14. SUMMIT OF MONSTERS
畳にあぐらをかいた希瑠は理里に目を向ける。
「英雄たちは、全員柚葉高校の学生だ。となると、誰が狙われる可能性が高いと思う?」
「そりゃ、俺と珠飛亜だろうな」
理里が首肯する。希瑠はそれにうなずき、続ける。
「そう、お前たちだ。奴らの生活圏にいちばん近いわけだから、最も攻撃を仕掛けやすいんだ。……もちろん弱い順に狙ってくる可能性もなくはないし、その場合だと綺羅が狙われることになるが……その場合は吹羅がついているから問題ない。
となると、現状最も危ないのはおまえたち二人だ。ここまでは分かるな?」
「……ああ」
その辺りは、理里も理解していた。理里も珠飛亜も、無敵と呼べる異能を持っているわけではない。確実な必勝の手を持っているとは言えない。
沈んだ表情になった理里に、希瑠は笑って続けた。
「さっきも言ったが、俺はお前の意思を尊重したいと思ってる。それがお前の成長につながると信じてるからだ。だから、これから俺は、『お前たちだけで英雄を倒す』方向で話を進めたいんだが……そこで、お前にひとつ質問したい」
ここで、希瑠の声が引き締まる。
「お前は、『やられる前にやる』ことを、正しいと思うか?」
『正しい』のところに重点を置いて、理里の貌を真摯に見つめ、希瑠は問うた。
理里はひととき黙考する。
「…………」
「大丈夫だ、正直に言ってくれて構わない。理論的な話じゃなく、お前の感性に聞きたいんだ」
「……言っても、いいかな……」
「ああ。気は遣わなくていい」
少し頭を掻いて、理里は答えた。
「理屈の上では正しいと思う。けど、感覚的にはどうしても、気が引けるんだ。自分のために、相手を殺しに行くってのは」
「そうだろうな。だが、奴らに奇襲をかけられて、生き残れると思うか? もしかすると、狙撃手の英雄がいるかもしれない。頭をぶち抜かれて生き残れるほど、お前はタフじゃないだろう?」
「……そう、だな……」
理里は言葉を返せなかった。
希瑠の言葉に間違いは無い。理里の意見は、ただのわがままな欲望にすぎない。自分ひとりが『正しく生きたい』という身勝手な欲望だ。大義は、家族全員を守ろうとしている希瑠にある。
うつむいた理里を、希瑠は真剣なまなざしで見つめた。
「そういう点から、俺達の側から英雄を襲撃することを了承してほしい。こればかりは譲れないんだ、分かってくれ」
「うん、分かったよ。俺たちの命が一番、大事だもんな……」
表情に影を落としたまま、理里はうなずく。
そんな理里を気にかけてか、希瑠は肩をすくめた。
「気を落とすんじゃないぜ、その『正しさ』はお前の美点さ。今回はやむを得ず、それを曲げるだけのことだ……
お前は、清らかな心の持ち主だ。その心、いつまでも大事にしろよ」
希瑠はニコッとはにかんで、理里の髪をなでる。理里は、気分が明るくなったような気がした。
「……ああ!」
目覚めてからはじめて、理里は顔をほころばせた。
「さて、これで方針は決まったわけだが……ひとつ大事な問題がある」
「?」
悩ましげに眉を寄せる希瑠に、理里が首を傾げる。
「何だ?」
「……実は、珠飛亜がまだ目を覚まさないんだよ」
「えっ、そうなのか」
それほど重傷だったのだろうか、と考えかけて思い出す。珠飛亜が有村大河との戦いで、火だるまならぬ蜂だるまになっていた光景を。
「まあ、当然か……」
理里たち"異形"という種族は、余程の致命傷でなければ死ぬことは無い。基本的にどんな傷も寝れば治る。腕を吹き飛ばされようとも、寝れば再生する。眠る時間が長いか短いかの違いでしかない。
この力には及ばないが、理里もある程度常人を超えた再生能力を有している。切れた尻尾が再生するほか、傷の治りも人間よりは早い。さすがに失った手足が再生することはないが。
「かなり手ひどくやられたみたいだな。全身が真っ赤に腫れていやがった……だいぶマシになったが、ありゃ見れたもんじゃないぜ」
希瑠が顔をしかめる。
恵奈もうなずき、珠飛亜の惨状を認める。
「大量の毒を流し込まれて、身体が内外から傷ついているみたいね……治癒にかなり時間がかかっているのよ。もう少し長く襲われていれば、命が危なかったでしょう」
「オレ、ちょっと様子を」
理里は立ち上がろうとする。が、恵奈に制止された。
「駄目よ」
「……なんでだよ。珠飛亜がああなったのには、俺にも責任の一端があるじゃないか。せめて、状態を――」
「きっと珠飛亜ちゃんは、今の状態を見られたくないと思うの。あの子はいつも、理想のお姉ちゃんであろうとしているから……。
今はわたしの部屋で寝ているけれど、あの子の姿をあなたが見るのは、その努力を無にすることよ。だからどうか、行かないであげて」
「……分かった」
恵奈の言い分も理里には分かる。あの日も、珠飛亜は理里を近づけさせなかった。いわゆる女の矜持というやつだろう。
「で、問題はだな。珠飛亜がダウンしちまった今、誰がお前を守るかってことなんだよ」
「あっ」
理里はそのことをすっかり忘れていた。珠飛亜の安否ばかり気になっていた。
(やっぱ俺シスコンなのかな)
自分の深いところに眠るものを確認し、少し鬱な気分になる。
「吹羅ちゃんは綺羅ちゃんで手一杯だから論外だし……となると、私か希瑠くんになるわけだけど。私は珠飛亜ちゃんのお世話があるから、必然的に」
チラリ、恵奈が希瑠に視線をやる。
「……ボクじゃなきゃ、ダメぇ?」
希瑠は裏声を出してまぶたをぱちくりさせるが、
「どう足掻いても貴方になるわね。何もしてないプー太郎がいるんだから、使わない手は無いわ」
恵奈はバッサリ切り捨てた。
愛嬌が通じないと分かった希瑠は反論する。
「何もしてないってのは違うぜ? 俺には自宅警備という至高の使命が」
「何もしてない、わよね」
「……その通りですぅ」
恵奈の絶対零度の笑顔に、しかし彼はネズミのように委縮してしまった。
「分かればよろしい。じゃ、明日からお願いね☆」
かわいらしく語尾を上げて、恵奈は和室を出て行く。後には死んだような顔の希瑠だけが残る……
と、恵奈が足を止める。
「あ、そうだわ」
「なんだよ、まだあんのか」
忌々しい目で母を見上げる長男を無視して、恵奈はまっすぐ理里のほうに歩いてきた。
「ねえりーくん。しばらくママといっしょに寝ない?」
「……はああああああああ!?」
一秒おいて、理里はすっとんきょうな声をあげた。
「な、なに言ってんだよ! 自分の部屋で寝ればいいだろっ」
「いやー、それがいまママのベッドは珠飛亜ちゃんに使われちゃってるのよねー。傷だらけのお姉ちゃんを動かすわけにもいかないし……どうかしら、ひさしぶりに?」
前かがみの彼女がぽよん、と乳房を揺らしてほほえむ。くっきり浮いた鎖骨と深い谷間が、Tシャツの襟元からのぞく――
……って、
「い、いやだよ高一にもなってっ! 馬鹿にされるよっ」
「まだ高一でしょ? 昔みたいに甘えてくれていいのよ、『ママ〜』って♪」
「冗談でもよしてくれ――ッ!!!!」
理里は布団をかぶり、殻にこもった貝になった。おそらく当分は出てこないだろう。
「あら残念。いっぱいかわいがってあげようと思ったのに」
「やめとけって。父さんじゃなきゃ圧死するぜ」
「ど う い う 意 味 ?」
「言葉より先に手が出るのよくないと思います……」
恵奈が口を開いた時にはもう、鉄拳が希瑠を殴り伏せている。
地獄の番犬と、邪眼の蜥蜴。怪物としてはそれなりの強さを誇る彼らも、母親にはかなわないのだった。




