162. Battle 8 VS. Árēs
八度目の開戦の鐘が高らかに鳴る。
二本の長槍を構え、ヘラクレスの眼前に仁王立つのは、赤い鎧に身を包んだ神。いかめしい体格から男神だろうと分かる。
「久しいなァ、ヘラクレス!!」
鎧と同じ真紅の兜で顔を隠したその神は、槍の穂先をヘラクレスに向ける。
「以前戦った時はゼウス様の雷で仲裁されたが、今回はそれはない! この神界最強のオレ様が、キサマをぶちのめすのを衆目に晒せるわけだ!!」
「アレス……減らず口は変わらないな」
高慢にヘラクレスを見下す男神の背丈は、ヘラクレスより少し高い。現代の尺度で3mを少し超える程度だ。
両者を眺める観客は次のような態度。
「アレス様、本当に大丈夫か……?」
「戦いの神といわれてるが、勝った話聞いたことないぜ……」
「腕っ節は強いが、ただの乱暴者じゃヘラクレスには勝てないよなぁ」
アテナの時と違い、観客たちはアレスを冷ややかな目で見つめている。ヒュドラ達もそれは同じだ。
「なんだあの噛ませ犬感マシマシの神は!? めちゃめちゃ弱そうではないか!!」
「そ、そんなこと言っちゃ可哀想だよ……」
たしなめるカルキノスの瞳からも、アレスへの侮りが見える。
「ふむ、確かにアレス様は腕っ節以外に特別な力があるとは聞かん。だが、それだけでオリンポス十二神の座は保てんぞ」
冷静にアレスを注視するルピオネにラードーンは笑う。
「考えすぎだろ。あのアテナさえ負かしたヘラクレスが、今さらあんな脳筋に負けると思えないね」
「神々を甘く見るな。あの方々は、われわれの想像が及ぶ存在ではないのだ」
木彫りの目を光らせるルピオネに、ラードーンはやれやれと首を振った。
☆
「何年ぶりか……己が貴方の息子を殺した時以来か」
ヘラクレスが呟くと、アレスは眉を吊り上げる。
「応とも! キュクノスをブチ殺したこと忘れはせん、今度こそ報いを受けさせてくれる!」
槍を構え、アレスが突進する。しかしヘラクレスは微動だにしない。
「どうした、得意の雷神化は使わんのかァ? オレの槍に貫かれる覚悟があるのだなァ!」
ぶうん、と風を纏って突き出される槍を、ヘラクレスは紙一重でかわす。
「……」
「なァんだ、黙りこくって! メドゥーサに口を固められたのか? ふっははは!」
アレスの軽口にもヘラクレスは動かない。
「……デクの坊が。ならば早々に討ち取ってくれる!」
アレスがふたたび突進する。飛び出す右の槍。ヘラクレスは一歩前に出てそれを躱し、同時に鉄拳を繰り出す。
だが、
「ハハァ……その程度か!」
「……!」
アレスは拳を避ける事もせず、真正面から受け止める。岩のようなヘラクレスの拳はアレスの兜の正面を直撃する。
アレスは一歩も動じない。
それどころか、
「つっ……!」
殴ったヘラクレスの右の拳がパン、と果実のように弾けた。
破裂する鮮血に、客席から悲鳴が上がる。
『おお――っと、ヘラクレスの鉄拳はアレス様には通じず! さすがの英雄神も、戦いの神には歯が立たないか――ッ!?』
実況が闘技場に響き渡る。それに一瞬顔をしかめてヘラクレスはつぶやく。
「その鎧、何かあるな」
「フフ、気づいたか、ヘラクレスよ!!」
アレスは得意気に槍を掲げる。
「この"アエレウスの鎧"はいかなる攻撃のエネルギーも相手に跳ね返す! 我が愛する女神より贈られた天界の至宝だ!」
そう言ったアレスが、闘技場2階の豪奢な席に目を向ける。
「もうアレスったら、情熱的ねぇ」
「V」の数字が書かれた椅子に座る金髪の女神が、薄桃色の唇を微笑にゆがめる。「Ⅷ」の席に座す、気難しそうな男神は、その様子に歯ぎしりをしていた。
「奴め、人前で堂々と……アフロディティはこのワシの妻だぞ! あんな鎧を作らなければッ……妻の挑発に乗らなければ……」
頭を抱えるその神の恨み事など知らず、アレスはヘラクレスに向き直る。
「今日は愛するその女神もオレの勇姿を見ている! 戦いの神として、『漢』を見せさせて貰うぞッ!」
「ッ!」
アレスの槍がヘラクレスを狙う。その連撃を捌きつづける中、ついにその一発がヘラクレスの頬をかすめる。
――と、
「ッ!?」
ヘラクレスの頬が爆弾でも仕掛けられていたように爆発した。
「っ……お……!」
思わず動きが止まるヘラクレス。
「!!!」
「死ねェ!!!!」
アレスの槍が襲い来る。紅く鋭い槍の先がヘラクレスの腹筋を狙いーー貫いた。
だが、
「フフ……さすがに使ってくるか」
「……こんなに早く使わされるとは思わなかったがな」
貫いたのは肉ではない、雷。雷神と化したヘラクレスの雷の体だ。
「だが、効いているな?」
「ぐうッ……!」
雷神ヘラクレスが、表情を苦悶にゆがめる。
「この槍、ルピオネの物と同じ……!」
「応とも、魂に直接痛みを与える神槍だ!
神には肉体が無い! であれば、その神と戦う武器は、自然とそれに痛みを与えられるものになろうよ!」
「ッ……!」
ヘラクレス自身も神となって知った。神とは、肉体に宿らずとも世界に存在できる魂。それでいて絶大な力を振るう存在であり、不滅なのだと。
「神を殺す手段は存在しない! 神と神の戦いは、どちらかが力尽き降参することによって終わる!
そこまで相手を追い込むのが神同士の戦いよ!」
「不毛だな……命尽き果てるまで戦うことができんなど!」
「ふふ、その通り。だからこそ、肉体に宿っての戦いがオレは好きなのだ!」
アレスは汗をほとばしらせながら、快晴の空のように青い瞳を輝かせる。
「この体の限界を感じながら、そのギリギリまで、全てを賭けて戦う快感! 敗れれば容赦のない死が襲い来る! このヒリつきがいいのだ!」
「つまり貴方にとって、戦いは娯楽なのか」
「応とも! この世に二つとない愉しみだとも!」
「……ならば己が、貴方に負けることはあるまい」
「……あ?」
槍に貫かれた雷神ヘラクレスの言葉に、アレスの額が青筋を浮かべる。
「貴様、状況を見て言えよ。すでに貴様は相当に追い詰められているが?」
「だからどうした。戦いを遊びだとのたまう者に、己は負けん」
「洒落臭いわァ!!!!!」
ぐり、とアレスが槍で雷神ヘラクレスの腹をえぐる。
「だったら見せてみろ、貴様がどこまで戦えるのかなァ!」
ヘラクレスを突き刺したまま、アレスが槍を持ち上げる。ぶうん、と振り回し、ヘラクレスは闘技場の壁に向かってすっ飛んだ。
「っ……!」
すぐさま、来る、追撃。
吹っ飛んだヘラクレスが闘技場の壁に衝突する前に、アレスの顔がヘラクレスの目の前に来る。
「オラァ!!!」
ふたたび腹部を突き刺されるヘラクレス。アレスが槍を振り回し、今度は闘技場の反対側まで吹っ飛ばされる。
「ぐおっ……!」
「遊びだの! 遊びでないだの! そんな事は人の認識次第だ!
オレはこれが最高に楽しい! それを否定する奴はゆるさんッッッ」
激高するアレスが、宙に浮いたままヘラクレスに槍を向ける。
壁にめりこみ、今や雷と肉体が点滅しているヘラクレスは、しかし瞳の光を絶やさない。
「否定は、しないさ……
だが、己にとって戦いは、存在意義だ……賭けるものの重みが、違うのさ。
己は”力”だけを持って生まれてきた……それ以外に何のとりえもない。
それだけが、己の存在理由なんだ……!」
「だから何だ!!!」
アレスが槍をヘラクレスに向ける。
「強さ、弱さ! それは努力と生まれ持った才能が決する! そこに臨む動機の種類など何でもよかろうが!」
「なんでもよくは、ないさ」
壁にめりこんだ指が、ぴくりと動く。
「生き物が、最も強くなるのは、大事な誰かのために戦うときだ。
ずっと自分のために戦っているアナタが、真に強くなることなど……」
巨体に、力がみなぎる。
「決して、ないッッッ!!!!!!」
どうん、と胸を張るヘラクレス。山のようにみなぎる大胸筋、その衝撃で体が壁から外れ、一直線にアレスへと飛んでいく。
「ほざけ! 返り討ちにしてくれる!」
両手に槍を構えるアレス。しかしヘラクレスは、突き出されるその穂先を破裂した右手ではたき落とす。
「なにいッ!?」
「うおおおおおおおおおおおッッッッッ!!!!!!!!!!!!」
残った左の拳がアレスに迫る。
「ハハ、気でも狂ったか! いかなる攻撃もこの鎧は跳ね返す……」
「オラァ!!!!!!!」
拳。
一撃のもとにアレスは吹き飛ばされた。
先ほどのヘラクレスと同じように闘技場の床に激突。その目にすでに光はない。
「あらゆる攻撃を跳ね返す鎧……その力にも限度はあろう。
己の信念の拳は、神器にも勝ったようだな」
鳴り止まぬ歓声のなか、ヘラクレスは白眼をむいたアレスを見下ろしていた。




