159. Battle 7 HERO
《――闘技場――》
『おおっと、どうしたんだヘラクレス! アテナ様に触れられた途端、動きが止まってしまったあ――っ!』
ヘラクレスは、アテナに目元を掴まれた時点で静止していた。拳をふりかざし、女神にぶつけようとした体勢のまま。
『一体何が起きているのでしょう!? 解説のケイローン先生!』
『いや……私にも、詳しいことは分かりかねます』
ケイローンの声にも戸惑いが露わだ。
『アテナ様はご自分の権能の事を語られません。「全てを知る」と言われますが、どのような仕組みなのかも不明。そしてその先に、どのような力が隠されているのかも……
我々は今、明かされなかった力の真価を初めて目にしています』
仁王立ちのヘラクレスは微動だにしない。雄叫びをあげる大きな口も、腕に浮き出た血管も、ぴくりともしない。
ーーと、ここで動きがある。
「ーーーーなんだ、あれは!」
ヘラクレスの体が、突然炎上し始めた。稲妻のような髪が燃え上がる。観客から悲鳴が上がる。皮膚が焦げるような臭いを放ち、火の手をあげる。
『燃え始めた!? どういうことなんですかあれは!』
『分かりません……アテナ様の権能によるものである、という事しか。解説として口惜しい……!』
ケイローンも歯噛みしている。
「『思い込み』だよ」
アテナが笑う。
「彼の魂は今、太陽の倍の熱を持つ星に突進している。その効果が肉体にも現れたのだ」
『……どういう意味でしょうか!?』
『……そうか! そういう事か!』
ピンとこない実況に対して、ケイローンは何度もうなずく。
『アテナ様は、「全智」の権能で得た知識を他人に流し込めるのだ……! おそらく相手に触れる必要はありますが。
それによってヘラクレスは今、遠い宇宙の出来事を追体験させられている! 太陽のような火の玉に突っ込んでいく体験を!』
『なんと……そんなことまでできるとは、流石アテナ様……! ですが、知識を流し込まれただけで人の体が燃え上がるでしょうか?』
『アテナ様の知識は単なる『情報』ではないのです。そこにあった熱や景色といった『感覚』まで、相手に体験させることができる。例えば冷たい氷に触れる感覚を流し込めば、相手は凍傷になるでしょう』
『それは……触られた時点で終わりでは?』
『ええ、そうです。
アテナ様はこの切り札を隠したまま、ここまでヘラクレスと戦っていたことになります』
『そんな……やはり神々の強さは一段違うというのでしょうか!? ヘラクレス、絶体絶命ィーーーーッ!!』
★
常人の肉体がすぐに蒸発する熱の中、ヘラクレスはまだ生きている。
その尋常ならざる生命力は、人の身を超えた耐久性をもつ肉体に担保されている。最も明るい星の炎を受け、ヘラクレスの体はなお、辛うじて残っている。
(己はーー)
我が身は太陽に向かっている。絶対的な熱の塊に向かい、消滅する事が約束されている。
だが、それでも彼は。
(己は、負けないーー
負けられないんだ。後に続く、英雄たちのために……)
燃える拳を、握る。
(己の生は……決して、幸福ではなかった。
生まれてすぐに蛇に殺されかけた。何度も月に愛され、大勢の人間を殺した。それを償うために、試練を超えつづける人生だった。
だが、そんな己にも、生きていて良かったと思える瞬間があった)
脳裏に、ひとりの青年の顔が蘇る。
『ヘラクレス! あなたに会えるなんて夢のようです……!』
アマゾーンへの遠征で出会った青年。名をテセウスといった。
品のある精悍な青年は、ヘラクレスを見るなり目を輝かせてその両手を掴んだ。
『あなたの名は全アルゴスに轟いています!
ヒュドラ退治の話を知らない者は居ません!
あなたの武勇に憧れ、励まされている者が何人も居ます。私もその一人です!』
その時、思った。己の戦いは、ただの贖罪ではなかったのだと。
(己の武勇で、力を与えられる人間がいる。
強すぎる膂力を忌み嫌われ、かつては怪物と揶揄されたこの身。だが、そんな己だからこそ、誰かに勇気を与えることができる!!
ならば、己はーー
彼のような者たちのために、絶対に、負けられない!!!!!)
溶けゆく炎の瞼が開き。
そしてヘラクレスの体は、灰となって消えた。




