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星狩りのレプタイル ー邪眼のトカゲと夜空の英雄たちー  作者: 若槻味蕾
第6章 第3節「追想:新・十二の功業」
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158. Battle 7 シリウス

 雷神化したヘラクレスが幾本もの雷を放つ。アテナはその全てを盾で弾き返す。

 アテナの動きは素早くはない。ゆるやかな動きで、ときどき身をひねりながら、雷をかわし、跳ね返す。元々その場所に攻撃が来ることを知っているかのように。


「女神サマに向かって無礼だが、気味が悪いな! 数手先が見えているかのようだ!」

「そうとも言えるが……少し、違う!」


 瞬きのうちにアテナの槍が突き出される。ヘラクレスは避けずに透過する構えだが、


「ぐわあ!?」


 当たる。雷の脇腹が()げている。


「これはっ……!」

「私は全てを識っている。君の、その身体の弱点も」


 アテナは微笑を浮かべる。その槍の石突から、髪の毛ほどの糸が地面に伸びている。


「この、力が吸われる感覚……! ラードーンの戦法と同じか!」

「雷を地面に逃がすという点ではほぼ同じ、だな。いずれ人類も知るだろう、こうした雷の避け方を!」


 後の世で「アース」と呼ばれる技術である。


 盾で雷を()()()、アース付きの槍でヘラクレスの身を削るアテナ。英雄の雷身の輝きが、少し弱まる。


(くう、嫌らしい戦法を取る……しかし我が雷をここまで受けきるとは、さすがヘパイストスの()った盾!)


 かつて神帝ゼウスに乳を与えた山羊、アマルテイアの皮が張られた盾。あらゆる邪悪を払う、オリンポス最高の防具・アイギス。

 その中心には、紺碧のオリハルコンの蓋が()められており、同じ材質の鎖で厳重に固定されている。



(願わくば、あの封印を開帳させたい……!)


 あの蓋の向こうに、かの蛇神メデューサの首が嵌められている。

 それは、戦いに誇りを持つアテナにとって最後の切り札のはず。それを使わせるところまで彼女を追い詰めたい、いや、追い詰めねばならぬのだ。


「……!」


 ヘラクレスは連撃を止める。そして一歩飛び退き、


「……ふんッ!」


 次の瞬間、()()()()()()()()


『……ええええええ!?』

『何やってんだよヘラクレス! 攻撃が当たっちまうぞ!』


 客席にどよめきが広がる。


「……ほう」


 アテナの口角が下がり、右眉が上がる。


「大きく出たね。私は君の全てを識っていると伝えたはずだ。

 君が次に立つ位置も、雷を落とす方向も全てだぞ。君が肉体に戻れば、私はその場所に槍を置くだけでいいのだが?」

「それが何だ!」


 ヘラクレスは声を張る。


「貴女は確かに(オレ)の動きを有り得ないほど正確に読む! だがそれがどうした?

 動きを読めたからといって、(オレ)に付いてこられるとは限らない!」

「学習しない子だな。私が『付いてこれる』のは、ここまでの戦いで十分わかっただろう」


 確かに、アテナは雷と化したヘラクレスのスピードに生身のまま対応していた。


 だが、ヘラクレスは。


()()()()()()! たとえ貴女がどれだけ強かろうと、(オレ)はそれを超える!

 なぜならば……それがこの(オレ)、ヘラクレスだからだ!」


 瞳が、輝いている。


 ぎょろりと大きく黒い瞳が、今、これ以上なく爛々(らんらん)と輝いている。


「……ふふ」


 アテナの口から、今までとは異なる笑みが漏れた。


「あっははははは!! なんだそれは! まるで理屈にならない!」


 常に余裕を見せ、気取っているとも取れたアテナが、兜の向こうで笑っている。


「なるほど、私の問いに答える気は無いわけか。相手の調子に合わせず、ただ己の力で全てを打ち破るその姿勢、好ましいぞ!

 ならば、私も全力で応えよう」


 そう言うと、アテナは兜の耳のあたりを軽く叩く。

 すると、兜と鎧が、突然弾け飛んだ。


「うおおお!?」


 鎧を脱いだアテナはーー裸体だった。

 乳首と局部を隠す銀の下着のみが彼女の身に張り付いているだけだ。客席で悲鳴と鼻血の嵐が吹き荒れる。


「何だ、随分と色っぽい格好になったな。貴女の全力とは色気だったのか?」


 ヘラクレスがうそぶくと、アテナはやれやれと笑う。


「そう言いたかったところだが……違う。これが、私が投げ続けていた『謎』の答えだ」

「?」


 首をかしげるヘラクレスにアテナは語る。


「私の権能は『全智』。肌が世界に触れている間、この世界の『記録』を全て知ることができる。君の魂がどう動き、次に肉体をどう動かすつもりなのか。雷の弱点は何なのか。全てはこの世界に記録される。それを読み取れるのが私の権能だ」


「ふむ……そして、全力を出すのに肌を晒すということは」


「肌を晒すほど得られる情報は多くなる。当然だ、魂が世界に触れる面積が広がるのだから。

 私の魂に今、とめどない知識が流れ込んでいるよ。この宇宙たる混沌神(カオス)、その魂に刻まれた記憶から、今、君を倒すためだけの知識を膨大に取り入れている」


 そう(のたま)うアテナの瞳には、銀河のような渦が巻いている。


「ふうん……よく分からんが、知識だけで己《オレ》を制せるならば、この世で最も強いのは学者だろう。その盾の封印を解いたらどうだ」

「ふふ、これは禁じられし力。神の敵にのみ振るう力だ。君が神に弓引くのなら、使ってやらんこともないが」

「ハハ……遠慮するよ」


 両者、談笑しながらも目は笑わない。


 アテナの細腕が槍を構える。ヘラクレスもまた、彼女の目を見て拳を構える。


「ーーーー!」


 地を蹴る豪脚。ヘラクレスが跳ぶ。

 対し、アテナも跳躍。身をひねって槍を振りかぶり、英雄の首を狙う。


「ーーッ!」

「ウオオオオオオオオオッッッ!!!」


 ヘラクレスの腕をすり抜け、喉元に迫る槍の穂先。


「ぬう!」


 ヘラクレスは体を反らしてそれを避け、膝蹴りでアテナを狙う。


「ハ!」


 だがアテナは軽業のようにヘラクレスのむこうずねに飛び乗り、再び槍を放とうとする。しかし、


「落ちろォ!」


 ヘラクレスが身をひねり、足場だった()()()()()が垂直になり崖に変わる。落下するアテナに襲い来るヘラクレスの手刀ーー


「ハァ!」


 受ける神盾アイギス。オリハルコンの封印の蓋がへこむ。


 その陰から突き出される槍ーー


「読んどるわァ!」


 槍の穂先をむんずと掴み、ヘラクレスは槍ごとアテナを投げる。そのまま地面を蹴り、逃げ場を失ったアテナに拳を叩き込むーー



「ーー"読んだ"とおりだ」


 ーー途端、ヘラクレスの背筋を襲う悪寒。


(何だこの寒気は)


 人生で初めて味わう感覚だった。まずい、と頭では分かっているが、身体が追いつかないことを自覚している。決定的な攻撃が、自分を確実に死に導く行為が今から襲い来る。その確信に対する恐怖。

 奇しくもそれは、彼と相対した全ての敵が、最初に彼から感じたものだった。


 アテナは槍から手を離していた。盾でヘラクレスの拳を受け流し、落下する勢いで、槍を持たない右の手のひらが彼の顔を掴もうと襲い来る。


 ガシ、と目元を掴まれた途端。





「ーーーー!?」


 彼の身体は、どこか暗い場所に()()()いた。


 上下左右、あらゆる方向に星が瞬いている。夜空に放り出されたようだ。

 地面はどこにもない。ただ、ヘラクレスは浮いて、クラゲのように漂っていた。


「ここは、どこだ……? アテナとの戦いは……? 十二の功業は……?」


 問いかけると、どこからか声が聞こえた。


『やあ、夜空の旅はどうだね』


 女の声。つい先程まで死線を交わした彼女の声。


「アテナ! やはり貴様の仕業か!」

『そうだ』

(オレ)に一体何をした!? ここは何だ!」

『心配するな、君が今見ているのは「記録」にすぎない。君の魂と肉体は、今もオリンポスの闘技場にある』

「何ィ! となるとこれは夢か! 幻覚か!?」

『違う。これは「記録」だ』


 アテナは淡々と、混乱するヘラクレスに語った。


『私は相手に触れることで、世界の「記録」を共有することができる。君が今見ているのは、数万年前から夜空を漂い続けている、ある「岩」の記録だ』

「岩……だと」

『そうだ。この君の体ほどの大きさの岩が見たものを君に見せている。もちろん岩に目なんて無いから、人間の視力で見える範囲の視覚情報を再現してある』

「なぜそんな事を?」

『それは……今から見せてやろう』


 アテナの声が意味ありげに笑った刹那。ヘラクレスの眼前を、()が覆う。


「うおお!?」


 余りの(まぶ)しさと熱気に目を背けたくなるが、目を閉じる事ができない。当然だ、今のヘラクレスの視覚はアテナの流す情報に支配されている。

 そして、


(熱い!)


 空気がとてつもなく熱い。火の窯の中に投げ込まれたような暑さ……いや、熱さだ。焼きごてを全身に当てられているような。


 三秒、四秒と経過し、やがて目が慣れると、()の表面はなめらかに湾曲していることが分かってきた。すべらかな球体のような――


『どうだ、驚いたか?』


 再びアテナの声。


「……アテナ! これは何だ!」


 どこへともなくヘラクレスがわめくと、余裕に満ちた低い声が返ってくる。


『「記録」を早送りさせてもらった。先の時点から百万年ほどね』

「なんだと!?」


 もはやヘラクレスの脳では理解が追い付かない。アテナは淡々と語る。


『先の時点の記録では、君への攻撃として退屈すぎる。この岩の辿った道程は果てしないが、その(ほとん)どは暗黒の中を漂っていただけだ。この岩の生涯が輝くのは、たった今から始まる「最期」の時なのさ』

「な……に……」

『君も気付いているだろう? その岩の身体が、「白」に近づいている事を』

「……!」


 確かに。なめらかな「白」の表面の、球体の角度がどんどんと緩やかになっていく。すなわち、その表面にヘラクレスが近づいているという事だ。


 そして、身体を襲う熱の温度も、だんだんと上昇している。


「これは……なんなんだ!」

『ふふ、想像がつかないだろうから、答えを言おう。

 君は今、「シリウス」を人類で最も間近に目にしている』

「何……? その名は……」


 かつて、アテナイのケパロスが所有した猟犬・ライラプス。獲物を必ず捕まえる力を持っていたが、追っ手から必ず逃げ切る狐を捕まえられず、狐とともに星座となった犬。その牙に位置する、夜空で最も明るく輝く星の名だ。


「あれが……シリウス……?」

『そうだ、最も輝かしき武勇を残した英雄よ。おまえの命を焼き尽くすのにふさわしいだろう?』

(オレ)の、命を……いや、待て。いま(オレ)は『記録』を見せられているだけのはずだ。それがなぜ(オレ)の死に繋がる?」


 ヘラクレスが疑問を投げると、アテナは得意げに答えた。


『人間の認識能力には限界がある。太陽の倍近い表面温度を誇るシリウスに接近して燃え尽きたこの石が感じた熱に、君の魂は耐えられない。魂が「死んだ」と認識すれば、肉体も死ぬのだ』

「ほざけ……! そんな錯覚などで(オレ)が死ぬか!」

『そう思うのなら耐えきってみせろ、ヘラクレス! この(アテナ)に、少しでも追いすがってくるがいい!』


 その弾んだ台詞(セリフ)を最後に、アテナの声は聞こえなくなる。そして、極大の光がヘラクレスを包み込む――


「うおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!」

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