BLAZING CHIMAIRA
「任務完了。これより死体の処理に移ります」
綺羅と友人たちが別れたT字路で、卜部籠愛は耳に装着した無線機のマイクにつぶやく。
目の前には切り刻まれた少女の骸がある。ばらばらになった肉体は、皿に盛られたグレープフルーツのように地面に積み上がっていた。
頭部だけは形を保っている。おそろしい断末魔の形相のまま時を止めている。
「……」
籠愛は心を痛めるが、思い直す。この少女だったものは恐るべき怪物でもあったのだ。
「"空気の支配者"『圧縮』」
籠愛が能力の名をつぶやくと、辺りの風が少女の亡骸に向かって行く。
空気を強く圧縮させると高熱を発生させられる。それによりこの遺骸を溶かして回収し、グッピーの餌にすれば任務完了だ。
「気の毒ですがこれも運命。やはり貴方の幕を引くのは、私でなければならないようだ」
あの怪物が現世に転生しており、可憐な少女の姿を纏っているとは思いもしなかった。
現代の彼女は何も悪いことはしていない。昔のように人を食うこともなく、平穏に生きていただけだ。そんな彼女を、魔神が魂の中に隠れている可能性があるというだけで殺さなければならないだろうか。
(だが、彼らを野放しにしておくわけにもいかん)
神々の方針に不満はあるが、テュポンは危険な存在だ。あれを放置しておけば幾千万の命が失われる。
優先すべきは最大多数の最大幸福だ。
「さようなら、キマイラ。君に冥福があらんことを」
空気が肉片の周りに集まって温度が上がっていく。景色が陽炎となる。
ぼう、と火が燃えた。
条件しだいで物質は自然発火する。籠愛が空気を圧縮させたことにより、綺羅の死体の発火点は低くなっていた。
赤の炎はやがて蒼く変わり、肉の焼ける異臭を漂わせはじめる。すでにこのあたりは麗華が人払いを済ませており、目撃される心配は無い。監視カメラも壊している。死骸が溶けていくさまを籠愛は眺めるだけ――
「……?」
いや、おかしい。炎が燃えているというのに、燃やされているものが凍っていく。肉片が氷のベールに包まれていく。
「どういうことだ……!?」
籠愛は空気の圧縮を強める。しかし青い炎が肉片を凍らせていくばかり。高熱で融解し液状化しはじめていたアスファルトが泡立った形のまま凍っていく。
「……新手か!?」
籠愛は辺りを見回して敵の気配を探る。だが発見できない。ここにある気配は籠愛と目の前の――
「!」
感じる。そこに、とてつもなく狂暴な意思が渦巻いているのを。
それは――溶けかかった少女の生首から放たれている。
『Gh…………Oah…………!』
首が唸る。獣のような声。異様に発達した犬歯をぎちぎちと軋ませている。
口から青い炎が漏れる。ぎらぎらと輝くその瞳も青く燃えている。
「首だけで生きている……のか……!?」
確かに怪物の生命力は並ではない。だがこれは常識を超えている。
『GUOOOOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHH!!!!!!!』
獣が咆える。
恐怖のあらわれだったのかもしれないし、あるいは怒りによるものだったのかもしれない。
だが籠愛は直感した。
これは、"目覚め"だと。
『GUOOOOOOOOOOOOOOOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!』
怪原綺羅が、キマイラが咆える。
「ぐわあ!?」
吹っ飛ばされた籠愛は生垣を破って民家の庭に突っ込む。土でブレザーが汚れる。
が、それだけでは済まない。
「これは!?」
咆哮のたびに綺羅の口から蒼い火の粉が散っている。散った場所を蒼い炎が凍り付かせていく。
籠愛も火の手を逃れられない。手の皮膚がパキパキと氷に包まれていく。
「……"空気の支配者"『突風』!」
すぐさま籠愛は風を吹かせる。触れたものを凍らせるとはいえ火は火だ、吹き消せば――
「……何」
籠愛の顔に動揺が浮かぶ。
綺羅から放たれる蒼い炎は風をものともせず、籠愛のほうに向かってくる。
(まさか具現化型の異能力か!?)
籠愛は悟った。
『具現化型』とは、「立体映像」を発動時に伴う異能力のことだ。意志のエネルギーが、異能力の対象となる場所に使用者のイメージを浮かび上がらせるのだ。
つまりこの蒼い炎は幻であり、触れたり消したりすることはできない。
(こういう場合本体を狙うのが定石だが……)
首だけの綺羅の周りは蒼い火の海だ。"空気の支配者"の効果範囲は半径たった三メートル、今の位置からでは風が届かない。
(……やむを得ん!)
打つ手なしと判断した籠愛はぴいっと指笛を鳴らす――刹那、曇り空に馬の嘶きが響く。
籠愛の頭上に黒い『渦』が生まれる。否、渦が生まれているのではない。空が、世界が、渦を巻いているのだ。
「――来たれ、天馬!」
号令とともに、渦の中から光が飛び出す。
純白の翼。銀のひづめの有翼の馬。
かつて英雄ヒッポノオスを乗せキマイラ退治に力を貸した幻獣、また蛇神殺しの英雄ペルセウスの朋友にして雷を運ぶ幻馬――ペガソス。
「HEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!!!」
空中でいななく天馬に籠愛は飛び乗った。
「麗華さん、想定外の事態です! 退却して態勢を立て直します!」
耳の無線機に叫びながら籠愛はペガソスの横腹を蹴るが、答えた麗華の言葉に彼の思考は止まる。
『なに言ってんのローちゃん? キマイラは異能を使ったら暴走するんでしょ? さっさと殺さないとじゃん』
「はっ……!? まさか!」
血相を変えて振り返り――籠愛は青ざめた。
少女の肉片が蒼い炎に包まれ、ゆっくりと宙に浮かび上がっていく。炎は肉片を糸のように繋ぎ、空中で断片を元の人型に結んでゆく。
『Gu……Oo……AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHHHHHHHHHHッッッッッッ!!!!!!!』
最後に浮かんだ頭部が、この世のものと思えぬ叫びをあげたとき――