100. 増援
決戦は何曜日? すぐそこまで迫っている。
世界の存亡などいざ知らず、ただ自分たちの生存を願うバケモノと、自らを捨てて世界を救わんとする英雄たち。縺れ縺れた彼らの戦いには、ひとつの区切りが近づいている。
正義はどちらか、悪はどちらか。『一般的』な解答はすでに見えていて、それでも譲れぬ戦いがある。
どちらの正義に軍配が上がるか、御照覧あれ。
☆
《二〇一八年五月三日 午前九時》
憲法記念日の朝、生徒会室の鍵は開いていた。
入口の引き戸に嵌められたすりガラスの向こう、ぬっ、と黒い影が表れるのを、黒板前の席に座った手塩は見た。
「どうぞ」
大きめの声で促すと、影はその巨体を少しかがめてゆっくりドアを開けた。小さめの袋に布団を押し込むように、ぎちぎちと身を縮ませ、ようやく抜けた時には八秒ほど経過していた。
現れたのは、東大寺の門の両脇にでも立っていそうな大男である。岩山を人の形に彫り上げたような頑強な体つきだ。大胸筋は今にも破れそうな白いタンクトップを押し上げ、下は迷彩柄のズボンと、どこで買ったのかわからないほど大きい黒ブーツ。ぼさぼさの長髪は金色で、かきあげた前髪の一部は稲妻型に曲がっている。
巨体をようやく広げた彼は伸びをする。が、
「おっと」
そのたくましい両腕は、伸び切らないまま天井に触れてしまった。
「ヤア、どうもこの国の建て物は小さくて困る。出入口もろくに通れんばかりか、天井までこの低さとは」
「それは貴方の身体が大きすぎるだけですよ」
「ハッハハ。これはしたり」
巨影は手を叩いて豪放に笑う。その大声は部屋の窓にヒビを入れんばかりだ。
大笑いする彼の後ろから、三つの人影が遅れて姿を現す。ひとつは小さく、ひとつは中くらい、最後のひとつは巨人や手塩ほどではないもののの、それなりに背が高い。
彼らを一瞥して、手塩はねぎらいの言葉をかけた。
「皆さま、長旅ご苦労さまでした。今回は我々の増援要請に応じていただき、誠にありがとうございます」
「ワハハ、いやなに、たまたま己も手が空いておったからな。奴らとの戦いも一段落、息をついたところに来たのがそなたの要請よ。ついでとばかり、暇そうなやつらをふたり連れてきてやったわ」
巨影が後ろを親指で示すと、控えていた人影のひとりが反駁する。
「ふたりではありません。三人です」
若い男の声はわずかに憤っている。なるほど後ろに控えた影は三つ。
「おお、そうだった……すまんすまん、キプロスの王よ」
大男は素直に謝罪した。しかし、その左に控えた女はケタケタと笑う。
「あっきゃきゃきゃ! それをひとりと数えるの? もとより命なきもの、そして今命を失っているものがひとり? きゃきゃっ、これは笑わせてくれる」
「そこまでにしておけよ魔女。我が乙女の拳が貴様を穿つ前に」
長身の男が両手を胸の前にクロスさせる。その手の皮膚を、だんだんと銀色のベールのようなものが覆っていく――
「ねー、身内で争ってどうするのぉ? そんなんじゃ勝てる相手にも勝てないよぉ」
手塩の隣に立っていた麗華が、ふくらませたガムの風船を割ると、女と男は口を閉じた。間に立つもうひとつの影は微動だにしない。
「お二人ともよろしいですか? では、本題に入りましょうか」
手塩は口論をしていたふたりに向けていた視線を大男に戻し、ふたたび口を開く。
「我が朋友にして、ギリシャ史上最高の英雄。十二の難行を制覇し、向かい立つ全ての試練を踏破した男、そして今なお乗り越え続ける男――ヘラクレス。あなたの加勢が得られた今、私は百人力だ」
「ふふ、そう褒めちぎられると照れるが……まあ仲良くやろうや、わが友よ」
達磨のように大きいヘラクレスの眼と、鷹のように鋭い手塩の目が合う。固い握手が交わされる。
大迷宮ラビュリントスを踏破し、ミノタウロスを屠った〝冒険王〟テセウス。そして十二の功業を果たし、神界の最大戦力としてその名を誇る〝至高の英雄〟ヘラクレス。その二人の共同戦線が、今ここに成立したのである。