106. 奇々怪々
《往魔邸 麗華の城 四階》
「案外簡単だったわね……」
すでに城内、四階にまで達した恵奈は拍子抜けしていた。
理里たちが入ったのとは別の非常口から、警備員を叩きのめして虹彩認証でドアを開け、邸内に入った恵奈と希瑠は、そこから三階を非常階段で上ってきた。
「だろ? 言ったじゃんよ、勢いが大事だって」
赤帽子につけヒゲの希瑠は得意げだ。
八階建てのこの城、一階と二階は玄関ホール、三階と四階は厨房や会議室など実務的な部屋が多い。外見は和風だったわりに、中は近代的な設備が整っている。いま彼らがいる非常階段も金属製のそっけないものだ。
「最近の城ってこういうのが多いよな。博物館機能重視とかで、ムードブッ壊すくらい新しいの」
「仕方ないでしょ、大人の事情よ。……そろそろ階段ね、こうも順調だと嫌な予感がするわ」
「フラグ立てんな現実になるぜ」
『魂の光学迷彩』を使っているため、恵奈たちは城内の警備員に気付かれることもなかった。何らかの対策が講じられているのを想定していた彼女らにとっては、いい意味で想定外だ。
「よし、五階ね」
そしてまた上階……と、階段はここで終わっている。
「あら、このお城って八階建てよね」
「とんだ欠陥建築だぜェ」
確かに階段はここまでだ。が、階段の続きに代わり、扉のようなものが一枚、壁に埋まっている。
「……襖?」
金箔の地に、ごてごてと赤い薔薇の描かれた、趣味の悪いそれが。ただ、異界の門のようにひとつ。
「この襖、引いて開けられる感じでもねえぞ」
「ええ、でもこんな無意味な建築するとは思えない。きっと何か仕掛けがあるのよ」
「また虹彩認証か? さっきの警備員を連れて来りゃよかったな」
「いえ、これ以上は地位が高い従業員にしか許されない領域かもしれない。SNSに上がっていた見取り図も四階までだったし」
「ええ……? じゃ、ここに入れる奴を探すしかないってことか。そんなのどうやって見分けんだよ」
一時後退、それしか選択肢はない。そう考え、希瑠が階段を降りかけたとき。
襖が、割れた。
「っておおお!? ふすまが卍型に割れて壁に吸い込まれてった! どうなってんだ!?」
「あの襖の引き手、よく見るとダイヤルロックになっていたわ。四桁の」
「え、マジか! でもどうやって番号?」
「1109。卜部籠愛の誕生日よ」
「怖えーな女の勘って!」
希瑠は頭の後ろを掻き、ぽっかり空いた穴の向こうに入ろうとする。
が、寸前で立ち止まった恵奈にぶつかった。
「痛え……いや痛くなかったプニプニだった、ってあれ?」
軽口のあとに鉄拳が飛んでこない。不思議に思い、首を曲げて恵奈の向こうの景色を見て。
蜚蠊の死骸がミチミチに溜まった罠を見たように、希瑠は顔の皮膚を歪めた。
「……マジかよ……」
泥のような赤。天井では内臓のように木目が艶めかしくうねっていて、側面はぎらぎらと金泊貼りの襖、ところどころに薔薇、薔薇、薔薇。襖絵は赤や青や紫の薔薇で、畳の上にも極彩色の薔薇の花弁が敷き詰められている。
「趣味、わっるぅ……」
「和洋折衷の失敗例ね……」
しかし、彼らに酸鼻をきわめさせたのはそれだけではない。
「なんだこの甘ったるい臭い? 煮詰めすぎた小豆みたいだぜ」
「わからない……だけどあまり吸わない方がよさそうね、頭がぼうっとするわ」
甘いと言うには不快すぎる、腐った果実のゴミ溜めのような臭い。この階層じゅうに充満している。恵奈と希瑠は鼻を覆い、その異界に足を踏み入れた。
「もしかすると、ここからが潜入の本番かもしれないわ。慎重にいきましょう」
「賛成だぜ。鬼でも蛇でも出てきそうだ」
ぴしり、ぱしり。恵奈の皮膚を鱗が覆い、ざわざわと希瑠の身体は白い毛に覆われる。
半怪物態。怪物態ではサイズが大きくなりすぎるので、隠密を伴う潜入にはこれがベストだ。
「まずは上に行ける場所を探しましょう。エレベーターか階段かも分からないけど」
「非常時のこと考えると階段だな。エレベーターだと止められかねん」
「了解」
返した恵奈の眼は、すでに金色に輝いている。
〝暗神の瞳〟、すでに未来予知を常時発動。
「罠は無さそうね。少なくとも踏んで作動するようなものは」
「同感だ。俺の第六感もそう言ってる」
第六感、希瑠のその言葉は冗談ではない。
異能力者は、自身の能力が作動する範囲内の『殺気』をある程度探知できる。罠とは設置する者が害意を込めて置いたものであり、その意思の残滓が必ず残っている。が、この禍禍しい階層からそれは感じられない。
「すると、ここは何のための階層なんだろうな? 芸術展示とかか」
「何の冗談? それより、あまり喋らない方がいいわ。どんな方法で感知されるか分からない」
異能力者は基本的に何でもありだ。物理的な限界が通用せず、完全な想定は不可能。だからこそ、あらゆる可能性に注意する必要がある。
上階に繋がりそうな場所はなかなか見えてこない。金キラの襖が続いているばかりだ。
「なあ、さっきから同じとこをずっと回ってるような気がしねえか?」
「思ってたわ。どうやら、この襖を開けないと次の場所には進めないようね」
ずらり並んだ襖は、全てぴったりと閉まって中のようすが分からない。
「ちょっと中を覗いてみる。下がっててくれ」
「ええ」
獣の爪を、希瑠はおそるおそる襖のふちにかける。ゆっくり、ゆっくり、引いてずらしていく。
「よし、このくらいか……」
一センチほど開いたすきまに、希瑠は顔を近づけていく。犬の鼻をおおったまま、ぎょろりと光る赤い目を未知の景色に潜りこませる七秒前、六、五……
「……あぶないッ!」
恵奈の声が飛んだ時には、すでに希瑠は何者かに首を掴まれていた。
「ご、あッ……!?」
褐色、筋肉隆々。襖の中から飛び出したその腕が、むんずと半人半犬の頸動脈をしめ上げる。
「……痛ェだろうが、この野郎!」
万力で希瑠は腕に爪を立て、強引に引き剥がした。腕の主はがたたんと襖を吹っ飛ばして、五間ほど飛んで薔薇の花弁の広がる床に転がった。
「何者だァ…………え」
問いを投げて、希瑠はその腕の主の姿に気勢をそがれる。厳密には、あまりに珍奇なその服装に。
「アハァ……」
頬を赤くして唾液を垂らすその巨漢は、赤ん坊のようなフリルのついた頭巾と、そして紙おむつだけをまとっていた。手首にはガラガラと鳴る子ども用の腕輪がついていて、薔薇のしきつめられた床には、彼の口から落ちたらしいおしゃぶりが落ちている。
「な、なんだコイツぅ!?」
赤帽子につけひげにオーバーオールの犬人間、という自分の見た目を棚に上げて希瑠は慄いた。が、
「ハァハァ……や、やっと」
赤ん坊風の巨漢は希瑠のことなど目に入っていない。あらぬ空を見つめて、うわごとをつぶやいている。
「やっと、来てくれたァ……」
「来たって、誰が!」
「希瑠くん後ろ!」
恵奈の声でとっさにかがむと、新たな肉塊が希瑠の背をかすめて畳にべちゃっと張り付く。
「何だオマエら、って今度は魔法少女!?」
筋肉の塊のようなガチガチの、それでいて脂でテラテラの男が、今度はピンクのフリルのついたドレスに身を包んでいる。しっかりパニエまでスカートの中に履いて、ピンクの頭は中結びのツインテールだ。顔はゴリラ並にいかついのに。
「やべえ……! オレの鼻が今すぐ逃げ出せとワンワン鳴いてるぜ! 犬だけにな!」
「……冗談言ってる場合じゃないみたいよ」
恵奈の視線は襖の向こう、開かれた畳の大部屋に向けられていた。
「この状況以上の冗談がどこに⁉ ……げっ」
害虫の死骸どころか、生きたその巣窟を見たように、希瑠は顔をしわくちゃにした。
漢。
脂。
肉。
それでいてフリル、
ミニスカート、
リボン。
ひとつ残らず禍禍しくデコレーションされたその群れが、唾液を垂らし、鼻息を荒げ、頬を紅潮させて、毒々しい畳の部屋にひしめいている。
「……ぎょえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「あ、こら待ちなさい!」
希瑠は尻尾に火がついたようなバックダッシュ。後方のふすまをぶち破り、うごめく禍禍しい漢たちの間をすり抜けて一目散に逃げ去った。
「ハアハア……」
「アヘヘ……」
「げひひ……」
残された恵奈の身体に、ひしめく漢たちのねっとりした視線がまとわりつく。
「……視姦するならひとり五千万、耳そろえて置いていきなさい」
ギロリ、恵奈は凄んだが、同時に漢たちの熱い視線に違和感もおぼえた。
(この子たち、私を見ていない……?)
彼らの目は焦点が合わず、恵奈を見ているようで恵奈を見ていない。まるで恵奈の身体に、別の誰かを投影しているような。
その答えは二秒後に明らかになる。
「れ……」
「れ?」
恵奈が問い返すと、漢たちはいっせいに声を張り上げた。
「「「「「「「麗華様アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」」」」」」」」
狂気、狂喜、驚喜。われんばかりの歓声で、漢たちはここにいない女王を出迎える。
「……そういうことね」
恵奈は黄金の瞳で天井をにらみ、その女に心底の侮蔑を贈った。




