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星狩りのレプタイル ー邪眼の蜥蜴と夜空の英雄たちー  作者: 若槻未来
第4章「天馬騎士と氷の獅子」
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その名

 そのように生きて死んだ彼に、光をくれたのもまた神々だった。冥府で鬱鬱とした日々を過ごしていた彼の下に舞い込んだ招集令状。


『我らを信ずる者は集うべし。万物を黒白(こくびゃく)の地平へと帰す破壊の龍神が、再びその姿を現ぜり』。つまりテュポンの再来である。


 何事も惰性で行うようになっていた彼は、嫌々ながらも討伐軍に参加した。しかし……かの魔神が引き起こしたオリュンポス山の惨状を見たとき、彼の心に、忘れていた正義の炎がふたたび燃え上がった。


 戦った。必死に戦った。イオバテス王のもとで働いた頃に経験した攻城戦などの知識を駆使し、数多の神器の力も借り、ようやくテュポンを撃退に追い込んだ。


 その時、彼は数千年ぶりに「達成感」をおぼえた。使命に生き、使命を果たした。それが彼の精神に生命を吹き戻した。


 何かを成し遂げるという幸福。必死で戦ううちに、いつのまにかオリュンポスの神々のことをふたたび信頼・信仰するようにもなっていた。たった一度の戦いで彼の精神は蘇った。

 ちなみに、その際の指揮官が手塩(テセウス)だった。彼の下で戦ったことが、籠愛の魂に生気を取り戻したことは疑いようもない。


 それ以後、彼は「使命」というものを信じはじめる。人には誰しも、超越的存在 (あるいは「世界」そのもの)によって定められた「使命」が存在する。それは一つと限らず、こまごまと身の回りに存在している。何かを成し遂げて、それを「楽しい」と感じること。それを「幸福」と感じられるもの、その行為こそがその人間の使命なのではないか、と。


 通常の魂は命を失った場合、一定期間を経てから転生する。そのたびに「使命」はリセットされる。しかし英雄は神々のために永遠に戦い続ける。それが英雄の使命である。ある種の「枷」とも言えるこの制度だが、籠愛にとっては、神々のために戦うことは楽しかった。「幸福」だった。それこそが自分の使命だと、彼は死後数千年にしてようやく覚った。


「使命」とは「命を使う」と書く。その達成のためならば死んでも構わないもの、むしろそれこそが自分の生きる目的であるもの、それを使命と呼ぶ。その考えから、籠愛は使命のために()()を惜しまない。誰の命が失われるのも悲しい、だが自分だけは、自分の命だけはどうなろうと構わない。




 ……で、あればこそ。




(今、頭上を舞う黒き翼の女怪を、命を賭してでも葬らないわけにはいかない)


 ここでエキドナに背を向ければ、彼女の奇襲奇策に不意に仕留められてしまうかも知れない。となれば本命であるキマイラの鎮静化が達成できない。それでは籠愛は「使命」を果たせない。まず先にエキドナの命を摘まなくては。



 が……しかし。



「……上官の命令とあらば、仕方ないか」


 優先すべきは「任務」の遂行であり、「使命」ではない。そして前者に最適な方策であるのは、司令官たる手塩の命令に従うこと。個人的感情をそこに差し挟んではいけない。

 いま籠愛が行うべきことは、手塩の方針に従って怪原恵奈と和解し、その後の指示を待つこと。腑には落ちないが。


 半ばあきらめにも近い考えに至り、ふたたび上昇しかけた時――




「追って来ないのかしら? "空の英雄"も案外と腰抜けなのね」




(……安い挑発だ)


 地の底から響くような声が空の果てから届いてくる。怪物だからこその声量……いや、局所的に声を届かせる技術だ。……が、あれほどあからさまな誘いは『罠がある』と申告しているようなもの。策士として知られる彼女には珍しい悪手だ。

 ……だが、向こうから声をかけてきたのは好都合。納得はいかないが、和解を彼女に伝えることができる。


 しかし次の瞬間、籠愛は彼女の挑発に乗らざるを得なくなった。



「その調子では冥府の弟さんも悲しむのではないかしら……()()()()()()?」



「……何?」



 ぴたり、と。籠愛の動きが止まった。



「貴様、今、何と言った」


 恵奈との距離は五百メートルは離れている。いくら恵奈が超人的聴力を(そな)えているとはいえ、籠愛の微かなつぶやきは恵奈に届かない。


 だが、籠愛は問わずにはいられなかった。



「今、何と言ったんだと聞いている!!」



 大声で叫ぶとすぐさま反応が返る。


「ベレロフォンよ。何度でも言ってあげるわ、ベレロス殺し(ベレロフォン)! 弟殺し……わたしたち怪物の社会でも眉をひそめる罪。そのうえ罰も受けずに国を逃げ出すなんて、とんだ腰抜け。おまえなんて英雄でもなんでもないわ。ただの臆病な人殺しよ、ベレロフォン」


「き……さま……」


 びき、びき、と籠愛のひたいに血管が浮く。


 ()()()は、籠愛の『地雷』だった。かつて己が犯した弟殺しの罪。触れてはならない忌まわしき記憶を示す名、幾度となく人々に蔑まれて呼ばれたその名を、恵奈は真っ向から彼にぶつけた。


「わた、しは……わたしの名は、ヒッポノオスだ……!」


「いいえ、そんな名はおまえには()()()()よ。あなたごとき、永遠に汚名で呼ばれればいいのだわ! ……知っていて? 現代では、おまえはそちらの名で呼ばれることの方が多いのよ。

 ああ、英雄の風上にもおけないベレロフォン。神々がおまえを『英雄』として選んだ理由がわからないわ。おまえにそんな資格があるはずないのに。だっておまえは、弟殺し(ベレロフォン)なんだから」



「きさま……その……

 ()()()でわたしを呼ぶなアァ――――ッ!!!!」



 翔んだ。いや、走った。空を駆けた。そのあたりの具体的なことはわからない。とかく籠愛は、可能な全ての能力を振り絞って急上昇した。下手をすれば自分の身体すら斬り飛ばしかねない勢いで『上昇(アップ)気流(ドラフト)』を吹かせた。


「もう誰にもその名は呼ばせないッ! あれは()()だ! ()()だったんだ! 俺は悪くない……俺は、悪くないんだアァ――ッ!」


 一心不乱。彼は飛んだ。許すまじきその名を呼んだ女怪に、怒りの鉄槌を下すため、一刻も早く、蘇ったかつての悪夢を払拭するために飛んだ。


 豪雪を風で払いのけ、数秒で籠愛は恵奈に追い付く。『風刃(ランブリング・)領域(フェザーボール)』はすでに展開されており、あとは体当たりをするだけで恵奈は細切れになる。


 しかし、恵奈の翼も飾りではない。くるくると複雑に旋回しながら、ギリギリ籠愛に追い付かれない距離で器用に上昇していく。



「ッ……ちょこまかとっ!」



 激昂した籠愛が、さらに気流を噴かせようとしたとき。




 突如、喀血(かっけつ)




「っ……!? ごほっ……」



 急に咳き込んだ籠愛。その口から零れたのは、紅い血と唾液がまざった(たん)だった。



「なにが……!?」



 肺に走る激痛。焼けただれるように痛む気管。



「がはっ……」



 籠愛が咳き込むたびに、周囲の気流が乱れる。異能力の操作は術者の精神状態に強く影響される。滞空や『風刃(ランブリング・)領域(フェザーボール)』の維持が難しくなってきたのだ。



「き、きさま……何を、した……!?」



 血を口から垂らしながらも、籠愛は上方の恵奈を睨みつける。


 すると、それに応えるかのように、恵奈がばらばらと()()を落とす。



「……?」



 とっさに籠愛は、風でそれらを弾き返す。あらぬ方向に落下していったそれらは中身のないガラスの試験管だった。



「こ……れ、は……? ごほっ、ごはあっ」



 混乱する籠愛。肺の腑を襲う激痛がますます酷くなる。

 見下ろす恵奈は嘲笑する。



「綺羅ちゃんの能力にも感謝すべきね……おかげで気づかれずに()()()()ことができたわ」

「……ばら、撒く、だと……」



 怒りの形相で()めつける籠愛に、恵奈は前髪にかかった粉雪を払って応える。



「ええ、そうよ。今落としたのはヒュドラ(吹羅ちゃん)の毒の粉が入っていた試験管……私はそれを撒きながら逃げていたわけ。

 いくら『風の壁』を展開しているとはいえ、どこかに呼吸のための空気を取り入れる『穴』があるはずでしょう? 極小の粉であれば、あなたも気づかず取り入れてしまうんじゃないかと思ってね」


「なっ……!」


 籠愛はぎょっとした。確かに、それは『風刃(ランブリング・)領域(フェザーボール)』の唯一の弱点だった。


『風の壁』とはすなわち『空気の壁』である。が、それが向かってくるものを切り刻むように外側に向かって吹いている以上、実質的には四方を密閉されているのと同じだ。そのため、どうしても『外の空気を取り込む気流』が必要になる。


『酸素だけ取り込む』ということも可能だが、純粋な酸素は人体にとって毒となる。そのため、籠愛は大雑把に辺りの空気を取り入れていたのだが、肉弾戦が主流の恵奈にその弱点を突かれるとは想像もしていなかった。



「もしも今日の空が気持ちいいくらい快晴だったら、こんなものを撒いたところですぐに気づかれたでしょうけど……ほら」



 そう言って、恵奈は手の平に落ちた雪を指先で撫でた。



「綺羅ちゃんが能力を暴走させたことで、この辺りの気温は急激に低下した。それによりこの大雪を招いた……今はそれほど降っていないけれど、そのうちひどくなるわ。そしてこの『雪』が、白い粉をうまく隠してくれた」



 ふう、と。恵奈は手の平の雪を吹く。ひらり、はらりと其れは舞い落ち、周りの降雪に混じって分からなくなった。



「そして……毒で弱ったあなたに、わたしの紫晶(アメジスト)は止められない」




「……っ!」



 その物言いから察した籠愛は、先ほどと同じように、飛来するモノを風で防ごうとした。

 しかし、



「!!」



 その暗器は向かい風を切り裂き、『空気の支配者(エア・ドミネイター)』の効果圏内の門を軽々とこじ開けた。さながら破瓜のように、ぎちぎちと阻まれたようでいてあっけなく。



 ドス、と。籠愛の左胸に、薄緑色の刃が突き立った。



「が、あっ……!」



 どくどくと。心臓から、赤く溶けた鉄のように血が流れ出る感覚が。どろどろ、皮膚の中を、内臓を染め上げる感覚が。肺が腐り落ちるような痛みとともに。


「ぐああっ!?」


 さらに立て続け、一、二、三。刃が籠愛の身体をえぐる。左腕、右脚、そして腹のど真ん中。突き刺さる度に籠愛は咳き込み、その度に風が暴れた。



「くっ……う」



 ついに『上昇気流』を維持できなくなった籠愛は、ふらふら、と頭を前後させたかと思うと、()()()倒れた。



(ま……まだ、だ……)



 しかして、籠愛はまだ闘志を失わない。

 彼のブレザーの左胸ポケットには、万能の霊薬ネクタルが三本残っていた。本来は一人三本、そこに蘭子が返却したものを残りの三人で分け、一人四本ずつ持っていた。一本を恵奈との交渉時に破壊されたので、いま残ったのは三本。


 そして、それらの瓶が入っていた左胸に、聖金属(オリハルコン)の刃が突き刺さっている。それによって瓶が割れ、薬が服の繊維からしみ出している。


 万能の霊薬・ネクタルは、傷口に塗ればあらゆる負傷を治し、飲めばあらゆる病や毒を完治・解毒させる。たとえ強力なヒュドラの毒であろうとそれは同じ。天界の衆生の盃を満たす秘薬の前では、一介の怪物の猛毒などアリの蟻酸にも劣る。ナイフの傷も刃を抜けばすぐに塞がるはずだ。


 痛む肺をどうにか膨らませ、震える手で籠愛は左胸の宝石剣を抜く。瞬間、噴水のように血が噴き出したがそれもすぐ塞がっていく。


 ネクタルによる治癒は瞬時である。これは『魂』の内部に、肉体の新たなパーツを創造するようはたらきかけ、それを人界に取り出して結合させる薬だからだ。病に対しては患部と同じパーツを魂の中で創造し、患部を魂の中に転送して、代わりに創造したパーツをはめこむ。結合の際にはネクタルが接着剤の役割を果たし、そのまま肉体に同化するため痛みも無い。


 これほどの薬を神々はどうやって開発したのか……籠愛は不思議で仕方なかったが、今は態勢を立て直すのに集中すべきと判断し疑問を捨てる。



「……もうすぐだ……」



 他の暗器も全て引き抜いた。地面まではまだ一〇〇メートルほどある。そこに叩き付けられるまでに傷も毒も全て消える。



「すぐに貴様に追い付いてやる……今度は『通気口』を開けるようなヘマはしない、息つく暇もなく、ザン切りにしてくれる」



 一秒、二秒。だんだんと筋線維が繋がっていくのを感じる。途切れた血の流れが、元に戻ってゆく。胸の、肺腑の痛みが、徐々に消えていく。



「よしッ……!」



 もう十分だ、と判断し、籠愛が再び『上昇(アップ)気流(ドラフト)』を吹かせたとき。






 熱。






「っ……?」



 何か。ほとばしるような強い『熱』が、籠愛の身体を駆け抜けた。



 その『予感』は、以前にも籠愛が感じたことのあるものであった。だが、それがいつだったのか思い出せない。この焦燥、この腹の底から湧きあがるようなざわつき。果たしてそれは、いつ感じたものだったか。

 そう、思考を巡らせた次の瞬間――






 バチリ。






 目の前が真っ白く染まる。皮膚が泡立ち黒く焦げる。身体の内と外から、籠愛の肉体すべてが瞬時に熱され、灼き焦がされる。



「ごはあっ!?」



 籠愛の腹部が、突然破裂した。同時に、腕も、太腿も、胸も、眼球までも。


 視界が真っ暗になる。鈍く肉の焼ける異臭と、体中に走るひりひりとした痛みだけが、彼に残された感覚だった。


 ――だが、知っている。この感覚は()()()()()知らなくとも、魂が()っている。




(か……雷、だと……)




 そう。前世において、天界に至ろうとした彼に下された、最高神ゼウスの雷霆(らいてい)。それと同じ熱が彼の全身を撃ったのだ。


 生物に雷が落ちると体内の水分が熱によって膨張し、爆発が起きる。落雷を受けた木が真っ二つに裂ける現象などがそれだ。しかし通常の人間に雷が落ちたとしても、木と違って人体は電気を通しやすいので地面に電気が逃げる。


 だが……いま、籠愛は空中に居る。すなわち、電気の逃げる先がない。前世では乗っていたペガサスにも電流が逃げ、人体破裂にまでは至らなかったが、今回はそのペガサスも居ない。



 なぜ、なぜこのタイミングで雷が。空中の自分に命中するなどという、()()が。



 そう考えかけて、籠愛はそれが()()でないことを悟る。



「こ……これ、か……?」



 右手にまだ持ったままの、血に濡れた宝石の暗器。その刃に使われる聖金属オリハルコンは、高い誘電率をもつ。


 さらに頭上には、黒々とした巨大積乱雲。低気圧によって発生したものだ。それらの条件が合わさって、落雷を呼び寄せたのだ。


(だが、それならエキドナに雷が落ちるはずでは!)


 ……が、彼女の気配は遠い空中に止まっている。

 どうやら恵奈はすでにこの暗器を使い切っていたようだ。籠愛が落下するにあたり、暗器を腰巻に繋げていたワイヤーも切り離していたらしい。



「な、なぜ……私が……」



 ひとつの疑問が解決されても、籠愛の心からは困惑が消えなかった。



 なぜ、神の意思のまま使命を果たそうとした自分がこのような仕打ちを受けねばならないのか。自分は「善」のために生きていたはずだ。自分のなすことに()()()()()()()()。たとえ指揮官が一時的な和解を選んだとしても、あの怪物どもはいずれ消し去らなければならなかった。特に、己をあの汚名で呼んだ畜生は一秒も生きるのは許されない。たとえ怒りに任せてエキドナを殺したとしても、よくぞ敵の首魁を討ったと褒められてしかるべきだ。



(……私の、存在とは……)



 自分の存在意義とはいったい何だったのか? 善なるものに与する、つまり実質的に善そのものであるはずの自分が、なぜこのような不運で敗北するのか。自分の敗北は、天が善なるものを善と認めないことの証左ではないか。ならば己のしてきたことは何だったのか? 己が善と信じたものは何だったのか? 天の神こそが悪で、あの化け物共が善だったとでもいうのだろうか。いや、そんなことがあるはずはない。では、なぜ己は負けた? 「正義が勝つ」のがあるべき世界の姿だ。だというのに己はなぜ負けた? 「善」とは何だ? 「悪」とは何だ?


 分からない。何も、分からない。



「わたしには……わからない……」



 禍禍(まがまが)しく渦巻く曇天の中、風が吹き。豪雪のカーテンが、五体不満足となった青年の身体を覆い隠した。


〇ネクタルカウンター

籠愛:3本→0本

戦闘中に瓶が全て破損。


手塩:3本

麗華:4本

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