101. addition
「しかし貴様、その堅物は変わらんな。以前にも増しているかもしれん……昔はもう少しくだけた性格じゃあなかったか?」
ヘラクレスは毛虫のような眉を八の字にしたが、手塩は微笑みを浮かべるだけだった。
「はは、そうだったかもしれませんね。そちらにどうぞ、あなたのために用意した特注品です」
そう言って彼がヘラクレスに示したのは、応接用の二人掛けソファである。部屋の真ん中にどっかと置かれたそれは、本来校長室にあったものを一時的に拝借してきたものである。
「ガッハハ、では喜んで」
ヘラクレスはずしんずしんと床に足音を響かせ、その巨体をソファに沈み込ませる。彼の尻はぎりぎりソファの中に収まるか収まらないかというところ。骨組みがミシミシ音を立てている。
彼に続く三つの人影はしばらく動かなかったが、ヘラクレスが目で合図すると両脇に置かれた人数分の椅子に座った。
つづいて手塩・麗華が備え付けのパイプ椅子に座したところで、ヘラクレスが口を開く。
「今日ここに来た要件は三つだ。まずは、共同戦線を張るそなたたちへの挨拶。旧知のふたりと共に闘えて、己はとても光栄だ。
二つ目は……少し待て」
ヘラクレスは迷彩ズボンのポケットをまさぐると、二つの小袋を手塩に投げ渡す。
「これは?」
「開けてみろ、なかなかのもんだぞ」
促されるままに手塩が袋を開けると、中には緑色の液体が入った小瓶が三本と、ひし形の金細工が入っていた。
「……これは!」
「そうだ、追加のネクタルだ。一人三本の原則は覆せなかったが、特例で許してもらえたよ」
「ありがたい! 何とお礼を申し上げていいか……!」
ネクタル、万能の霊薬。手塩たちの手元に残るのは、もう麗華の持つ二本しか残っていなかった。
「それと、これは?」
続いて手塩は、よく分からないひし形の金細工に目をやった。手の平大のそれはずっしり重く、用途が全くつかめない。
ヘラクレスがつけ加える。
「それは"結界装置"。名工ダイダロスが開発した優れもんだ。これを使うと一定の領域内から人を追い払うことができるらしい」
「! では、この間のような大規模の被害は起こりにくくなると!」
「そういうことになるな。構造物の強化もできるらしいから、人的・物的被害ともに防げるぞ!」
「よかった……!」
手塩が安堵すると、甲高い声の女が口を挟んだ。
「強度の上昇ではない、無機物の時間停止だぞ。そして単なる人払いではなく暗示を利用した……」
「細かいことはいい。原理原則などは製造者が知っておればそれでよいのだ」
「むむう」
ヘラクレスが制すと女は引き下がる。
彼の右に座す男が補足する。
「これを使うことで戦闘の被害を最小限に抑えられる。この前のように街一つが凍結などシャレにならんからな……余にはどうでもよいが」
「具現化型の能力にはどう対処するのです? キマイラの能力の場合、建造物の強度を上げたところで無駄だと思いますが」
「いや、それも大丈夫らしい。空間を切り取るだったかな、とかくそれすらも結界内にとどめられるそうだ」
ヘラクレスが補足すると、手塩は感嘆の息をつく。
「この短期間でそんなものを……さすが名工と言ったところか」
「まさに天才の技だな。奴の造った石像を見た時、己は生きた人間と思って石を投げたくらいだからなあ」
ヘラクレスがガッハハと笑う。
この機械を造ったのは、古代ギリシャで知らぬ者はいないといわれる職人ダイダロスである。クレタ島の大迷宮やイカロスの翼など、さまざまな発明を後世に残した人物だ。
「これが二つ目の用事。最後は今後の方針についてだな。かなり厳しい状況なのだろう?」
「……否定はしません」
ヘラクレスの言葉に手塩はうなずく。
「すでにこちらの戦力は三人が欠けた。正直なところ、奴らの力量を見誤っていました。一対一で殲滅可能との判断をしていましたが、まさかこれほどとは……」
「お前の非ではあるまいよ。アタランテの暴走やヒッポノオスの裏切り、最弱と思われていたトカゲ男の覚醒もあったわけだし」
ヘラクレスは砕けた口調で励ます。
「過ぎてしまったことは仕方がない。大事なのはそれを受けてどう対処していくかだ。フィードバックというやつさ」
「貴方にそう言っていただけると、心強い」
手塩の口がわずかに持ち上がる。
眼前でニッカと笑う彼を見ていると、不思議と心が高揚する。それは昔も今も変わらない。
彼とともに、数多の冒険を乗り越えた。金羊の皮を求めた航海や、アマゾンの征伐……一度は冥府から救ってもらったこともある。
いつだって手塩は彼の背中を追っていた。いかなる障壁、いかなる困難にも負けない彼は、いつしか彼の憧れとなっていた。
(その憧れを超えることは、これからも叶わぬのだろうが)
そう感じさせるくらいにはヘラクレスの背中は大きい。その彼とまた隣に立って戦える。これほど心強いことがあろうか。
加えて彼が連れてきた戦士が三人もいる。いずれも以前のメンバーに劣らぬ実力者だ。
(たとえテュポーンが相手だろうと負ける気がしない。アリスタイオス、ヒッポノオス、アタランテ……あなたたちの敗北は無駄にはしません)
闘志を燃やす手塩の胸ポケットの小瓶には、一匹の蜂の死骸が入っていた。
「……それはそれとして、具体的な戦略ですが……」
「ああ、『もう考えてある』と言っていたな」
「ええ、あなたがたのパーソナル・データはいただいていましたので。
それらと諸般の事情を考慮した結果、今回は『総力戦』に出たいと思います」
「……ほう」
ヘラクレスが眉を上げる。
「なぜ?」
「今までのテセウス班は連携能力が低すぎました。それぞれの能力の癖が強く、共に闘うには適していなかった……だから一人ずつ担当を決めて、怪原家をそれぞれのタイミングで各個撃破しようとした。
しかし、それもことごとく失敗に終わった。
だが今、我々の幕下には最高水準のサポーターが加わった。連携の幅はかなり上がったといえます」
にやにやと笑う女を一瞥して、手塩は続ける。
「彼女の援護を受け、最後の総力戦を怪原家に仕掛ける。日取りは連休明けの五月七日。その日が、彼らの最期の日です」




