115. STONE COLLAPSE
「……面倒なのが来ちゃったねぇ」
麗華の眼は吹羅に向いている。
吹羅には異能力が通用しない。それどころか触れた異能力を無効化する力を持っている。能力特化で身体能力が低い麗華には天敵だ。
「あいやしばらく! 姉上、我が来たからにはもう安心だぞっ……って石化しとる!?」
麗華に座られている珠飛亜を見て吹羅は仰天した。
「もしや理里の邪眼を喰らったのか!? おのれ何を不注意しとるか!」
「ううん、おにいちゃんのふちゅういじゃないよ。おにいちゃんはせきかのひかりのむきをこんとろーるできる……たぶん、このひとにはねかえされたの」
「ふうん、片言なわりに鋭いじゃん。ドローンをかいくぐってここまで来ただけのことはあるねえ」
麗華はにへら、と笑みを浮かべる。
「だけどあたしには勝てないぃ~……あんたもあたしの駒になあれぇ♪」
麗華が手のひらを綺羅に向ける。が、
「そうはさせるかっ!」
吹羅が綺羅の手をひったくるように掴んだ。
「今のセリフから察するに、おまえの能力は精神干渉! 我が綺羅に触れている限り、その能力は通じんぞ!」
正確には、綺羅の魂=霊体=精神に対する干渉を、吹羅が打ち消す形になる。
「ふん、能力特化のアタシには天敵ってわけ……でもね」
麗華がパチンと指を鳴らすと、
床が、割れる。
「あたしはひとりじゃないんだよぉ~~~~♪♪♪」
巨躯が、現れる。
砂埃を掻き分けて、稲妻型の金髪が、月光にぬらりと光る。
「呼んだか……女王よ」
達磨のような、眼。
山のような、筋肉。
鬼のように嗤う、口。
それを見た時、
「なんだ……なんだ、こいつは……!」
吹羅の身体は、動かなくなった。
「おえっ……」
吐き気をもよおす。腹の中のものがせり上がってくる。
「あれれ~どうしたのぉ~? さっきまでの気合いはどこに行っちゃったのかなぁ~」
麗華の挑発も耳に入らない。
それだけ、目の前の男は恐かった。
(こいつ……普通じゃない……!)
3mはあろうかという巨体。触れるもの全てを破壊しそうな巨大な拳。だが、その巨躯だけがここまでの恐怖を呼び起こさせるのではない。
その男の身体は、血の臭いに塗れていた。
それも、怪物の血の臭いに。
「かっ……あ……」
綺羅も同様に動けないでいる。
(我は……どこかでこいつに、会ったことがある……!)
侮り。戦い。そして……
「うふふ、無理もないかぁ~。だって、前世のキミを殺したのはこいつだもんね♡」
「……やはり、か……!」
天を衝く男の顔を睨み、吹羅は悟った。
男は、仁王のような形相を不敵に歪めた。
「久しいな、ヒュドラ。また、首を切り落として焼いてやろうか」
「ヘラ……クレス……!」
至高の英雄。
前世の宿敵。
それが今、吹羅の目の前にいる。
そして、
「……母上!」
男の脇には、下半身が蛇となった女性が抱えられていた。
「クク、久しぶりに楽しい戦いだったぞ。だがテュポンの依り代ではなかったらしい」
ヘラクレスは意識を失った恵奈を片手で床に投げる。
「ぐあっ!?」
「うぅっ!?」
うずくまった双子を蛇の巨体が押しつぶす。
「お前たちのどちらかが、そうなのか……? あるいはスフィンクスか……いや」
巨体が、麗華の後ろに向き直る。
「こいつが、怪しい」
そう言った男が指さすのは、メイド服を着た理里だ。
「「な!?」」
吹羅と綺羅が声を失う。
「ヘラクレス~、それはないと思うよぉ? こいつは怪原家で最弱の雑魚ぉ。そんなんに最強のテュポンが宿ったら、魂がもつわけないじゃん」
「黙れ」
「うっ……」
ヘラクレスの眼差しに麗華も固まる。
「このトカゲ男の覚醒は突然だった。命の危険が迫った時、初めてその力が明らかになった。これの中にいるテュポンが、息子を守ろうとしたとも考えられる」
「……だけど、テュポンはこんな邪眼持ってなかったよ」
麗華が食い下がる。
しかしヘラクレスは無表情を崩さない。
「何らかの力で、本来の異能力を引き出したのかも知れん。我々にとっての黄金の林檎のようなものを与えたのかもな。あるいはメデューサの遺伝子を呼び起こしたのか……
どちらにせよ、こいつは怪しい」
ヘラクレスが象のような足を一歩踏み出す。
「ちょ、ちょっと待ってよ! これはあたしの人形なの、勝手に触るのなんて許さない!」
「趣味は任務に優先しない」
ズン、とまた一歩。
ぐぐ、と背中を曲げて、達磨の眼が少年の顔を覗き込む。
「改めさせて、もらおう」
瞬間――
ピンク色の天井が吹き飛び、理里の姿はそこに無かった。
「理里っ!?」
「おにいちゃんっ!」
姉妹の叫びも虚しい。棒切れのような少年の体は宙高く舞い、頭から天守に落ちてくる。
「まだ、か」
天井に空いた穴から落ちてくる理里をめがけ、ヘラクレスが拳を構え――
こつん。
「?」
何かが、ヘラクレスの足に当たった。
思わずヘラクレスは下を向く。その間に落ちてきた理里を麗華が受け止め、倒れる。
「貴様……まだ動けたのか」
石の翼が、ヘラクレスの脚に巻き付いていた。
その主は声を発していない。否、発せない。
まだ石になっていないのは、墨のような黒髪だけだ。
「スフィンクス……」
珠飛亜だ。もう体の90%以上が石化してしまった彼女が、わずかに動く背中の翼を伸ばして、どうにかヘラクレスに触れた。
「珠飛亜ちゃん……! そんなになってまで、なんで……」
麗華が呆然としている。自己中心的な彼女には、これほどの自己犠牲の動機が分からないのだろう。
「姉上……!」
「おねえ、ちゃん……!」
吹羅と綺羅も瞳を開いている。姉の姿から目を逸らせない。
恵奈は目を開かない。
ぱき、と音がした。
珠飛亜は、完全に石の像になった。
そして、達磨の眼をした男が、
「邪魔だ」
その像を蹴り崩した。