41. Safety Zone
「おうい、我がいもうと。わがいもうとー?」
「……ほえ?」
柚葉市立第二中学校、二年三組の教室。午後の一〇分休み、綺羅は独想の世界から引き戻される。
帰って来た現実では、左目に黒い星のペイントをした少女が綺羅の目の前に手をかざして振っていた。
「あ、ひゅら。どうしたの?」
「それはこちらのセリフだ、朦朧として……ハッ! まさか瞑想によって魔力を高めていたのか!?」
「ちがうよ。それで、なに?」
きょとん、と首をかしげる綺羅に吹羅は苦笑で返す。
「我と話すときは全くどもらないのだな……実は国語の教科書を忘れてしまってな。神たる我に捧げるがよいっ!」
吹羅はふんぞり返って右手を綺羅に差し出す。
およそ何かを借りる者の態度とは思えない仕草だったが、綺羅は気にしないでうなずく。
「いいよ、ひゅらはともだちいないからきらにかりるしかないもんね」
「ごはあぁ!? き、きさまサド公か!?」
吹羅が吐血する勢いでせき込む。大げさなパフォーマンスも綺羅は意に介さず、机の横のリュックサックから教科書を取り出す。
「はい、どうぞ。またらくがきしないでね」
「……まあいい、確かに受け取った。それとあれは落書きではない、現世の物を魔具に変えるための魔法陣なのだからな」
いつもどおりの捨てゼリフを残し、吹羅は教室を出て行く。
隣のクラスに戻っていく背中を見送り、
(……うそじゃないもん)
綺羅は頬をふくらませる。
切に、吹羅をうらやましくおもう。何せどんな立場の人間に対してもあの態度。左眼のペイントなど明らかに校則違反だが、いくら注意されてもやめず、結局叱られなくなってしまった。
吹羅はとっさの場面の対応には弱いが、自分の主張は絶対に曲げない。口で負けても行動で押し通す。吹羅のそういった『強さ』に綺羅は憧れていた。
(あーあ、きらもあんなふうになれたらなぁ)
綺羅は昔から、他人を前にすると言葉がつっかえてしまう。自分の意見を言うことが苦手で、まして押し通すなどもってのほかだ。
あんなふうに『強く』ふるまえたなら、あのひととももっと楽しく話せるかもしれないのに――
そんなことを考えているうちにクラスメートの女子たちが寄ってくる。
「綺羅ちゃん、だいじょうぶ?」
「え、なんのこと?」
きょとんとする綺羅に女子生徒のひとりが教室の出入り口をにらむ。
「あの中二病、いっつも綺羅ちゃんに頼ってくるよねー」
「ほんと同情するわ。綺羅ちゃんはかわいいのに、あんなのが双子のお姉さんなんて」
「だ、だいじょうぶだよ……あはは」
彼女たちの心ない言葉に綺羅は笑顔を作る。
否定できない。否定したらどうなるかわからない。自分も同じように攻撃されるかもしれない。
傷つきたくない、だから取り繕う。この「すっぱさ」に耐えたら、大好きなあのひとが待っているのだから。
(……ごめんね、ひゅら)
綺羅は自分を守り続ける。それが双子の姉を裏切ることだとわかっていても。
最後に自分とあのひとさえ幸せでいられれば、それでいいのだから。
☆
黄昏時、春も三分の二にさしかかったこの時期はその時間がだんだんと伸びていく。
綺羅が通う中学校の正門前、ゴミ収集ボックスの陰にナナフシのような男が立っていた。
「アリスタイオス、そしてアタランテもしくじった……怪原理里、侮れない敵のようだ。だが彼はテセウス殿に任せておけばいい。
このヒッポノオスは、己の戦うべき相手と戦うだけだ」
青みがかった長い黒髪をなびかせ、新たな英雄が戦いに赴く。
このとき、まだ誰も知る者はいない。彼らと怪原家の戦いにより、人間社会を巻き込んだ『大災害』がここで起ころうとしているなどとは。




