復讐のシナリオが描かれ始めた。





「ああ……わたしは、今頃……思い出した」



 雪降る空を落下する、歪な人型。その、かつて英雄だった者の目尻は、邪悪な皺を寄せていた。


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