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9. レット・イット・ホーネット ②

「……まさか!」


 蜂たちが飛来する刹那、珠飛亜すひあの脳裏に三日前のハチの巣事件のことが蘇る。――あれは自然のものではなかった。この『敵』が仕掛けた()()だったのだ!


「ッ!」


 珠飛亜はブラウスの背中のボタンを外し、純白の翼を広げる。


『空に逃げようってかぁ? なるほど、飛行の性能じゃ俺の兵隊どもは敵わねえかもしれねえが……飛び立つより前に、翼を潰してやるだけだぜッ!』


 謎の男の声が号令をかけると、蜂の群れは二手に分かれ、珠飛亜の左右の翼に向けて突撃する。


 が。


「……はぁっ!」


 珠飛亜はその場で一回転し、翼で群れを弾き飛ばす。


『……やるな。だが、これはどうかなッ!』


 先行していた蜂は削り取られたが、後続の蜂たちは珠飛亜の回転の動きに合わせて翼にとりつく。


『もらったぜッ!』


 びっしりと翼に張り付いたオレンジ色の蜂たちが、一斉に羽根に針を突き入れる――



 しかし。



『なぁっ!?』


 ボキリ、針は固い反発に叩き折られた。


『バ、バカなぁ!』

「悪いけど、見かけよりあたしの羽根カタいんだよねっ! 遠慮なく逃げさせてもらうからっ!」


 針を失った蜂たちを振り落とし、まだ痛みに苦しむ理里(りさと)の襟首をつかんで珠飛亜は空に舞い上がる。


『そうは問屋がおろすかよォ!』


 いっとき後退した蜂たちだったが、すぐさま追撃に行動を切り替える。


 翼を動かし、五メートル、十メートル、十五メートルと上昇しながら珠飛亜は考える。



(どうしよう……このまま家に戻っても、ハチの群れをみんなにけしかけることになるだけ。希瑠お兄ちゃんとママに頼んでも、これだけの群れを殲滅できるかは分からない。

 だったら!)


 ここで、わたしが、決着をつける。


 意を決し、珠飛亜はさらに高度を上げる。


 渡り鳥を追い抜き、目指すは灰色の雲海。なれど、蜂の群れは追撃の手を緩めることはない。通常の蜂では辿り着くはずがない高度でもものともせず追って来る。



(――いや、そうでなくっちゃ困る)



 珠飛亜は内心でほくそ笑む。


 雲海が見えてきた。躊躇せず、翼をはためかせる。


 ぼふう、と澱んだ雲に突入した。ファンタジー絵本で見るようなふわふわとした感覚は無い。霧の中を通り抜けているように、ただ灰色が過ぎ去っていくのみ。


 ひゅう、と雲を抜け、真っ青な空に視界が塗り替わったその時。


(――今ッ!)


 珠飛亜は、右手を眼下の雲海にかざした。


「"菫青晶の舞付師アイオライト・コレオグラファー"ッ‼」



 瞬間。



 右手をかざした先の雲海の一部が、()()()()()に変わる。


『な!?』


 いまだ雲の中を飛んでいた蜂たちは、その「水の雲」に捕らわれた。


「いくよっ……『汛瀑螺旋葬タイダルボアー・スパイラル』!!!!!!」


 珠飛亜の掛け声と同時、蜂の群れを閉じ込めた水の塊が、ゆっくりと渦を巻き始める。


『こ……こいつは、まずいっ』


 すぐさま蜂の群れは水中から脱出しようとするが、強力な水の流れに動きを阻まれる。


 その間にも渦の勢いは激しくなってゆく。はじめは水面に生まれた小さな渦のようだった流れが、しだいに大河、濁流、そして渦潮もかくやの激流へと変貌し、捕えた小さきモノたちの身体を千切り飛ばしてゆく。


「いっけえぇえぇぇ――――――――――ぇッッ!!!!!!」


 螺旋。旋。旋、旋、旋、旋、旋旋旋旋旋旋旋旋旋旋旋――――


 水の竜巻とまで形容できるほどに凄烈な渦流。並の動物はおろか、低級の怪物であろうとも耐えられぬほどの激流に、たかが羽虫が耐えられるはずもなく。


 ――ぱんっ、という破裂音。


 渦は瀑散(ばくさん)し、さきほどまで水牢を構成していた水は、蜂の骸片とともに、大地へと落下していく。


「事前にあたしの異能力、調べてたんだと思うけど。こういう応用があるってことも想定しとかないと、戦士失格なんじゃない?」


 堕ちてゆく(むし)の欠片を眺めながら、珠飛亜は呟き――――ふいに聴こえた羽音。


 しかし。緩んでいた警戒心が再び張り詰めた時には、すでに遅い。


「――――っ!?」


 視界に急接近してくる、一匹のオオスズメバチ。対応する間もなく、それは珠飛亜の体感的にはゆっくりと、しかしながら実際は急速に、彼女の眉間にまで到達し――



 腹部の針から毒液を、飛ばした。



「っああッ!?」


 珠飛亜の両眼を激痛が襲う。


「あああぁぁああぁあああァ―――――ッ」


 思わず両眼を抑える。と同時に、今まで左手で掴んでいた理里の襟が、するりと抜け落ちた。


「あっ……!」


 一瞬、目を開けようとする。しかし凄絶な痛みに襲われ、すぐに目を閉じてしまう。


「ぐうっ……待って‼」


 最早()ばたくことさえ忘れて、墜落するように珠飛亜は彼を追った。守ると決めた彼を、必ず自分が守ると決めた彼の命を、取り落としてしまうなど絶対にあってはならない。私が、あの子を殺してしまうなんて――そんなことになれば、自分は生きていられない。


 目も見えない。最初に刺された脊椎にも激痛が走り続けている。それでも、わき目もふらず、びゅうびゅうとうるさい風の中、ただ感覚だけで彼を追い――


 ふいに、前方に「ざぱん!」という大きな音と、顔にいくらかかる泥臭い飛沫(しぶき)


 そして――叩きつけられるような顔面への衝撃。


「がばぁっ!?」


 そのままびしゃり、ばしゃりと水面を転がり、三度目の着水で、ようやく身体がどろどろの水中に沈みこむ。


「ぶはっ、はあっ――はあっ」


 浮かび上がり、口に入った藻を吐き出して、目を開けると、そこは近所の公園の池だった。着水の際に毒は洗い流されたらしく、まだ少し痛いものの、視界に支障をきたす程ではない。


「りーくん! りーくんっ!」


 呼びかけながら辺りを見回して、数メートル先に浮かぶ白いブラウスの背中を見つけた。全身の痛みを押して、水中をもがき、彼のもとまで泳ぎ着く。

 そのまま彼を抱え、苦し紛れに水を掻いて、どうにか、背の高い草が群生した岸まで辿り着いた。


「りーくん! 大丈夫!? ねえ、りーくんっ!」

「げほっ……かはぁ」


 両肩をひっつかみ、身体を揺さぶりながら声をかけると、理里は咳をし、決して綺麗とは言えない水を吐き出した。


「ああ、よかった……りーくん……りいくぅん……!」


 濡れた躰を抱きしめて、体温を確かめた。少し冷えたものの、暖かみがある。生きているモノの温もりが、ある。


「ごめん……ごめんね……本当に……ごめん……」


 まだ意識もはっきりしないだろう耳元に、涙声で(あやま)った。痛みよりも何よりも、後悔、そして申し訳なさが、珠飛亜の中には募っていた。


「お姉ちゃん、手を放しちゃった……! 守るって言ったのに、絶対に誰にも触れさせないって言ったのに! わたしが、手を離しちゃったの……。でも、生きててよかった、本当に……」


 理里は返事をしない。おそらく、言葉を発する気力さえもないのだろう。


「さ、とにかく、帰ろう? さっきので敵は一匹だけになったはずだから、もう心配な……っ、」


 彼を助け起こそうとして、ぬかるんだ岸辺に膝を滑らせた。泥飛沫が飛び散り、湿った地面にうつ伏せに倒れ――そして、あることに気がついた。


「あれ、れ……? か、からだが、うごかないや」


 今の珠飛亜の肉体はかなり消耗している。にしても、動けなくなるほどではなかったはずだ。彼女の耐久値は、怪原家でも三本の指には入る。


 しかし、動くはずの体は、ただ痙攣するだけで言うことを聞かない。


「――やれやれ、やっと毒が回ったか」

「っ!? 誰っ――」


 若い男の声に、顔を上げようとするが、首が痙攣するだけで動かない。


 代わりに視線を上げると、茂みの向こうから姿を現したのは。


 ――珠飛亜がよく見知った、顔だった。


「タイガ……くん…………?」


 ぐしゃぐしゃにパーマがかかった、黒髪混じりの金髪。まだ幼さの残る童顔。ボタンが全て開けられ、腕まくりをしたブレザーと、「夜露死苦」とプリントされたTシャツ。

 その姿は、珠飛亜の生徒会での後輩・有村(ありむら)大河(たいが)のものに相違なかった。


「ご無沙汰です、珠飛亜先輩。いや……怪物『スフィンクス』」


 ふてぶてしくポケットに手を突っ込み、棒付きキャンディを(くわ)えた大河は、あまりにもいつも通りで。それゆえに、珠飛亜は未だに信じられなかった。


「なんで……? なんで手塩くんだけじゃなく、大河くんまで……? わたしたち、いっしょに半年間がんばってきたよね? 文化祭も、球技大会も、みんなでやって……すごく、すごく楽しかったよね? 卒業式のときは、始まってすぐに大河くんが泣いちゃって…………しょうがないなって、みんなで笑いあって……あれが、嘘なわけないよね……? まぼろしなんかじゃ、ないよね?」

「……いいや。ありゃあ全部、まやかしですよ」


 大河は、無慈悲に珠飛亜を見下ろした。


「最後まで真実を知らねえってのも気の毒だから、今教えときますけど。……俺や手塩だけじゃねえ。生徒会のメンバーは、お前を除く全員が"英雄"だ」

「っ……!?」


 呆然とする珠飛亜に、大河はゆっくりと歩み寄る。


「お前はまやかしを見ていたに過ぎない。お前を監視するために集い、問題があればお前を殺すことも考えていた者たちの中で、ただひとり夢を見ていたんだ。お前()()()()


 何かが、壊れていく音がした。わたしが、わたしたちがあの一年を投じて造り上げた青水晶(アイオライト)のような思い出が、ひびわれゆく音が。


「そん……な……みんな、みんなが」

「そういうわけで、あんたには死んでいただく。……悪く思うな。これも世界のためなんでね」


 そう告げた大河が左手を掲げると、茂みの奥から、新たな蜂の群れが現れた。


「あ……ああ…………」

「あれで全滅だと思ったか? そりゃあ甘い考えだぜ。

 俺の異能"蠭天(ナノティラヌ)大権(ス・クレイム)"は、半径五キロ圏内の蜂をすべて支配できる……あの程度の数じゃあ、全体の三割にも満たねえんだぜ。さあ、大人しく俺に始末されな――」


 掲げた左手を振り下ろそうとした刹那。


「……あぁ? 何だ、死に損ないが」


 うつ伏せの状態で、珠飛亜のそばに倒れていた理里が、大河の右足首を掴んでいた。


「おまえ……許さない、ぞ……」

「……オイ、離しやがれ」


 大河が脚を振るうが、理里は離れない。離さない。


「おまえは……おまえらは……集団ぐるみで珠飛亜の心を()(にじ)った……。珠飛亜がどれだけ生徒会を大事にしてたか……その珠飛亜の一番大切な場所を、お前は粉砕したッ……!」

「ンなこと知るかよ。害獣を駆除するのに、どんな卑劣な手を使おうが抵抗は()えだろう? オラ、さっさと離せ」

「おまえは……おまえはアァ――――――――ッッ!!!!!」


 叫ぶと同時に、理里の左目が、黄色く染まる。蛇のごとく瞳孔(どうこう)が細くなった虹彩から、金色の光が漏れはじめ。


 閃光が、辺り一面を染めた。

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