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112. SANOVA Bxxch

「……何言ってんだお前!」

「口のきき方に気をつけろよぉ~♡ クソガキ♡」


 三角の拳で麗華が理里を殴る。衝撃で理里の太腿に刺さった鏡の脚が肉をえぐる。


「ぐああああ――ッ」

「キミの命とお姉ちゃんの命、両方ともあたしに握られてるんだよお? それ分かってるう? 分かってるなら返事ぃ~」

「っ……」

「……返事ぃ!」


 蹴りが飛んでくる。


「ぐあぁッ!」


 しかも、理里の右脚に刺さった左足を軸にした蹴りだ。蹴りのダメージだけでなく、麗華の体重が脚に刺さっている一点にかかる。激痛だ。


「聞かれたら元気よく『ハイッ』! 社会に出たらキホンのキだよぉ? せっかくあたしが情けをかけてやってんのにぃ~♡」


(こいつ、正気か……!?)


 理里は耳を疑う。

 派手な雰囲気がありながらも、麗華は根が優しいタイプの女性だと理里は感じていた。それがこんな残酷な面を持っていたとは。


「なぜ、俺の眼を……」

「口答えはだぁーめ♡」


 鏡の腕の切っ先が喉元に当たる。


「イエスか、ノーか。キミはそれだけ言ってくれればいいんだよお」


 切っ先が、ゆっくりと理里の左眼に向いていく。


「……へへ。だったら、簡単だ」


 理里が、ひとことつぶやく。


「あ? なんだって? よく聞こえなぁーい」


 麗華が聞き返す。その彼女の両眼を見て、理里ははっきり答えた。


「俺の眼ひとつで珠飛亜が救えるなら答えは簡単だ……この左眼、あんたにくれてやるよ!」


 そううそぶき、理里は左手の三本指を龍の爪のように左眼にかける。


「……へえ。正気?」


 麗華が問いを返す間に、理里はトカゲの爪を眼窩にめり込ませている。


 姉の命と自分の眼。価値は比べるまでもない。


(視神経を引き抜かなければショック死は免れる……ギリギリのところで切れば……!)


 あのまま麗華に左眼を串刺しにされていれば、視神経ごと眼球を引き抜かれて、理里はショック死していたかもしれない。それを防ぐには、自ら眼球をくり抜くことを選ぶしかなかっただろう。


 だが……


(怖い!)


 左目に指を当てて気付いた。この行為、とてつもなく怖い!

 この目を失えば能力が使えなくなることが怖いのではない。自傷行為そのものが、左の視力を失うことが怖いのだ。


 理里には他の家族のような再生能力がない。せいぜい尻尾が再生するだけで、眼球が元通りになることはない。失った『部分』は戻らない。それが蜥蜴の再生能力の限界だ。


(怖い……でも)


 珠飛亜はもっと怖い。彼女は今、死の恐怖にさらされている。


(だったら……やるしかない!)


「やってやる! やってやるよ!」


 鉤爪をゆっくりと伸ばす。ぐり、と眼下に指がめりこみ、そのまま、爪を恐竜のように尖らせていく。


「ぐ……あ……ッ」


 ぐりぐりと眼球がひしゃげる。だが、まだだ。もっと奥まで指を入れなければ。


「あ……っ」


 左側の視界が虫食いのように欠けた。視神経に切れ込みが入ったのだ。


 止まるな。恐怖を克服しろ。まだ、止まるな。


 崩壊するパズルのように、視界のピースがひとつ、またひとつと欠けていく。暗くなっていく。だが……


(こうすれば俺ももっと、素直になれるかな)


 失われた左目にふれるたびに、何のためにそうしたのか(・・・・・・)を思い出す。そうなればきっと、もっと、まっすぐに姉に向き合えるかもしれない。


(そう考えたら、これも、悪かないッッッ!!!!!)


「うおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」


 鈍い音がした。鮮血が噴水のように散った。

 ぬるう、と、丸いものが眼窩から飛び出た感触があった。目の奥には針を刺されたような激痛が走っている。

 そして、視界は九十度に半減していた。


 ……だが、やった。


「これで、どうだ……!」


 理里の左手には、先ほどまで彼の眼窩におさまっていた黄金の眼が乗っている。彼はそれを麗華に差し出す。


「約束通り、薬を、もらうぞ……!」

「キャハッ♡ バカなのお? ほんとに目玉くり抜いちゃったぁ~!」


 あーっははは、と麗華は高笑いする。


「どうでもいい……さっさとネクタルを寄越せ」

「あはは、ほんとバカ……ウフフ、でもいいよ。その勇気に免じて……」


 麗華が理里の眼玉をつまみ、かわりにネクタルの瓶をさしだす――


 すかっ。


「え……」


 寸前で麗華の手が、消えた。


「があっ!?」

 かわりに飛んできたのは鏡の拳だ。


「アーッハハハハハッハハハアハハハハハハアハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

なんでそんな約束守んないといけないのぉ!! おまえのきたねえ目玉なんざいらねえんだよぉ、バァ~~~~~~~~~~~~~~~~~ッカ!!!!!!」


 つまみあげた目玉をポイと投げ捨て、吹っ飛ばされた理里に麗華は嗤う。


「交渉ってのは対等な相手としか成り立たないんだよぉ~。どっかの漫画でも言ってんだろ、『生殺与奪の権を』なんちゃらってさあ! あたしにかしずいた時点でお前らの負けなんだよぉ!」


「そん……な……」


 何が起きたのか、理里にはまだわからない。


「おれの左眼を渡せば……珠飛亜を治してくれるはずじゃ……」

「まだわかってないんだぁ? かわいいねえ?

それぜ~んぶウソだよぉ。効率的にキミを殺すための……あと、キミのそのゼツボーを見るためのね♡」


 麗華は悪魔のように笑う。


「あーいいよぉその顔。何が起きたのかわかってない……片目が見えなくなる覚悟までしたのに、それが無駄になっちゃったのを……あ、だんだん受け入れてきたね? 残ったおめめがうるうるしてきたよぉ」

「ん……な……」

「あれ泣いちゃう? 泣いちゃう? 泣いていいんだよぉ。この先左眼はもう一生見えない、おねえちゃんも助からない……そして、ここで死ぬ。キミにはもう絶望しか残ってないんだからぁ」


 ギラリと鏡の指先が光る。


「せめて苦しまないよう一瞬で殺してあげるぅ。あたしにもそのくらいの慈悲はあるからね♡」


 右手の刃は、ショッキングピンクの照明を反射して妖しい輝きを放っている。


「お……」


「おまえだけは、ゆるさないッ!!」


 理里は麗華におどりかかった。

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