3. harmonized fanfare
入学式は一時間ほどで終わった。入退場の際にどこからか「り――――く――――ん‼」と声が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。
(やれやれ……あの姉貴にも困りもんだぜ)
洗面所で手を拭きながら理里はため息をつく。
あのブラコン女とこれから一年同じ学校など、先が思いやられる。本当はこの高校には来たくなかったのだが、前期入試で志望校に落ちてしまい、次に通りそうな公立高校はここしかなかったのだ……親の負担と自分の将来を考えるとここに来るしかなかった。
「お、今朝はどうも」
と、低い声が耳に入ってきた。
「手塩先輩。どうも」
汗だくで生徒代表スピーチを読んでいた男がそこにいた。
「なんでここに? ここ一年生の棟ですけど」
「いや、君に少々お話がありましてね」
「えっ? 俺ですか」
理里は怪訝な顔をした。生徒会長が入学したての自分に何の用だ?
「大した用事ではないのですが、少々手続きがありまして。今から生徒会室に案内します」
「今から?」
あまり時間はない。今は入学式終了後の休憩時間で、もう少しでホームルームが始まってしまう。
「ご安心を、担任の先生には話を通してありますので」
「はあ……わかりました」
(生徒会の勧誘か? 姉貴のコネかなあ)
適当な予想をしつつ、理里は手塩について行くことにした。
☆
それなりにマンモス校である柚葉高校には、大きく分けて七つの建物がある。
最南端に正門があり、まず右に見えるのが理里たち一年生の教室がある五号棟。左側には体育館。
五号棟から連絡通路を渡り北側、食堂や図書館のある四号棟……通称「八角塔」を抜けると、二年生の特進クラス教室がある三号棟に辿り着く。
心なしか他の建物より古いその棟の一階の東端に、生徒会室はあった。
「どうぞ、手前の椅子に座ってください」
手塩にうながされて理里は先に部屋に入り、「受付」と書かれた机の前に座った。
戸の先にあったのは、なんだかごちゃごちゃした部屋だった。ロッカーの上にはいくつかのぬいぐるみ、教科書の山、そしてなぜか虫カゴ。背中が赤いクワガタが一匹ガサガサ動いている。
掲示板には色んなイベントのポスターと、「熱血」と筆で大きく書かれた和紙。部屋の隅に立てかけられているあれは、弓か?
「汚い部屋で申し訳ありません。役員の面々は私でも御しきれないものでして」
「マジっすか……」
言葉を失う。あの手塩でも制御できないとは、いったいどんな変人の集まりなのだ。
「それで、お話というのはですね」
静かに、ゆっくりと手塩が引き戸を閉める。心なしか、理里の心に緊張が走る。
……いや、これは緊張ではない。『悪寒』だ。これから何か良くないことが起きるのではという背筋の寒気だ。なぜそんな寒気を感じるのかは分からない。しかしはっきりと断定できる。「分かる」のだ。これから自分はろくでもないことに巻き込まれると。
「理里くん」
手塩の声が重い。元々低い声だが、なんだか重圧を感じる。それはこの場の雰囲気の重苦しさをも増大させる。聞いているだけで押しつぶされそうになる。頼むから、もう喋らないでほしい。その次の言葉を、どうか言わないでほしい。その瞬間、自分の人生の、何かが動き出してしまうような、そんな気がする。それが怖い。
……そして。
果たして、理里の悪い予感は的中した。
「君は、人間ではありませんね?」
「……!?」
なぜ、この男がそれを知っているのか。
「な、何の冗談ですか」
「とぼけても無駄です。君の家の人間……失礼。君の家の構成員が、全て強大な怪物であることは、とうの昔に裏が取れている」
「アンタ、何者だ……もしかして、同類か?」
それ以外に考えようがない。普通の人間に俺たちの正体を見抜けるわけがない。
しかし。
「ハッ。それこそ、冗談も程々にして頂きたい」
手塩は鼻で笑う。
「怪物が存在するというのなら。それを駆逐する『英雄』もまた、存在して当然とは思いませんか?」
「英雄……? もしや、国が俺たちのような化け物を掃討するために作った組織の構成員とでも? それとも、そういうことを請け負う仕事の人間が居るのか?」
「いいえ。そんな低俗なモノでもない。後者であれば、広義の意味で『英雄』と呼べる人間がいる場合もありますが……私は正真正銘の『英雄』ですよ。しかし、瞬時にそんな想像に至るとは。漫画の読みすぎですね」
「……放っといてくれ」
悪態をつく。その裏で、理里は恐怖に打ち震えていた。
手塩が本当に『英雄』だとするなら……重要なのは、この男の力量だ。俺の正体はリザードマン。尻尾が再生する以外に能のない、ただのトカゲ男だ。そんな雑魚モンスターの俺は、この『英雄』と名乗る敵を前に、果たして生き延びられるのだろうか。それだけが問題――
「『手塩御雷』とは、我が幾度目かのこの生における名。私の真の名は、〝テセウス〟。かつてクレタ島の迷宮ラビリンスにおいて、怪物ミノタウロスを討伐した者です」
――ああ、終わった。
ミノタウロスといえば、ギリシャ神話でも指折りの強大な怪物。牛の頭に人の身体を持ち、人を喰らう化け物だ。それを討伐した男などに、勝てるものか。
だが、勝てないとしても。
(『生き延びる』ことくらいはできるッ!)
理里が椅子から立ち上がろうとすると、手塩は顔を微笑に歪めた。
「ふふ、そう身構えずに。何も、殺すとはまだ言っていないではありませんか。それだけが目的であれば、なぜあなたのお姉様はご存命なのです?」
「……俺に何の用ですか」
「物わかりが良くて助かります。お姉様とは大違いだ」
手塩のいかめしい体がこちらにゆっくりと歩み寄る。
「では、単刀直入に聞きましょう。
――君の父親は、どこに居る?」
「…………」
かつてない殺気を灯らせた眼。恐い。
けれど、
「知りません。父は、十五年前に行方不明になった。それ以上の話は聞かされてません」
こればっかりはまったくの事実なんだから、仕方ない。
恐怖に震えている理里に、手塩は片眉を上げた。
「意外ですね。どうやら嘘をついてもいないようだ。となると、第二プランに移行しなければ」
第二プラン。その言葉の意味は明らかだ。
「…………そうですか」
「む? 何をっ……⁉」
手塩の首を、理里の両手が締め上げていた。
『俺は今、初めて自分の弱さに感謝してるよ。アンタみたいな化け物を、珠飛亜のもとに最初に向かわせなくて済んだんだからな! 珠飛亜には、指一本触れさせない!』
その言葉を放った口には、ズラリと鋭い牙が並び。
瞳孔は細くなり、黄色くなった瞳で、手塩を睨みつける中性的な美しさを持つ顔は、だんだんと緑色の鱗が生え、形を変えていく。
『シャアアアアアッ‼』
見る影もなく、完全にトカゲのものとなってしまった頭部。雄叫びをあげ、その舌から滴る唾液が、手塩の顔に飛び散る。
「ッ……汚らわしい!」
手塩も、負けじと理里の両手首を掴み、万力を込める。すると、
『ギャオォッ⁉』
ばきり。
鱗を押し潰し、骨にヒビが入る音。痛みのあまり、理里は手を放す。
「ぬぅんッ‼」
そのまま、理里は壁に投げ飛ばされた。柱が背骨を打つ。
『グヘァッ……!』
どさり。床に落ちる。
「奇襲をかけた所までは評価しますが、これほどまでに弱いとは。やはりハズレだったようだ」
歩み寄った手塩は、片手で理里の首をひっつかみ、持ち上げた。
『ギャウゥ、ガアア!』
「抵抗は無駄です。潔く冥府に向かうがいい、醜き獣よ」
(クッ……ソ……)
脳に酸素が回らなくなってくる。意識がだんだん遠のく。
(俺が……もっと、強ければ……!)
その中で、理里は心底、自らの弱さを呪っていた。
(俺は……今までずっと、珠飛亜に守られてきた……あんなどうしようもない奴だけど、それでも、辛い時は、いつも俺の隣にいてくれたんだっ……! だから、今度は俺が……守りたかった、のに……)
このまま、何もできないまま、俺は死んでいくのだろうか。あの人に恩を返せないまま、死んでしまうのだろうか。
(……嫌だ。そんなの絶対、嫌だ!)
『グアアアアオオオオオオッッ‼』
「……っ⁉ 貴様、何だ……何だ、それは⁉」
突如。金色の閃光に、生徒会室が包まれた。
光源は、理里の左目。蜥蜴男となり、黄色くなったその瞳が、これでもかと禍々しい光を撒き散らしている。
そして。
「ッ⁉」
理里の首を掴む手塩の右腕。その表面が、だんだんと白く、彫像のように、固まってゆく。
「……くっ!」
異変を察知した手塩は、まだ完全には硬質化していない肘を強引に動かし、理里を再び投げ飛ばした。理里は窓ガラスに衝突、大きな音を立てて破片が散る。骨組みにぶつかった理里は床にどさっと落ちる。しかし、まだ光は収まらない。
「チッ……!」
舌打ちをし、手塩は部屋を飛び出してゆく。
そして、理里は。
(ああ……何だ……? 何だか知らないけど、逃げてったな……左目が、熱くなって……眩しい……うっ)
シュウン、という音、そして少しの痛みと共に、左目の光が消える。
(何だったんだ……? もしかして、本当に、父さんが……あれ)
頭を巡らせかけたとき。強烈な眠気が、彼を襲った。
(なんだ……? 眠い……分からない、何も……
……ダメだ、耐えられない……)
意識が、徐々に薄れてゆく。目蓋が重い。
抗えぬ微睡みに負け、理里はついに眠りの深淵へと落ちていった。
《異能力図鑑》
・石化の左眼
保有者:怪原理里
効果範囲:光の届く範囲
石化の光を放つ能力。ただし、力の弱い理里は体力を大幅に消費し、使用後は数日間昏睡状態に陥る。
この光を照射された有機物はたちまちにして石化し、生物であれば生命活動が停止して死亡する。