40. 恋は諦観姿勢
恋の味ってどんなだろう。
怪原綺羅は近頃、そんなことばかり考えている。
曰く、「甘ずっぱい」と人は言う。ほんのり甘くて、つんとすっぱい。幸福と不幸、両方に転ぶ可能性を秘めた味だ。
けれど、どちらかに傾くのは『結果』が出てからで。どちらでもなく、一緒にいるときは甘くて、離れているときは酸っぱい。交互にやってくるから「甘ずっぱい」。
だとしたら、彼女が大切なひとに抱いているこの気持ちは普通と逆らしい。 ふつう好きなひとは家の外にいて、一緒に居る時間はみじかく、帰る時間がとっても長く感じる。
けれど綺羅はその逆。学校にいる時間は憂鬱でとても長く、おうちに帰る道は、足取りも軽くてあっという間に過ぎていく。
そのあと、あのひとが帰ってくるのを、今か今かと待つ。これがまた長いのだ。綺羅のほうが学校が近いし、授業が終わるのも早い。
そうしてやっと帰ってきたあのひとにかけよって、「おかえり」をいう。笑顔で「おかえり」をいう。あのひとも、それに笑顔で返してくれて、やさしく頭をなでてくれる。それがうれしくて、とっても「甘い」。
じゅんばんが逆なのだ。ふつうの恋が甘ずっぱくて、寝る前につらくなったりするものだとしたら、綺羅のものは「すっぱ甘い」。お外ですっぱい思いをしてから、おうちにかえると、とっても甘いものが待っている。
その点、綺羅はしあわせなのかもしれない。だけど、これがふつうの恋とちがうことも綺羅は分かっている。
ほんのいっときのあこがれ。決して結ばれないことが決まっている、たった一瞬の片思い――
そう自分に言い聞かせ、綺羅は今日もあのひとに、「おかえり」を言う。




