旅立ちの夕に
《六日前――かけっこの翌日》
夕陽の差す生徒会室。
荷物をまとめ終わった蘭子が三人の役員を見まわした。
「世話になった。今日限りでわたしはテュポーン捜索の任務を終える。生徒会の仕事はこれからも行うが、この任務に関することは金輪際やらん。最後まで、迷惑をかけてすまなかった」
蘭子は深く頭を下げる。
「……まったくその通りです」
会長の席に座る手塩は、どこぞの特務機関司令のように手を組んで机に立てている。
「計画を無視して単独行動を取り、あまつさえ敗北するとは」
「まったくですよ。アリスタイオスを失った今、我々は苦境に立たされている……そんな中で貴方ほどの戦力が抜け落ちるなど信じ難い」
卜部籠愛が苦い顔でこぼす。彼は蘭子に背を向け、窓際から夕陽に燃える中庭を眺めている。
「いいんじゃなぁい。ランちゃんはランちゃんなりに吹っ切れたんでしょ? あたしは門出を祝うよぉ」
麗華は興味なさげにピンクのツインテールの先をいじくっている。
「……返す言葉もない。では、さらばだ」
蘭子が踵を返し、段ボール箱を抱えて部屋を出ようとすると、低い声が彼女を呼び止める。
「待ちなさい」
「?」
手塩。反射的に蘭子は振り返る。
「何だ、まだ恨み言が残っているか?」
「そんなものは尽きません。いくら言っても飽き足りない。
……だがそのすべてを省略し、これだけは今言わせていただきたい」
手塩は立ち上がり、蘭子に向かって歩み寄る。彫りの深い貌が彼女の眼をしっかと見つめた。
「な、なんだ改まって……」
戸惑う蘭子に手塩は上から眉間に皺を寄せる。
「正直、私は貴方のことがあまり好きではない。非論理的な思考や独自の正義で動く貴方を、最後まで理解できなかった。
……だが」
そこで言葉を切って、手塩は息をひとつ吐き、
「わたしに無いものを貴方は持っている。私が選べない道を選ぶことができる『心の力』を。ですので、」
彼は蘭子に背を向けた。
「貴方は貴方の道を往けばいい。心の、おもむくままに生きてください」
それだけ言い残し、手塩は席につかつかと戻っていった。
「……お、おう。ではまたな」
手塩の普段と異なる様子を脳が処理しきれなかったのか、蘭子はそそくさと部屋を出て行った。
戸が閉まった後、麗華は天井を見ながらつぶやく。
「珍しいね、テッちゃんがあんなこと言うなんて」
手塩は答えない。眼鏡の奥の茶色い瞳が何を思うのか、誰も知ることはできない。
代わりに彼は一言こぼす。
「大河くんだけでなく蘭子さんまでが失われた……これは少々、今後について考えなければなりませんね」
数々の難局を乗り切ってきた古王の頭脳が、策謀を巡らせ始める。
☆
《現在――二〇一八年四月二十七日 一六時三〇分 柚葉市立第二中学校前》
(来た!)
籠愛の視界にターゲットが映り込む。
中学校の正門から現れたのは三つの人影。前のふたりの後を遠慮がちに付いて歩くショートカットの少女が怪原綺羅だ。
大河が遺した彼女の行動データどおりだ。授業を終えた後、美術部の友人とともに学校を出る。部活は火曜と木曜しか行われないので金曜の今日は帰りが早い。
「…………」
談笑する彼女たちの死角に入りながら、籠愛は尾行をはじめた。
☆
いっぽう綺羅は、
(なんだろ、このかんじ……?)
前を行く友人たちのあとを歩きつつ、えもいわれぬ「寒気」に襲われていた。
この感覚は知っている。遊園地の恐竜に食われるアトラクションで感じたことがある……「食われる」という、本能的な恐怖が呼び起こす悪寒だ。だが、綺羅を襲ったそれは生半可なものではない。
ムカデが血管の中を這い回っているようだ。尋常ならぬ気持ち悪さに綺羅はめまいをおぼえる。
「だいじょうぶ、綺羅ちゃん!?」
倒れかけたところを友人の一人が抱きとめる。
「う、うん……ちょっとふらっとしただけ」
綺羅はなんとか笑顔を作ってふたたび歩き始める。だが、異質な「悪寒」はなおも彼女を苦しめる。
ひゅう、と吹く風が、小さなカマキリの骸を転がしていった。
〇万能の霊薬・ネクタルの所持数
蘭子:3本→0本
英雄たちのもとを去るにあたり返却。
手塩:2本→3本
籠愛:3本→4本
麗華:3本→4本
蘭子が返した3本を3等分。