114. 蜘蛛の糸
(なんだ……これ)
口に出そうとしたが、理里の喉は震えない。身体を動かそうとしているのに、その意思が身体に伝わらない。身体の自由が奪われている。
その間に麗華は『鏡の鎧』を解除する。バスローブからのぞく体はもうほとんど石化しているが、頭部と左手だけはまだ無事だ。
その左手に握られているのは、緑色の液体が入った小瓶。
(……!)
理里が戦慄したのもつかの間、麗華は手首にスナップを効かせて小瓶を口に放り込む。
(ああっ……!)
ばりっ、と麗華は瓶を噛み砕く。
「ふーっ、危なかったぁ……もうちょっとで死んじゃうとこだったぁ」
治っていく。首まで、足の先まで石化していた小柄な女体がみずみずしさを取り戻していく。
(ああ! ああ……)
理里の顔は今度こそ絶望にゆがんだ。なぜかその表情だけは阻害されなかった。
「ざぁーんねぇーんでーしたぁー。でも健闘は讃えるよ、あたしをここまで追い詰めたのはキミが初めてぇー」
元通りになった体で麗華はくるっとターンを決める。
「うふ、いいねえその顔ぉ。声も出せるようにしてあげるぅ♡」
パチン、と麗華が指をならすと理里の喉が動くようになる。
「がはっ……」
「どういうこと? って顔してるね。もう勝ち確だし、教えてあげてもいいかぁ」
なめらかなモデルウォークで麗華は理里の前から去り、寝転がっている珠飛亜の上にどかっと座った。「ううっ」と半分ほど石化した珠飛亜がうなる。
「この子はわたしほど光の直撃を喰らったわけじゃないから、石化の進みが遅いみたいだねぇ。まあどうでもいいけどぉ。
服を鏡の鎧に変えるのも、いまキミを動けなくしてるのも同じ能力。このあたしの”蜘蛛の糸”の力だよぉ」
「なん……だと」
戸惑う理里に麗華はほくそ笑む。
「あたしの能力は『衣服を別の衣服に変える』ことができる。そして、その服を『恥ずかしい』と思った相手を支配しちゃう」
「なに……」
理里は改めて、動く頭だけで自分の服を確認し――そして「あっ」と驚愕する。
メイド服だ。さっきまで着ていた執事服が、いつの間にかメイド喫茶の女の子が着ているような超ミニのそれに変わっている。空になった左眼も眼帯で覆われている。
「一世一代のギャンブルだったよぉ。りーくんがこの状況でそれを『恥ずかしい』と感じるかは」
くすくすと笑いながら麗華は珠飛亜の尻を叩く。
「そんな……」
「ほんっと馬鹿だよねー、戦闘中に服のこと気にするなんてさ。まーでも、それがこんな結果に繋がるなんて誰も想像できないから仕方ないよねぇ♡」
カラコロと響く麗華の笑い声が、理里には死神の足音に聞こえた。
「キミは一生あたしの奴隷。今はあえて自我を残してあげてるけど、それもあたしの心ひとつで奪える。あたしだけを求める人形として、死ぬまでかわいがってあげるぅ」
麗華がまた指を鳴らすのが聞こえる。理里の意識はブツッと消えた。
☆
「れ、れ、れっ」
珠飛亜が石化しかかった口で麗華に呪詛を吐く。
「うふふ、なにいってんのかわっかんなぁーい♡ でも怒ってるのはわかるよぅ♡」
麗華は頬に指を当ててかわい子ぶる。
「りーくんはあたしのお人形になっちゃったぁ。ねえどんな気持ち? おねえちゃんは今どんなきもちぃ~?」
椅子代わりにしている珠飛亜の眼をのぞきこんで麗華は嘲笑する。しかし珠飛亜の眼はすでに石化している。
「~~~~!」
「今のりーくんはあたしの忠実な奴隷ぃ。あたしの言うことならなんでも聞くの。あんたの前であたしにご奉仕させることだってね♡」
メイド服の理里の右眼には生気がない。心ここにあらずの人形だ。
「り、り、」
「何度呼んでも無駄だよぉ。この子はあたしが死んでもあたしの奴隷でいつづける。一度奪われた心は元には戻らないのぉ」
「!?」
珠飛亜の半石化した顔が驚愕にゆがむ。
「当然でしょ? 認識が変わっちゃうんだから。好きな人が死んだからといって、その人を好きな気持ちは消えないでしょ」
うふふ、と蠱惑的な瞳で麗華は理里を見つめる。
「人の心のスキに潜り込んで、その心を自由に変えちゃうのがあたしの能力。継続的に念を飛ばして支配し続けるんじゃなく、精神の状態そのものをおかしくしちゃう。その方が効率的でしょ♡」
操り人形の糸を引くように麗華が五本指をくねらせると、能面のような顔の理里が歩いてくる。
「よく見たらかわいい顔してるよねぇ。ここでヤっちゃう? だいじなおねえちゃんの目の前で、愛しあっちゃおっかぁ?」
「~~~!!!!」
珠飛亜が大きく首を振る。だが麗華は立ち上がって理里にすり寄る。
「かわいい唇……まずはこっちのはじめてからもらっちゃお」
麗華の両手が理里の頬に触れ、その顔を近づけたとき。
ばりぃん、とふたたび窓ガラスが割れる音がした。
「なにっ!?」
麗華が振り向くと、飛び出したのは青と桃色の小柄な影。
ひとりは左眼に星のペイントをした少女。もうひとりはくりっとした丸い目の少女。藍と桜色の忍装束に身を包んだ小柄なふたりの顔立ちは似ている。
「ゆえあって助太刀いたす! ……っしゃ、言ってみたいセリフ消化できたぞ!」
「ひゅら、ふざけないで。おにいちゃんとおねえちゃんをたすけないと!」
吹羅と綺羅。双子の忍者が、女城主の首を狙って参上した。




