realize
「っ……!?」
突拍子もない希瑠の行動に、理里と恵奈は言葉を失った。
希瑠が噛みついた吹羅の胸と腹部から、どくどくと血液が流れ出る。
「あ……兄上……?」
吹羅はいまだに状況を理解できていない。虚ろな目のまま、己の身体を嚙み締める犬の頭を、ただ眺めるばかりだ。
「正気か、貴様? いくら不死身とはいえ、実の妹を攻撃するとは」
蘭子もまた驚き、スピードが少しばかり落ちる。
その、彼女の侮蔑するような視線を。紅い希瑠の瞳が、見返した。
「攻撃……そうとも。これは攻撃だ。ただし、貴様へのな」
「何ッ……!?」
次の瞬間。蘭子の動きが、ピタリと止まった。
今まで微塵も蘭子を足止めできなかった吹羅の腰から生える蛇が、地面に根でも張ったかのように動かない。それに引っ張られて、蘭子は動くことができない。
「これは……貴様っ」
「俺という「重石」をつけたところで、お前はまだ動けるだろう。が、「錨」ならどうだ?」
人間の頭蓋骨を先端に付けた、黒い骨でできた希瑠の三本の尾が、アスファルトの地面に深く突き刺さっている。
それだけではない。希瑠の脚もまた、四本とも地面にめり込み、半ば埋まってしまっている。
尾や脚を利用し、ただ重量があるばかりの己の身体を、希瑠はさらに地面に「固定」した。これにより、自分の体重以上の抵抗を、蘭子にかけることができるようになったのだ。
蘭子に語るのとは別の口で、三つ首の希瑠は吹羅にささやく。
(すまねえ、吹羅……でも、こうするしかないんだ。オレもかなり限界が来てる……『重力変向倍加』だけで奴に追い付いて、動きを止めるには、もう……)
「……!」
吹羅の目に入る、黒い犬の頭蓋の兜。その向こうに光る眼球から、血の涙が流れ落ちている。
レースが始まる前から、希瑠は"楽園の王"をフルに活用して、蘭子に追い付き、また蘭子を攻撃してきた。その代償が、ついに肉体にかかってきたというわけだ。
(『重力変向倍加』は、2つのことを1つの法で定める、いわば「合体技」……その分、負担も大きい。奴に届くには少し及ばなかった……
だから、ここで俺が「錨」になる)
そう。言い放った希瑠の声に、迷いは無かった。
(吹羅。お前は「鎖」になれ。あの獣を縛る、そして俺という「錨」と奴をつなぐ「鎖」になってくれ。俺と一緒に、あの野獣をここに縛り付けて、理里を絶対に勝たせるんだ)
自分はもう異能力を使えない。ならば、その状況下で最善の選択をしようと。そう願って、希瑠は吹羅に噛み付いたのだった。
吹羅は、驚きや戸惑いが無かったわけではなかった。はじめは憤慨すらおぼえた。だが、吹羅がそう思うことすらも承知で、希瑠がこの「勝利への道筋」を取ったことを、彼女は今ようやく理解した。
(……愚かだな、我は)
希瑠の思いも知らず、ただ困惑し、瞋っていた。そんな自分を恥じた。
考えられないことだったのだ。こんな変人の、何の取り柄もない、迷惑をかけてばかりの自分を愛してくれる家族が。そのひとりが、尊敬する兄が、何の理由もなしに吹羅を傷つけるわけがなかったのだ。
……で、あるならば。この程度の血を流すことで、大切な家族が、守れるというのであれば。
(今こそ、恩を返す時ではないのか!)
「……委細承知!」
きっ、と吹羅は蘭子の方を向く。
「やい、そこなる獅子女!」
「あァ……?」
今もなお、歩を進めようと踏ん張る蘭子が振り返る。その形相はまさに「鬼」。怒りを満面に湛え、目に映るもの全てを喰らい尽くさんばかりである。
しかし、吹羅はひるまない。
「貴様のことは我ら兄妹が、一歩も動かしはしない! 例え天の牡牛に引かれようとも放してやるものか! 我が宿敵……怪原理里が貴様を追い抜く様を、指をくわえて見ておるがよいわ! わははは、わーっはっはっはっはっはっは!!!!!!」
その笑い声は、わずかに震えている。顔色も青い。
だが、だがその「信念」だけは本物だった。爛々と黄色い目を輝かせて、吹羅は震える手で、しっかりと。
蘭子に向かって、中指を立てた。
☆異能力解説☆
・楽園の王『重力変向倍加』
「重力を倍加したうえで、その向きを変える」という、2つの効果を1つの法にまとめた技。
このような「合体技」は希瑠の負担が大きく、短時間しか使うことができない。
☆異能力の代償
通常、異能力者は「魂のエネルギー」を原動力に、その能力を発動している。それはすなわち精神力であり、使うと精神が疲弊していく。精神の疲労はやがて肉体に影響し、場合によっては死に至る。
ただし、大規模な能力でなければ、そこまでのダメージを受けることは無い。希瑠の能力は、限定的ながら「世界の法則」そのものに作用するため、精神エネルギーをかなり消費する。