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星狩りのレプタイル ー邪眼の蜥蜴と夜空の英雄たちー  作者: 若槻味蕾
第4章「天馬騎士と氷の獅子」
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58. Surprising League



「どう、して……そんな姿に」


 トカゲ男の姿で貫かれた腹を押さえ、理里は手塩に問う。

 が、相手の態度は地面を覆う氷より冷たかった。


「それを教える義理はありません」


 二つに割れた舌で唇を舐め、手塩は剣先を理里に向けた。


「しかし、私とて感慨深いものはあります。一度は撤退を余儀なくされたあなたに、ようやく止めを刺せる……この時を、どれだけ待ち望んだことか」


 天を仰いだ手塩の表情は計り知れない。だが、その低い声は、どことなく上ずっているようにも聞こえた。

 が。すぐさまその声は、元の堅牢な雰囲気に戻る。


「……とはいえ。怪物の思考というのは、とんと理解できませんね。これほどの、町一つを滅ぼす惨劇を引き起こしたキマイラを、なぜ護ろうとする?」


 剣先が理里の顎を上げる。蜥蜴の下顎から紅い血がしたたり落ちた。

 しかし。理里の黄色い眼は、揺るがなかった。


「……家族だからだよ」


 生気のない声。しかし。その声色には、しだいに力が籠もっていった。


「家族だからだよ! 生まれてからずっと一緒に過ごしてきた、血のつながった、かけがえのない、大切な妹だからだよ! 守りたいに決まってんだろ!」

「……愚かな」


 耳まで裂けたトカゲの口で、手塩が蔑む。


「本当に分かっているのか? その妹は、この街のほぼ全ての人間を殺害した。絶対零度の凍気によって。柚葉市の人口十三万五千人を、たった一匹で殺し尽くしたのだぞ? その罪の重さをわかって言っているのか」


「分からねえよ!」



 理里が、叫んだ。



「分からねえ。俺には分からねえよ。たったひとり殺しただけでも、俺は吐き気に襲われた。とんでもない罪悪感に襲われた。夜も眠れないくらいだった。何度もあの、崩れ落ちていくアリスタイオスを夢に見た。その十三万五千倍の重みなんて、俺には想像できねえよ!


 ……だけどな」



 そこで、大きく息を吸う。



綺羅(あいつ)だって今、苦しんでるのは同じなんだ! 自分の中の化け物と、必死に戦って抑えようとしてるんだ! 兄貴としてそこから解放してやりたいんだよ、俺はっ!

 つぐなう方法なんてのは、あとで考えればいい。でも、それが『死ぬ』ことだとは決して思わない! そもそも、『十三万』と『一』じゃあ、つり合いが取れないだろうが!」


「……!」


 理里の言葉に、手塩は目を見開いた。それは、先ほど籠愛を叱ったときの言葉と、同じだったから。


「確かに、十三万の命の上に、今あいつは立ってる。だが、その償いは死ぬことじゃない。自分の残りの時間を、その人たちのぶんまで、誰かのために生きることじゃねえのかよっ!!!!!!」


 言い終って、理里は血を吐く。地面の氷に、ぼどぼどと赤い液体が落ちた。


「…………」


 手塩はしばし、理里を見つめていた。向けた剣の先が、わずかに震えていた。


「……なんだよ。やるならさっさとしろ」


 喧嘩腰な理里。しかし、手塩は無言で息をつく。

 彫像のように固まったまま、三〇秒ほど刻が過ぎ。今さら邪眼の光が効いてきたのか、と理里が(いぶか)り始めたところで、手塩は口を開いた。


「……この世界で死刑制度を採用している国は、九十七ヵ国だそうです」

「……?」


 唐突に話を飛ばした手塩に理里は戸惑う。


「……何の話だ」

「このうち四十八ヵ国は事実上制度を廃止しており、また七ヵ国も通常犯罪においては死刑を規定しないとしている。積極的に死刑を採用しているのは、半数以下の四十二ヵ国しかない。今や世界的に、死刑制度は廃止の動きにある。

『死を以って償う』ということは、罪人の命の残り時間を、罪の代償として支払うこと。その人間の『可能性』を、ともすれば世界中の人々を救ったかもしれない未来を永久に摘み取ること。

 しかし……結局のところ死刑とは、われわれの『気休め』にすぎないのかもしれない」


 どこか哀しげな瞳で、手塩は続けた。


「現在の日本では、殺人罪や強盗致死罪など、人の命にかかわる犯罪について死刑が適用されている。しかしながら、ひとりの人間がふたりを殺した場合……ひとりの『可能性』の数では、ふたりの『可能性』の数に対して等価ではない。『可能性』は無限のものですから、一概に簡単な計算をしてよいものではありませんが、釣り合うかどうかは疑問だ。

 結局その辺りは曖昧ですし、私などは古い人間ですから、『死に対して死を以って償う』考えに違和感は無かったのですが……『可能な限り、その人間の分まで他人に尽くす』……そのような発想は、私には無かった」


「お、おう……」


 妙なところで評価されたようで、理里は(ウロコ)がむず痒くなった。

 だが今は戦闘中。それも、今にもとどめを刺されようか、という場面だ。そんな状況でこんな問答をしていることに、ふと疑問が湧いてきた。腹を刺された激痛があるはずなのだが、不思議と理里の心は落ち着いてきていた。

 手塩はさらに問うてくる。


「……君はさきほど、『妹を苦しみから解放したい』と言いましたが……具体的に、その方法は考えていたのですか」

「ああ……もちろん。(吹羅)の異能力で、暴走を止めようと考えていたんだ。吹羅は今、蘭子さんが迎えに行ってる」

「……彼女がですか」


 手塩が複雑な顔をしたが、理里は続ける。


「俺は綺羅の位置を確認してから、集合場所の怪原家(ウチ)に戻って、それを吹羅たちに伝えるつもりだった。そのあとは英雄(あんた)たちの妨害があったときのために、家族総出で吹羅を援護する予定だった」


 最後の一文は誰にも伝えていなかったが。なんとなく、今は隠す気になれなかった。この男が、どうにも悪い人間ではないような気がして。


「俺たちだって、人間の世界に寄生している身分だ。身内が引き起こしたことに、罪悪感はあるよ。だから、一刻も早く被害を食い止めたい……そして、綺羅を苦しみから救いたい。その気持ちだけで、俺は動いてた」


 正直なところを、包み隠さず理里は伝えた。奇妙なことだが、今は、この敵であるはずの英雄に対して、本当の心で語りたいという欲求があった。


 そして、それを聞いた手塩は。


「……なるほど」


 神妙な面持ちで、その作戦への考察を述べた。


「怪原吹羅の能力は、触れるだけでいかなる異能力も無効化できる。それどころか、あらゆる異能力による攻撃は彼女に通用しない……キマイラ鎮圧にあたって、これほど適した能力者はいない。身を危険にさらさなくとも、あの怪物を無力化できる……うむ、なるほど」


 うん、うん、と、何度も納得したようにうなずき。


 ついに彼は、理里に突き付けていた剣を下ろした。


「……!」


 目を見開く理里に。手塩は、剣を鞘に納めつつ、口を開いた。


「その作戦、我々も一枚嚙ませてもらってもよろしいでしょうか?」





 籠愛は咀嚼するように、無線機の向こうの手塩が言った内容を反芻した。


「あの怪原家と共闘……!? 正気ですかテセウス!? 彼らを討伐しろとの命令を受けたはずでは!?」

『先ほど怪原理里と話し、決定したことです。今回の事態の収束には彼らの協力が必要不可欠。よって一時的に停戦協定を結び、怪原綺羅の無力化に当たります』

「何を馬鹿な……柔軟にも程があるでしょう! それに、キマイラの無力化は私に任された仕事だった! あなたが、私に! 任命したのではなかったか!」

『確かにそうですが、怪原理里の提示したプランの方が確実と判断しました。貴殿には申し訳ないが、涙をのんでもらいたい』

「そん、な…………」


 籠愛は打ちひしがれた。たった今、あと少しで止めを刺せそうな敵と共闘しろと。しかも、籠愛の任務をその敵に奪われる形になるなど。


「もう一度、考え直していただけませんか! 私はあの『蒼い炎』を突破する方法を見つけています! 敵の戯れ言など聞かずとも……!」

『客観的に判断した結果です。心苦しいですが、怪原理里の案の方が安全性は高い。ヒッポノオス、あなたの安全も考えてのことです。私はもう誰にも死んで欲しくないのだ』

「私は命など惜しくありません! 『命を使う』と書いて使命でしょう! それに殉じることができるのなら、私は本望です!」

『……何度言わせる! 『命を大切にしろ』と、わたしは言っているのだ!』


 手塩が声を荒げた。籠愛は黙らざるを得ない。


『……とにかく、これは決定事項です。アテナイ王テセウスの名において、英雄ヒッポノオスには従ってもらう。

 私は(しん)に貴方の、貴方たちのことを思って決断した。そのことだけは、忘れないでください』


 それだけ耳に残して、ぷつん、と、右耳のイヤホン型無線機は、声を発さなくなった。


「クッ……ソ…………」


 悶悶。ぐつぐつと煮えたぎる怒りだけが、籠愛の心に残る。


「わたしは……わたしは、みつけたんだ……蒼い炎の、攻略法を……!」


 その言葉だけが、見下ろす空にこぼれた。

 見つけたのだ。この柚葉市に惨劇をもたらした『青い炎』を、挑むもの全てを阻み凍らせるあの炎を打ち破る方法を。

 だというのに、(あるじ)は、それをするなという。滅ぼすべき敵と共闘し、滅ぼすべき敵の作戦で、かの怪物(キマイラ)の打倒に当たれという。籠愛の言葉には耳も貸さず。


「…………あなたは、わたしのことなど、何も考えてはいない……!」


 ぎりり、と。噛んだ唇から、血の粒が落ちた。



各国における死刑制度の採用についての情報は、2018年4月時点のものです。

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