10. レット・イット・ホーネット ③
イラストはまりぬすさん(Twitter:@LosMarinus)にいただきましたm(_ _)m
ありがとうございます!!
鮮烈な光が、菖蒲ヶ原池のほとりを彩る。
幸いにも、その金色の光を目にした者はいなかった。しかし仮に余人がこの怪奇を目撃していたとすれば、肝を潰したことだろう。
池の岸辺に群生した、まだ青い菖蒲が、光が当たると同時に白化し、石のように固まっていく。そうして、池の一帯が、鈍い金の光によって白く塗り替えられてゆく。
池の対岸に至るかというところで、ようやく光はその勢いを弱めはじめた。蛍光灯が切れていくように、だんだんとぼやけ、しだいに点滅し――消えた。
「はあっ、はあっ、はあっ」
大河のスラックスの足首を掴んだまま、理里は息を荒げた。すでに体力の消耗は始まっている。
だが、やった。あの半金髪の英雄に、これでもかと左眼の光を浴びせかけてやった。たとえこの後おのれが体力の消耗に倒れようとも、珠飛亜が連れ帰ってくれるはずだ。
一抹の安堵とともに、自分が石化させた男を見上げ。
――思考が停止する。
「…………な…………?」
そこに在ったのは、先ほどまで己が戦っていた男の身体ではなかった。
壁。白い壁だ。理里の身長をゆうに超えるような壁が、理里と大河の間にそびえ建っている。
いや、ただの壁ではない。よく見ると――
「よっ、と」
余裕に満ちた男の声とともに、壁の中心が小突かれる。瞬時に壁はぼろぼろと崩壊していく。
壁の破片の、正体は。
「蜂…………!?」
ばらばらと零れ落ち、理里の体を打つ壁の欠片。その形状は、アシナガバチ、クマバチ……種類は違えど、どれも蜂のものに他ならない。
「どうだ、便利な能力だろ? この能力にかかれば、ハチ共は俺のためなら命も惜しまない、忠実な兵隊となるわけさ。おまえの眼の光なんざ敵じゃねえんだよ」
崩れ落ちる壁の向こうから、大河の姿が徐々に露わになる。しかしてその引き締まった肉体、童顔の面貌さえ――
至って、無傷。
「な……そ、そんなっ……!」
驚愕する理里に、大河はクク、とわらって天を仰ぐ。
「俺がもう少し凡庸な能力者だったなら、とっくに倒されちまってたかもしれねえがなぁ。あいにく英雄になってからの時間で言やぁ、俺は三千年に近いんだ。昨日今日で能力者になったペーペーなんぞに負けるわけが無えんだよ、クハハ!
……しかし貴様。邪眼を、使ったな?」
「うっ…………!」
大河に告げられた途端、どっ、と大きな疲労感が理里を襲う。身体が一気に重くなる。
「ハッハハハハハハハハハ!!!!!!!!! これだ! これを待ってたんだよ! 邪眼を使い終わったあとのお前なんざ、もう屁でもねえ! あとはサンドバッグみてえにタコ殴りにしてぶち殺すだけだぜェ――ッ! クッハハハハハハハ!!!!!!」
高笑いとともに、大河は理里を蹴飛ばす。
「がはぁっ……」
池の縁の浅い部分に、理里は転がされた。
「りーくんっ!」
珠飛亜の甲高い声が響く。壁の向こうにいたらしく、なんとか光を免れたようだ。
「おっと、お前も居たんだったなぁ……まあ、どの道動ける身体でもねえか。ここは水辺だし、異能を使われると厄介だが……そんな体力もねえだろう。
さあ、ハチ共! 最後の攻撃だ、このド畜生どもをブチ殺せェ!」
ざわわ、と再び広がる蜂の群れ。それらが一斉に、理里と珠飛亜に襲い掛かる、
――直前。
「グエ!?」
大河の首に、ぬるっとした縄のようなモノが巻き付いた。
続いて手首と足首もその"何か"が捉え、大河の動きを止める。池の水面からのびているそれらは、あたかも鎖のように、大河の五体を緊縛する。
「こりゃあ……まさかッ!」
「そう、だよ……あたしの、能力っ……!」
倒れた珠飛亜が、大河に目を向けている。
「てめえッ……どこからこんな力がッ!」
「どこから? ふふ……簡単な、ことだよ…………」
地に伏したまま、珠飛亜は曇りのない、澄んだ瞳で答えた。
「弟を守るためだったらっ! どこまでだって強くなれるっ! それが『お姉ちゃん』っていう生き物なのっ!!!!」
「……こしゃくなあああああァアァァァッ!!!!」
理里と珠飛亜に二分されていた蜂の群れが、一団となって珠飛亜に突撃する。
「余計なことしてくれやがってッ! ……だが、これだけの水が周囲にありながら、俺の動きを止める程度のことしかできないってえ事は……てめえ、相当消耗してやがるな? だったらさっさと葬り去るだけだぜェ!」
珠飛亜の身体に次々と蜂がとりつき、白い肌に針を突き刺す。その数は瞬く間に十、百、数千を超え、ついには彼女の皮膚が見える隙間すらなくなった。もはや黒くうごめく塊だ。
だが、それでも。
『守る……わたしが、りーくんを、守るっ!』
大河を捕らえる"水の縄"は緩まない。それどころか、どんどん締め付けが強くなる。
「ぐえっ……! てめえ、どんな根性してやがんだ!? 体中を蜂にブッ刺されて、地獄みてえな痛みの中に居るはずなのによぉ!」
驚愕しながらも、大河は必死に水の縄を解こうともがく。
「クソッ、ちぎれろ、この野郎ッ……!」
渾身の力を込めて腕を引っ張るが、縄はびくともしない。大河が焦りはじめたとき、
視界の隅で、何かが動いた。
「あ? 何だ……!?」
びくびくと身体を痙攣させ、生まれたての小鹿にも等しい程に弱々しくも、いまだ何かの為に戦おうとする、人の姿をとった異形。
――怪原理里が、立ち上がろうとしている。
「バ、バカなッ! てめえはもう眠っちまってるはずだろうっ! なんで……なんで動けんだよっ!」
「ああ……俺も、もう動けないって思ったさ……」
ぜえ、ぜえと息を切らしながらも、理里は苦笑する。
「正直、もうダメだと思ったよ……左眼を防がれたときにはな。……終わったと思った。このまま殺されるんだろうな、ってな。けどよ」
脚はがくがくと震えている。顔は真っ青で、今にも気を失いそうだ。だが、それでも彼は立つ。
なぜなら。
「姉貴がガンバってんのによ……! 命がけで俺を助けてくれようとしてんのによっ……! 弟が、踏ん張らないでどうすんだよッ!」
「あ、ありえねえ……! 馬鹿かお前ら! そ、それだけの理由で立てるわけがねえっ!」
「ははっ、そうかもな……。だが俺はちょっと、人より意地っ張りなもんでねっ!」
言い放ち、理里は己の左眼のあたりを押さえる。
「っ!? まさか、テメエっ!」
「ハハ、バカだよな…………これをやったら、俺は死ぬかもしれないんだぜ? ……だけど、珠飛亜を守れるなら! 世界で一番大切な、たったひとりの姉さんを守れるならっ! それでもいいかなって、もう思っちまってるんだよっ…………!!!」
まぶたに食い込んだ指の隙間から、金色の光が漏れはじめる。
だが、光の量は先ほどより遥かに少ない。まるで切れる寸前の電球のような。
「……ハ、ハッ、そら見ろ! もう体力の限界だ、再発動なんかできやしねえよっ!」
大河が一抹の安堵とともに嘲笑する。しかし理里は気にも留めない。
「応えろ、俺の左眼……! 俺は珠飛亜を助けたいんだよっ……ホントに俺の身体の一部なら、オレの言うこと聞いてくれよっ!!」
理里の思いが強くなるのに合わせ、だんだんと光が勢いを増し始める。こぼれるような弱い光から、しだいに燃えて、煌煌と。
「こいつっ……!? くっ、防御をっ!」
大河は珠飛亜をいたぶり続ける蜂たちに号令をかける。すぐさま蜂たちは主の護衛に飛び、自分たちの身体でもって壁を形成しはじめる。
「ッオオオオラアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!」
理里が押さえていた左手を離す。解き放たれるのを待っていた光が、せきを切ったようにその場に溢れ返る。
「負けるかよッ!!」
続々と蜂たちは大河の前に飛来する。黒と黄色の嵐が、光の奔流を阻もうと集結する。
しかし――
「ッ……!? 何、だと………………!?」
飛来し、壁となるはずだった蜂たちは、来るそばから身を白化させ、石になっていく。そこまではいい。
だが。変化は、そこで終わらない。
「何だ……!? なんなんだ、これはっ」
石化した蜂の死体は、集積して壁を築くには至らない。ひび割れ、砂となって、その輪郭を喪ってゆくのだ。
光を遮る間もなく、蜂の死骸は塵になって消えてゆく。となれば――阻む者のない烈光は、当初の標的を灼き尽くす。
「……クッソッがアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
憤怒に猛ろうとも、"白"の侵蝕が止むことはない。蜂を差し向けるために掲げた右手から、右腕を伝い、だんだんと大河の身体が硬質化してゆく。温度を失っていく。動かなくなってゆく。
「俺がッ! 英雄たるこの俺がッ、こんなクソザコ爬虫類に負けるだとッ! ンなことがあっていいわけが無えっ!!!!」
「知るかっ! オレの一番大切なヒトを欺き、傷つけた時点で、おまえの命の終焉は決まっていた……!」
大河の四肢が動かなくなった。下は股関節、下腹部、横隔膜、上は肩口から大胸筋……順々に細胞が動きを止めていく。血が通わなくなり、呼吸が苦しくなる。
しかし、その状況で彼は。
「ぜえ、ぜえ…………ククク。クハハハ、くっははははは!!!!」
嗤っていた。先ほどまでの憤りをどこに消し去ったのか、不敵な哄笑に貌を歪める。
「これっぽっちも納得いかねえが、どうやら俺はここまでみてえだな…………だが! てめえらの『終わり』への布石はすでに打ったッ! もはやてめえの敗北の未来は決定だぜ、怪原理里ォ!!姉貴との残り短い余生を、せいぜい楽しむことだなあッッ!!! クッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!!!!!!!!!!!!!」
不気味な嗤い声、そして不吉な予言を遺し――蜂遣いの英雄は、真っ白な石像となった。
☆英雄データ☆
・アリスタイオス
古代ギリシャの養蜂神(半神)。太陽神アポロンとラピテス族の王女キュレネーの息子。幼少期は大賢者ケイローン、銀梅花の精、文芸の女神ムーサイらに教育され、霊薬アムブロシアーとネクタールによって不死となる。
成長後はケオス島の疫病蔓延を解決したり、土地開発を行い農業技術を伝えるなど数々の偉業を成した。しかし、吟遊詩人・オルフェウスの妻に付きまとった結果死に追いやってしまい、彼の冥界下りの発端となったことも。
晩年は息子の死を悲しんで放浪し、放浪先でも街を築くなど人々の発展に貢献したが、最後はハイモス山の上で姿が見えなくなってしまい、その消息は不明。
この作品では、行き場のないアリスタイオスを神々が哀れみ、不死性を奪って息子のもとに昇らせたという解釈。その後テュフォーンの襲撃に伴い出撃し、そのまま捜索に従事した後、理里と珠飛亜によって倒された。




