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108. 人形王

「っくしょおおおおおおおおおお!!!!!! ヘビよりしつこいぜこの野郎おおおおおおおおおおおおおおおおお」


 希瑠は逃げていた。

貞操の危機さえ感じて。


「はあはあ、麗華さまァァァ」

「お待ちください麗華さまアアァァァ」

「その髪のひとふさでも舐めさせてくださいませええええええ」

「人違いだ変態ども! そのギョロ目は節穴か――ッ」


 女装なり赤ちゃん装なり、おぞましいコスプレをした筋肉男どもはどこまでも希瑠を追いかける。その姿に彼らの『主人』を重ねて。


(どういうことだってんだよ、俺と往魔麗華は見た目真逆だぞっ! なのになんでこいつらッ)


 希瑠は身長一八〇センチを超す目が死んだ男、対して麗華は百五〇センチもないキラキラおめめのギャル。見た目で共通しているのは髪色のファンキーさくらい。常人ならどう頑張っても見間違えることはない。


(いや、そんなことを気にしている場合じゃねえ……)


あの変態どもに捕まれば無事では済まない。いろんな意味で。今は逃げなくては。


(入口も出口もどこ行った!? 景色が変わらなさすぎてわかんね――っ)


ごったがえす男どもでどこを走っているのかも分からない。今はただ道なき道を、ただふすまを蹴破ってこじ開け続けるだけだ。


(ふすまを蹴飛ばすたび変態が増えていきやがる……これじゃ捕まるのも時間の問題だぜ)


 新しい部屋に入るたび何十と筋肉ダルマが追加される。どれもが脂ぎっていて、珍奇な恰好で、欲望の目を希瑠に向けてくる。それだけでも恐ろしいのに捕まったらどうなることやら……。


(怪物化すりゃあ蹴散らせないこともないか? ……けど)


しかし図体が大きくなると、この脂ぎった肉の塊が身体に貼り付いてくるわけだ。そんな事態は絶対に避けたい、知らない男どもの汗と脂と唾の染みを毛並みにつけたくはない!


(けど、さすがにもう限界か……?)


 すでに変態の数は二百人を超えている。どんな豪傑でも無傷で相手するには至難の数だ。

 ここで怪物態を解放するか? 穢されたヴァージン・ヘアを泣く泣く洗う覚悟をするか……?


 ぞっとする想像を振り払いまた一枚のふすまを蹴破った先……一筋の希望の光が彼に差す。


(『この先入るべからず』……?)


 現れたのは木の引き戸だ。いままでの金のふすまとは毛色が違う。その戸に、そう筆で書かれた紙が貼ってある。


(なんだか分かんねえが……行くしかねえ!)


 この先はさらなる魔境か、あるいは上階への入り口か。意を決し希瑠は杉の扉を蹴破る――


「騒がしいぞ、蛆虫ども」


 瞬間。


 ぴん、と張りつめる空気。


(――やべえ!)


 反射的に希瑠は身をかがめる。すると、


「麗華さまアアアアアア…………ア?」


 ごとん。


 最前を走っていた何人かの肉ダルマの首が、血飛沫を上げてその場に落ちる。


「うわああああああああああ、あああああああああああ」


 手足が切り落とされ混乱する者も。もんどりうって筋肉の軍団は玉突き事故を起こし、ドミノ倒しのように木の扉に押し寄せる。しかし扉がはまっていた壁はびくともせず、穴の開いた入口から圧迫された何人かがドザザと倒れ込む。


「……何モンだ、お前」


 問う。奥に座す、この惨状を創った主に。


「それはこちらの台詞だ。この部屋を余のアトリエ(・・・・)と知っての狼藉か?」


 男。


 超然とした、しかしどこか苛立っているような男の声だ。


 小柄な男。銀色のくせっ毛を耳のあたりで揃え、紺の作務衣を身にまとっている。


「てめえ英雄だな。生徒会役員どもだけじゃなかったのか」


 ひときわ目を引く銀の手袋がその証左だ。


「そんなことはどうでも良い。余が貴様に何者かと問うている、我が制作(・・)の邪魔をする貴様にな」

「制作だと」


 見ると、部屋には象牙や大理石の像がずらりと並んでいた。人、鳥、花、さまざまの題材。削りかけのものもあれば、美しく磨き上げられた完成品も多い。


 そして部屋の中央には、ひときわ輝く女性の像が小鳥を手に乗せて座っている。


「……彫刻家ね。確かギリシャ神話に有名なのがいたな、誰だっけ」

「この作品群を見て気付かぬとはとんだ蒙昧。名を尋ねる価値もない」

「毒舌だなアンタ!?」


 希瑠がツッコむと銀の手の男はゴミでも見るような目に。


「芸術を理解せぬ馬鹿にくれてやる慈悲など無い。だがそのような蒙昧にもひとつだけ教えてやろう」


 ヒュッ、と。


 音が聞こえた、


(……何か来る!)


 とっさに跳びのくと、バリッ、今まで希瑠が立っていた木の床に五本の傷跡が刻まれる。


「我が名はピグマリオン……今世での名は『引田(ひきた) 万里男(まりお)』。希臘(ギリシャ)にその名を残す大彫刻家にしてキュプロスの王だ。ゴルフボール大の脳に刻んでおくがいい」


「俺はステゴサウルスじゃねえ!」


 悪態を返しつつ希瑠は考える。


(この野郎、視えない刃を使うのか……? ベレロフォンもそんな技を使ったらしいが)


 男が振ったのは右手、床の傷は五本。ということは、指に一本ずつ仕込まれているのだろう。


(実体のある武器ならなんてことはねえ、『楽園の王ロードオブシャングリラ』で防げるぜ)


 そう考え希瑠は能力を発動、銀色の炎の円が彼を中心に広がる。


(条文改正、『重力倍加(ダブル・グラヴィティ)』……これで奴の武器は俺に届くことはねえ。武器を地面に固定して本体をバッサリやるだけだ)


 そういえばあの筋肉男どもに追われていたとき、能力を使うのを忘れていたが、


(この結界って俺の霊体の延長だから、何か入るとそれに触ってるような気分になんだよな……あのむさい男どもを入れるのは絶対にイヤだぜ)


 苦い顔をしながらもピグマリオンからは目を離さない。

 当の彫刻家は面倒そうにあくびをしていた。


「ほう、結界か……妙な能力を使う。まともに相手をするのは骨が折れそうだな……」


「へっ、お褒めにあずかり光栄だぜ」


「……やめた」


「……は?」


 くるっ、とピグマリオンは希瑠に背を向けた。


「余は新作の制作に忙しい。貴様ごときの相手をしている場合ではないのだ、帰れ」


「……はあ?」


 希瑠の脳内が「?」で埋まる。


「アンタ英雄だろ? 俺たちを倒すためにこの世界に生まれてきたんじゃねえのか」


俺たち(・・・)、だと? もしやアトリエへの侵入者は他にもいるのか」


(……こいつ、俺の正体に気付いてねえのか)


 今の希瑠は半怪物態、身体のところどころに白い毛が生えた半人半犬の人外だ。とはいえ怪原家の各形態は英雄側でも確認済みのはずだ。それを知らないと?


「あのさ、アンタらはテュポーンの一族を討伐するために人界に転生したんだよな? オリンポスの神々の命令とやらでさ」


「テュポーン、だと……?」


 ピク、とピグマリオンの額に筋が浮かんだ。


「おお、忌まわしきあの魔神! 余の愛しいガラテアの魂を奪いおって……許さぬ、許さぬぞ!」


「ガラテア……? いや、会話が成り立ってねえぞ」


 希瑠は今、明かさなくてもいい正体を明かした。それはこの男と少しでも会話するためだった。しかしこの男は自分の世界から出てこない。


「おお、ガラテアよ、必ずやおまえの魂を呼び戻してみせようぞ。おまえの愛する花も、鳥も、ブドウも、歌い手も、みなこのように造ったのだ。なのになぜ戻らぬのだ、おおガラテア……」


 ピグマリオンは部屋の中央に立つ女の像にしがみつく。


「……そうか、まだ花が足りぬのか? 歌い手だけではない、ハープ弾きも必要だ……それとも贅を尽くした料理を並べようか? そうだ、それがよい……」


 そう言うと男はまっさらな石を取り出し、槌とのみ(・・)で削りはじめる。


「えっと、あのぉ……」


「なんだまだ居たのか? 疾く去れ、狼藉者(ろうぜきもの)


「いや、思い出したんだよ。中二の時に読み漁ったギリシャ神話の内容を」


「……?」


 視線で問うたピグマリオンに、希瑠は続ける。


「むかしむかし、あるところに女嫌いの王様がいました。王様は女に絶望していたから、象牙で理想の女をつくることにしました。食べるのも寝るのも忘れて女を彫り上げたところ、王様は象牙の女に恋をしてしまいました。食事を用意したり話しかけるようになって、王は象牙の女から離れられなくなってしまいました。弱っていく王を不憫に思った女神サマが象牙の女に命を与え、ふたりはいつまでも幸せにくらしましたとさ……」


「それは……余だ」


 ピグマリオンは象牙の女……ガラテアから向き直ってうなずく。

その銀色の瞳は、憤怒に歪んでいた。


「しかしガラテアの魂は失われた! あのいまいましいテュポーンの襲撃の折に……余とガラテアは永遠にふたりで暮らせるはずだった! その平穏をあの魔神が壊した! 奴の火球によって、ガラテアは跡形もなく破壊されてしまったっ! 与えられた魂は、当時の混乱で行方がわからなくなった……こうして代わりの人形を作ったが、彼女が帰って来ることは無い!」

「……」

「余はあの魔神を許さぬ、我が愛を打ち砕いたあの化け物を! ……む」


 そこで、ピグマリオンは気付いたようだった。


「そういえば貴様、どこかで見たような顔だな……確かテュポーンの一族に、死んだ目の男がいたような」

「今ごろかよ!」

「そうか……テュポーンの眷属がここを襲っているのだな。貴様ひとりというわけでもなかろう。ならばまず貴様を殺し、残りの者も全て余が殺す! そうすれば、きっとガラテアは我がもとに帰ってくる!」


 ビュッ、とピグマリオンが銀の両手を振る。しかし希瑠は腕を組んで微動だにしない。なぜなら、


(すでに『重力倍加』を発動してる。どんな武器だろうとオレに届きはしないぜ)


 余裕しゃくしゃく、ふんぞり返って希瑠は獲物が網にかかるのを待ち――



 ずばり。



「……は?」


 飛ぶ鮮血。


 重力にとらわれて沈むはずの刃は、しっかりと希瑠の五体に傷を刻んだ。白い毛が赤く染まる。


「いってえええええええええええええええ!?!?!?!?!?!???!?!?」


 理解不能、理解不能、理解不能。なぜ防御したはずのものがすり抜ける?


「ほう……こうも簡単にわが『糸』が届くとは。その結界は物理法則を改変するものだったのだな? 笑止、そのようなものではわが英能は止められん」


「てめえ、どんなカラクリをっ! ……あれ」


 問いかけて希瑠は気付いた。

 傷が、思ったより浅い。


「なんで……」


 せいぜい切り傷程度。カッターナイフで肌を切った程度だ。


「ふむ、やはり魂の薄皮で防御された肉体には、我が『糸』は届きにくいか。しかし」


 ヒュッ、とピグマリオンが両手を交差させると、


 希瑠の右手が希瑠の頬を殴る。


「ぐえ!?」


 希瑠は吹っ飛び、『楽園の王ロードオブシャングリラ』の銀の炎が消える。


「わが〝白銀の手(レ・マン・ダルジャン)〟の真価は切断にあらず。この『糸』を掛けたモノを操るのが本領」


 ピグマリオンが両手を自分の首に向けると、希瑠の両手も彼自身の首に向かって伸びていく。


「すでにおまえは余の操り人形……生きるも死ぬも、余の意のままよ」


 ガシッ、と希瑠の両手がみずからの首を締め上げる。


「ぐ……あ……!」


(絶体絶命ッ! どうするよ、オレ……!?)


 かすむ景色のなかで、希瑠は必死に活路を探すのだった。


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