111. 悪魔の提案
《麗華の城 八階》
「……ナメた口ききやがって、あの蛇女!」
極彩色、ピンクの照明が輝く部屋で、麗華は椅子のひじかけを殴る。
天井にミラーボールが輝き、床にはウサギやクマのぬいぐるみが積み上げられ、脱ぎ捨てられた制服や下着が散乱している。
バスローブ姿の麗華はワイングラスを片手に立ち上がり、窓辺に歩みよる。
「ここで全員仕留めてやる……テュポンの眷属ども」
ギリと奥歯を嚙んで赤むらさきの酒をあおる。
麗華は特段、怪原家に恨みはない。だがオリンポスの神々に与えられた使命は、報酬のため必ず果たす。
(ゼウス様しか倒せなかったテュポンを倒せたら、あたしは神になれる)
かつて、人から神となった男がいる。十二の難行を果たしたその男は、その功績を認められて死後に神となることを認められた。魔神テュポンの討伐は、その難行のどれにも勝る。
オリンポスの神々は、テュポンを討伐した者を神々の座に迎え入れると約束した。それこそが麗華の野望だ。
(だけど、これはアタシの野望の足掛かり……オリンポスをのし上がって、いつか神々の女王になってやる! ゼウスみたいな絶対支配者に! そうすれば……)
そうすればあの至高の英雄も、きっとわたしを見てくれる。
「む」
何か窓辺に飛来するものが。
白い翼を生やしたボブカットの少女、緑の鱗に覆われた少年。
「……来たね!」
窓ガラスを破り、床に転がる二つの影は、ずざざと妖しい照明の中をスライディングして止まる。
白い翼を生やした少女と、緑の鱗で全身をおおった少年は、黄色い双眸で麗華を睨む。
「珠飛亜ちゃんに理里くん♡ お早いご到着ぅ!
ドローンの攻撃をよく避けてきたね!」
「〝蛇媓眼〟ッ!!」
言葉はいらない。間髪入れず少年の左眼が金の光を放つ。
(だけど、あたしもタダじゃあ殺られてあげなぁい)
「〝蜘蛛の糸〟ッ!!!!」
パチン、麗華が指を鳴らすと、彼女の体をくるんでいたバスローブが広がる。
「ちょっ、何してんのエッチぃ!?」
珠飛亜が両手で目を覆うが、指は開いている。
一瞬、裸体となった麗華の身体が桃色の光を放つと、次の瞬間、まばゆい金の光が理里たちの目を覆った。
「っああっ!?」
珠飛亜が両目を押さえてのけぞる。今度は手の指は閉じている。獅子の両手を覆う金色の毛が、ぱきぱきと白く石化していく。
「……珠飛亜っ!?」
理里は邪眼の発動を止めて振り向く。と、
「ぐはっ……!」
理里の太腿を、尖った三角が貫いた。
『アーッハハハハハハ!! よそ見しちゃダメぇ~♡ 麗華だけを見てて?』
「おまえ……!」
向き直ると、麗華の外見が様変わりしていた。
全身がすきまなく三角の鏡に覆われている。三角錐を組み合わせて人の形にしたようなデザインだ。その鎧が、部屋の妖しい照明を反射している。
鋭い右足が理里の大腿を刺し貫く。
『ペルセウスはメデューサの眼を鏡で跳ね返した。キミの眼が〝光〟を放つなら、それも鏡で跳ね返せない道理はないでしょお』
鏡で全身を覆うことで、麗華は邪眼の光を跳ね返したのだ。
だが、
『理里くんはなんともないみたいだねぇ……』
跳ね返った光を強く浴びた理里の身体は石化していない。
『考えてみれば邪眼を発動するたび、光は理里くんの髪の毛とか肌にも当たってるわけだよね。なんともないってことは耐性があるのか……でも』
グリッ、と麗華は槍のような脚で理里の右腿をえぐる。
「ぐああっ!」
理里は立っていられず膝をつく。
『こうした物理攻撃に弱いのは相変わらず……そんなんじゃお姉ちゃんは守れないよぉ?』
「くっ……そ……!」
理里は珠飛亜の方を見やる。
「いや、いやああああああっ」
珠飛亜の身体を石が犯していく。両目を覆った手が、腕が、じわじわと石灰石のように固まっていく。
「珠飛亜!」
『余所見すんなって言ってんだろぉ~♡』
鏡剣の右手で麗華は理里を殴る。
「ぐあっ……」
『うふふ、どうするぅ? このまま放っとくと、大事なお姉ちゃんが死んじゃうよお?』
ぐりぐりと理里の太腿を脚でえぐりながら、麗華は尖った左手を彼の目の前に差し出す。
瞬間、カパッとその三角の先端が割れた。
『ねえ、これ何かわかるぅ?』
「……それは」
あらわになった麗華の左手がつまんでいたのは、一本の小瓶。緑色の液体が中で揺れている。
「霊薬ネクタル!」
『これを使えば、お姉ちゃんを助けられるかもしれないねぇ。なんせ手塩くんを石化から治したのもこの薬だもん!
ねえ……これ、欲しい?』
「!」
思わぬ提案に理里はいぶかる。
「おまえ、なにを企んでる!」
『べっつにぃ? あたしは気まぐれなだけぇ。珠飛亜ちゃんと三年もなかよくしてきたのに、こんな一瞬で戦いが終わっちゃつまらないでしょお? あの子はいろいろ、あたしに言いたいことあるはずなのにさあ。
もちろん、タダで治すわけにはいかないけどぉ』
「……?」
理里が目で問うと、麗華は三角の兜の前を開き、素顔を見せて嗤う。
「り~くんさあ……その左眼、あたしにちょーだい♡」