128. 夜空の姫君
《翌日――2018年5月10日 朝》
「食事だぜ、お姫様」
理里はレトルトのミートソースパスタと、野菜ジュースを乗せた盆を持って納戸のドアを開ける。
「……」
猿ぐつわをされたままのアンドロメダは、上目遣いに理里を睨む。理里はちゃぶ台の上に料理を置き、彼女の後頭部の結び目を解く。
「怪物の施しなど受けません。そんなものを食べるくらいなら餓死します」
「はいはい、どうせいつの間にか食べてるんだろ」
「あれはネズミが食べたのです。あのような汚らわしい生き物を住まわせているなど、やはり獣に似合ったあばら家です」
「そんなの見たことないが……それに、ウチはそこそこ豪邸だぞ」
怪原家の敷地は150坪。うち建屋は75坪を占める3階建ての洋風家屋で、庭付き、生垣もある。現代の価値観ではかなりの豪邸だといえる。
しかしアンドロメダはそう感じていないようだった。
「ハ! 我が城と比べれば猫のひたいほどもありませんわ!」
「そりゃあんたの所がデカすぎんだよ」
「天界では常識のサイズですわ。私などは、星座として横たわるすべての空間が領土だったのですよ」
へへん、とアンドロメダは大きな胸を張る。やはりE……いやFあるか?
「……なあ、星座になるってどんな感覚なんだ?」
理里は興味本位で聞いてみた。するとアンドロメダは、また得意げに話しはじめる。
「『星座になる』とは、ギリシャ神界における最高の栄誉です。神々に認められる何かを成し遂げた功績に、宇宙の一部を領土として与えられる。そして、その領土の中で永遠を生きられるのです」
「ふうん、宇宙が領土か。そりゃウチと比べたら相当広いな」
「でしょう! だから猫のひたいだと言ったのです、ふふーん」
アンドロメダは誇らしげだ。敵地で捕虜になっているのに、ずいぶんと呑気なものだ。
「その領土内のリソースは自由に使うことができます。皆、領域内の適当な星にそれぞれの宮殿を持っていますよ。わたくしは夫の領土で暮らしていますけれど」
「宇宙が庭で星が家か。そりゃいいな」
「でしょう。怪物などには、いえ、並の人間でもほとんど味わえない栄光です」
「なら、どうしてその星々は消えてしまったんだ?」
理里がなんの気なしに聞くと、アンドロメダの顔が曇った。
「それは……」
「話を聞く限り、『星座になる』ってのは本当に星になるわけでもないんだろ。だったらあんたたちが領土から出たところで、星が消えるわけじゃないだろ」
「……魂」
アンドロメダが呟く。
「わたくしの魂……霊体の中に、領土内の星々はすべて保管してあります。あの大銀河の星々も」
「大銀河……」
アンドロメダ大銀河。昔、そんな星の渦が夜空には浮かんでいたらしい。今はもう廃れた、『天文学』の本で読んだことがある。
「霊体とはいえ、体に星を入れるなんて可能なのか? サイズ感が違い過ぎるだろ」
「魂の内部は無限です。わたくしたち一人ひとりの中に、別の宇宙が広がっている。その宇宙の中に星を取り込むのです。そして、その無数の星々の力を使うことができる。しかし、星の力を行使するのには訓練を必要とします。下手をすると生命を失う」
「なるほど。暴走したりもするわけだな」
理里は、柚葉市が凍った際に現れた『鎧』のことを思い出していた。
「なぜそれを……」
「いや、暴走した奴に会ったことがあるだけさ」
あの女、折邑紫苑はどうなったのだろうか。天界で英雄としての訓練を受けているらしいが……。
「はあ」
アンドロメダは興味なさげだ。
「覚醒したての英雄などに興味はありません。転生させられる程度の英雄など、所詮は三下ですから。本当に強い英雄はオリンポスの警護を任されるのです、我が夫のように」
「へえ……テセウスも三下に入るのか?」
「テセウス? ああ、あの牛狩りの王ですか。まあ、彼はそれなりに強いと言えますわね。神が鍛えた剣も持っていますし」
「神が……?」
あの黒い剣は、神が生み出したものなのか? 理里がそう問い詰めるが、アンドロメダはそっぽを向いた。
「……ま、いいや。飯、ちゃんと食べておけよ」
理里は膝を立てて立ち上がる。と、
「あなた」
背中から声がかかる。
「なんだ、まだ言い足りないか? 『怪物』に」
苦笑しながら振り返ると、
「思ったより、人間らしいのですね」
そっぽを向いたまま、アンドロメダが小さな声で言う。
「……俺も、そう思う」
理里はそれだけ返して、自分の部屋に戻ることにした。