13. Midnight Inspiration
涙をハンカチで拭い、鼻をチーンとかんでようやく落ち着いた恵奈は、何事もなかったかのように口を開いた。
「えー、こほん。それで、今回は何があったのかしら」
「母さん、そこからクール路線に戻すのは流石に無理があるぜ……。まだ目がウルウルじゃねえか」
「ぐすっ……そ、そこ、無駄口を叩かない。三食梅干しだけにするわよ」
「いや正しい指摘にこの仕打ちィ!?」
ツッコミを入れつつも、希瑠はすみませんでした、と頭を下げる。
それに眉をひそめながらも、理里は恵奈の問いに応える。
「……それはそれとして。何から話したものかな……」
朦朧とした頭ながら、理里は言葉を選びつつ、下校後にアリスタイオスに襲われたことについて、なるたけ詳しく報告した。珠飛亜の属していた生徒会の面々が、実は"英雄"だったという衝撃の事実についても。
「そうか……そりゃ珠飛亜のヤツ、気の毒にな……」
「ええ……あれだけ生徒会のこと、楽しそうに話してたのにね。まさか全員が敵だったなんて」
「……ああ……」
理里だってショックだった。怒りのあまりブチ切れて、憎しみだけに心が支配されて、そして――――。
また理里の心が闇に堕ちる寸前で、希瑠が口を開く。
「……珠飛亜には悪いんだけどよ。ちょっと現実的な話、していいか?」
「……? 何だ、兄さん」
怪訝な顔をする理里と恵奈。京風の細面をしかめさせて、希瑠は、己の考えを述べはじめた。
「確かに、生徒会の面々がみんな英雄だったってのはショッキングな事実だ。でも裏を返せば……俺たちは、どこから襲ってくるか分からなかった"英雄"の素性を、数人分も手に入れたってことじゃないのか?」
「……!」
理里の目から鱗が落ちる。
「確か、生徒会のメンバーは珠飛亜を除いて五人。うち一人が敗れたわけだから、残りは四人か? 身近にいる英雄の正体が四人分も掴めたってのは、かなり大きなアドバンテージだ。何せ、こちらから先手を打てるようになったんだからな」
全くもって、希瑠の言う通りだった。
今まで理里たちは、どこに潜んでいるか分からない英雄からの襲撃に、後手に回るしかない状況だった。しかし相手の正体が掴めたということは、襲われる前に攻撃を仕掛け、未然に襲撃を防ぐことができるようになったことを意味する。
それを悟った恵奈が両手を叩く。
「希瑠くん、たまには良いこと言うじゃない! なら、私が全員片付けてしまうわ。その方が、皆を危険にさらさなくて済むでしょうし」
「……ああ。まあ、その方が良いんだろう……母さんは強いしな」
母の反応に希瑠は微妙な顔をしたが、間を置いてうなずいた。
「決まりね。りーくん、もう安心よ。あとはお母さんが全部やってあげるから」
理里の両肩に手を置き、恵奈は切れ長の目元を微笑ませた。
……しかし、理里の表情は暗い。
「どうしたの? もう、あなたたちが怯えることはないのよ? 残りの英雄は、お母さんが全て片付けて――」
「……それさ。『殺す』ってことだよな」
「えっ?」
恵奈が、けげんそうに首を傾げる。疑問を持つ意味が分からない、とでも言うように。
その仕草に、さらに理里はいらだちを露わにした。
「なんで軽々しくそんなこと言えるんだ……? 相手は人間なんだ。俺たちと同じように考えて、生きている人間じゃないか。それを、たった六匹の自分たちが生きるために殺す……そんな話なのに、なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
『片付ける』『やる』など……四人もの人間の命を自分たちのために奪うことを、まるで作業のように恵奈は言った。あまりに人命を軽視したその言葉に、理里は抵抗をおぼえた。
「…………」
恵奈は困った顔をした。
「わたしたちは、人間とは違う存在でしょう。たまたま仮の姿として、人間の外見をもって生まれ、彼らの社会に寄生しているだけの存在よ。自分と異なる存在を殺すのに、さほど迷うことはないと思うのだけれど」
「そりゃ、母さんはそうかもしれないさ。何てったって、俺たちよりずっと長く生きてるからな。
……けど、俺は違うんだよ。そりゃ多少の格闘術は母さんに仕込まれたけど、特に人間と戦うこともなく、平和に暮らしてきたんだ。人の中で、人の価値観に染まって生きてきた。自分とは違うものだなんて、そう簡単に思えねえよ……」
理里は布団の中で膝を抱え、ふさぎ込む。
「………………」
希瑠も恵奈も押し黙ってしまう。理里は続ける。
「戦わない、なんてわけにはいかないさ。きっと生かして帰すこともできないだろう。……だけど、せめてさ。自分に戦いを挑んでくる奴には、自分の手で引導を渡してやりたい、って思うんだよ。それが相手に対する、礼儀なんじゃないのかなって」
半ば自分に言い聞かせるように、理里はつぶやく。
理里は「正しく」生きたいと願っている。自分が正しいと信じることを行って生きたいと願っている。それができなければ、己が己として生まれてきた意味がない。そう思っている。
しかし――
ばちん。
「……!?」
理里と希瑠は、あっけにとられた。いや、一番驚いたのは理里だ。
何せ、これまでの人生で母に叩かれたことなど、なかったのだ。
「母……さん……?」
呆然とする理里に、恵奈は言い放つ。
「自惚れないで。ひとりじゃ何もできやしない、ひよっこのくせに」
「なっ……」
驚きを隠せない理里。だが、恵奈は続ける。
「あなたはまだ、怪物としては未熟でしょう? しかも蜥蜴男、たとえ成長したとしても下の下の怪物よ。石化の邪眼に目覚めはしたけれど、一度使うとほぼ行動不能になってしまう。そんな貧弱なあなたが、冥府で数千年のキャリアを積んだ英雄たちに敵うわけがない」
「それは……で、でも、今回は俺が勝ったじゃ」
「それも珠飛亜ちゃんとの共闘あってのことでしょう。あなた一人なら、最初に奇襲をかけられた時点で死んでいたわ。
いい? あなたはまだ「子ども」なの。わたしたち保護者の庇護の下にある子ども。一人前にごたくを垂れても、それを実現する力があなたには伴っていない」
それは、永劫かと思えるほどの年月を経てきた「怪物の先輩」として。そして我が子を導く「母」としての言葉。子を大切に思うがゆえの、厳しい言葉だった。
しかし。子が素直にそれを受け入れる場合が少ないこともまた、この世の道理。
「いいさ、伴っていなくても。自分が正しいと思うことをして死ぬなら、俺は本望なんだ」
「……貴方それ、本気で言っていないわよね」
うそぶく理里に、恵奈が静かな怒りを匂わせる。しかし希瑠の右手が、彼女をさえぎった。
「母さん、あまり正論を押し付けちゃいけない。こいつはこいつなりに、いろいろと葛藤があるんだ」
飄々とした表情をいつになく引き締めて、希瑠は恵奈をさとす。
「今はどうやって、理里たちに英雄の手が及ばないようにするかだ。もちろん、母さんが出て行って全員ブチのめしてくるのが一番安全だし、早いだろうさ。
でも、ここは。息子の精神の自立を、ちょっと応援してやっちゃあくれねえか?」
その物言いに、恵奈が苛立ちを露わにする。
「あなた、弟を死なせるつもり? 自立する前に死んでしまっては意味がないでしょう」
「もちろん、タダでとは言わないさ。今と同じように、理里には誰かが護衛につくようにしよう。さすがにこいつひとりじゃ危険すぎる」
そう諭して、希瑠は理里に向き直る。
「それから理里。生みの親の前で、間違っても『死んでもいい』なんて口にするんじゃねえ。母さんに謝れ」
「……母さん、ごめん」
布団に身体を起こした態勢のまま、理里は頭を下げた。
「まあ、わかってくれたのなら良いけれど。私が先制攻撃を仕掛けないとしたら、何か代わりの案はあるのかしら」
不服そうな恵奈に、希瑠は畳の上にあぐらをかいた。
「順を追って説明しよう」




