第七節
授業というのは退屈だ。知識ベースの分野においては猶更。特にこの学園ではそういった基礎教育的な場面は教員からではなく膨大な量のデータを詰め込んだデータベースからコンソールで享受するからだ。物語にはありがちな愉快な話を繰り広げる教師も存在する間もない。一方で協同学習で学友との会話が推奨されており、まったくもって苦行というわけでもない。しかし生徒の能動的な学習――アクティブラーニングという建前で提供されるこのシステム自体はすこぶる不評だ。学生である以上勉学はしなければならないというお嬢様方の真面目な思考もそれを助長していた。
一息ついた俺に一緒に励んでいた藤花が肩を寄せる。
「菖蒲もそろそろ飽きた? つまらないよね」
「その台詞毎度毎度言ってないか?」
つまらない、飽きたは彼女の授業中の常套句である。気持ちは分からなくもないけれど。聞けば学園側だって好き好んでこの体系にしたのではないらしい。しかしスポンサーの貴族派多数がブレイサーでない者を学園に混ぜることを強く拒んだ結果苦肉の策でこうなったのだそうだ。ここまで選民思想が強いとどうかしているとは思うがおいそれとは変えられない。歴代の学園長が持つ悩みの種の一つなのだと言う。
「飽きなんてそう簡単に変わるわけないでしょー。こんなのが楽しい人なんていないって」
「そんな調子でカンガクケンは大丈夫だったのか?」
簡学験とは簡易学力試験を略した通称だ。これはこの学園に入学するときにすべての生徒が受けるもので、基礎学力を学園側が把握するためのテストだ。
入学資格はギフトを持つということが絶対条件であるが、その才能とパトロンの力がほとんどの判断基準である。いくら天才的な頭脳を持っていても非ブレイサーである限り入学は叶わない。だがその逆のケースは往々にして存在する。ただ、いくらなんでもあんまりな生徒がいるのは教育機関的にまずい。だからそのような生徒を簡学験でより分け、それとなく分相応の問題を前述のシステムで与えることで何とか解決しようという思惑もこの授業形態には存在している。優れる者は優れる者同士で優れた問題に挑ませ、アレな者はアレな者同士でアレな問題に挑ませる。そのための下準備として簡学験は存在している。
藤花はバックがカルミアであればその口添えで入学は容易だったろう。同時にこれを受けているはずだが、彼女が授業システムから与えられている内容を見るにそれほど粗末な結果ではなかったようだ。
「簡学験? ああ、あれね。あれほとんどが四択じゃない? 私確率には自信あるんだ」
呆れて何も言えなかった。四分の一の当たりを連続で外し続けるには……というやつを藤花は実践したのだ。どことなく得意げな藤花の反対側で先ほどまで一所懸命に取り組んでいたリラがひと段落ついたのかこちらに顔を寄せて会話に加わる。そして俺の代わりに藤花と話し始めた。
「それって当てずっぽうで埋めたってことですか? どうせ点数では落っこちっこないんだから少しは考えてみたら良かったのに」
リラはいたって真面目な子だった。文句ひとつなく黙々と授業を受けている姿をよく見る。その姿勢の一片でもこちらのギャンブラーにあげてほしいくらいだ。藤花はリラの言葉を受けて腕組みをして何やら芝居がかった話し方をした。
「分からないことは分からない。諦めこそが一番賢い戦術だ――。バイカルミア」
元凶は奴か……。したり顔で話すカルミアの姿が藤花にオーバーラップする。俺はその言葉を開き直りだと捉えていたが、リラは違う取り方をしたみたいだった。
「“知らざるを知らざると為す。是れ知るなり”でしょうか。学園の副理事長ともなると言葉に重みがありますね」
「うーん。リラはいい子だなあ」
カルミアに対するその評価が覆るのはいつになるだろうか。きっとそう遠くないだろうな。
――――――――――――――――――
放課になり教室にいる人もまばらになった。しかし帰る場所は皆同じ寮であるから敷地内、周辺の街における人口密度は高い。したがって人目に付きたくないならそれなりの場に移動する必要がある。ここ一帯の関心の塊たる俺達はそのために学園内の校舎から離れ、生い茂る景観用に植えられた樹木に囲まれるちょっとした広場で過ごしていた。
芝生に座る俺の前方にはリラと藤花が聖具を使って模擬戦をしている。藤花は竜胆菜沙に渡された大槍があるがリラは自分の聖具を持っていないため俺のダモクレスの剣を手にしている。ダモクレスの剣は俺のギフト――赦されざる処刑のトリガーでもあるが、それは俺自身が使わなければ発動しないためリラが扱う分にはただの武器でしかないため問題ない。
俺と華香里、そして椿は二人の取っ組みをのんびりと観戦していた。椿が制服の胸元でパタパタとあおぎながら二人の姿を見て気だるげに話す。
「こんな中でよくやるわね」
「まったくだな」
夏真っ盛りにはまだ遠いがじっとりと肌にまとわりつく気温。ただじっとしている俺達三人はまだ良いが激しい運動をしている彼女らの額には大小の汗が浮き出ていた。なぜこんなことをしているのかと言えばリラの前向きさによるものであった。彼女はダリア教官の推測を信じて俺がいつかギフトを使いこなし、自分のギフトが手に戻った時のために椿に突かれた弱点――基本的な戦闘技術の低さを補うべく今、こうして鍛錬に身を投じているのである。その相手が藤花なのは彼女が自ら立候補したからだ。何か思うところでもあったのだろう。誰よりも早く、強く希望していた。
「そういえば華香里。藤花のギフトについては進展は見られたりしたのか?」
俺は隣で扇子をあおいでいる華香里に聞いてみた。俺達の中で藤花を除いたリブラリアンの授業を受けているのは華香里だけだから。華香里は顔を微妙に曇らせて口を開く。
「それが兆しも現れないとダリア教官は話していました。教官もギフトの発現や進化に影響があるとされている研究などを可能な限り引っ張ってくださるなど尽力されておられましたが……」
「無駄だったわけね」
一刀両断した椿の言葉を華香里は頷き肯定して言った。
「やはり自然にではなく、何かしらの切っ掛けが必要なのでしょうか。そんな話は聞いたことがありませんけど」
切っ掛けか。確かにギフトが生まれるために条件を要したという前例は無い。ただ前例の無い事例というのはあらゆる物事に存在するからな……。とあれこれ思案に暮れていると声が届いた。
「威勢のいい音がすると思ったら君達か。……よっと」
「小御門先生。どうしてここに?」
彼女は俺達に倣って芝生に足を伸ばして座り込む。それからようやく俺の問いに答えた。
「諸々の用事が済んで館に帰ろうと歩いていたら剣戟のぶつかる小気味良い音がしたものでな」
その言葉に俺は驚愕を隠せなかった。
「館への通りって……ここから結構離れてますよ。聞こえたんですか?」
誰にも聞こえない、気付かれないためにこんな奥まった場所に来たのだ。なのにそれを上回る察知能力とは恐れ入った。先生は特に照れるでもなく謙遜するでもなく、あっけらかんと話す。
「文字通り死ぬほど戦いを経験すれば誰だって聞き分けられるようになる」
そして彼女は藤花らの戦いに目をやる。あの二人は気力十分なのかまだ続けていた。あの様子だと先生が来ていることにも気がついていないようだ。それを静観しながら先生は誰かへ向けるでもなく、
「そういえば、また面倒な事に巻き込まれてるらしいな。向日とヴァーミリオンの会合に呼ばれたそうじゃないか」
と語った。内容を鑑みると誰に対しての言葉なのかは明らかだった。そこでまず俺が聞いておきたかったのは一つ。
「どこでそれを知ったんです?」
これに尽きるのだった。“らしい”ということは間接的に情報を得たのだろうが向日家からとは考え難い。それ以外には昨夕に四人ほどに話したがそう易々と言い触らす人らでは――ただ一人を除いて――ない。その一人だってあんなに自信満々にいて――。
「昨夜とある情報提供者がべらべらと語ってくれたぞ。君もよく知るお調子者がな」
「……なにが口が堅いだ」
小さく漏らした言葉だったが先生の耳にも届いたようで笑みを漏らしながら、
「憶えておくといい。どれだけ口止めしたって八重垣に話すという行為は拡声器に向かって叫ぶに等しいという事をな」
「……二度とあの人に秘密は話しません」
心に強く誓った。すると彼女は一笑いし、
「まあ、あいつも話す相手は選んでいる。そういう意味では馬鹿者であっても大馬鹿者ではないだろう」
それを受けてすかさず華香里が差し込んだ。
「それ何のフォローにもなってませんよね……」
――――――――――――――――――
「さっきからずっと黙り込んでいるけど、どうした?」
模擬戦を止めた藤花とリラは今小御門先生からそれぞれアドバイスを受けている。流石は教育者と言うべきか、俺達と会話しながらも彼女らの動きを逐一評価していたようだ。そんな中、俺は椿の口が少ないことに気がついて何事か聞いてみたのだった。すると椿は俺に向かって、
「例のパーティー、私も参加しようかしら」
と言ったのだった。俺の隣で聞いていた華香里がその言葉を聞いて不思議そうな顔をする。
「椿さんも兄さんのように招待されているのですか?」
椿は質問に答える前に、自分のチャリスを操作して俺達の前に一つのメッセージを映し出した。その中には俺が銀杏から受け取った招待状の内、純黒の封筒に備わっていた白い紋――向かい合う二対の蝶が窺えた。たしかこちらは向日家の招待状のものだ。一緒に添えられた文章を正確に丁寧に要約すると以下のようになった。
エルグランデの成績は目を見張るものだった。だから自分達のパーティーに招待してやる。顔を出せ。
形式上は中止となってはいるが、先のエルグランデで誰が最も輝かしい結果を出したかと問われれば十中八九、椿の名が上がるだろう。つまりは優秀な人材という事になる。それを向日家もヴァーミリオン家も見逃すはずは無い。だが当の椿は乗り気でなかったらしく、
「招待されたって、別にこんな人達に評価されたくて戦ってた訳じゃないわ」
とのこと。しかしさらに椿は付け加えて言った。
「でも……あなたが行くなら私も一緒に行ってもいいかなって」
「まあ俺も知った顔がいる方が心強いかな」
道連れは多いほど良し。などと考えていると隣の華香里が俺の袖をぐいぐいと引っ張りながら懇願した。
「兄さん。私も、私も連れてってください。招待状、兄さんの分ともう一枚ありましたよね?」
「うーん。あまり楽しい場所ではないと思うが……」
銀杏も腹の探りあいと揶揄していたくらいだし恐らくまともな場ではないだろう。なのでやんわりと華香里を諌めようとしたが、対岸から椿の援護射撃が飛来した。
「いいんじゃない? 余分に招待状を渡されたってことはそういう事でしょ。悪い扱いはされないと思うわよ。妹を心配させっきりで留守番をさせたいなら私は何も言わないけど」
そう言われると弱いんだよな。リラの一件でも一人で突っ走った結果心配掛けてしまった場面があったし……。
(観念するしかないか)
本人の希望に沿うべきだろう。それに主催の両家からすれば俺達は部外者に過ぎないから難しく考えなくてもいいのかもしれない。
――――――――――――――――――
帰宅し部屋に戻って来て、ふと見た机の上に俺を呼ぶ旨を一筆した紙が置かれていた。この状況はよく見たことがある。小百合さんが内緒話をしたい場合の合図みたいなものだ。
「小百合さん。入りますよ」
そんな訳で彼女の部屋にお邪魔する。このタイミングで密談と言えばおおよその見当はつく。入室した俺は彼女に促されて席に着く。小百合さんが切り出した話とは、
「今週末に厄介なイベントに参加するみたいですね」
この話題に決まっていた。なんだかここ最近はこれについて聞かれすぎな気がする。それにしても昨日の今日でほぼ周知の事実と化しているのはいかがなものか。そこで俺は逆に聞き返してみた。
「もしかしてとある情報提供者から教えられました?」
流石に何人も言い触らしてはいないだろうと信じたい。小百合さんは何の事だか分からないという素振りを見せて言った。
「うーん。人から教えられたというのは合ってますけど……。たぶん菖蒲ちゃんの想像している人ではないと思いますよ」
良かった。小御門先生の言うとおりあの人は大馬鹿ではなかったようだ。だとすると残りは限られているが……。
「だとすると誰から聞いたんですか?」
「姉さんが事細かに知っていました」
「沙羅さんが……?」
リラの件もだったが、影も形も見せない沙羅さんが一体どうやって事の次第を把握しているのか。それも唯見聞きした程度ではなかった。その種は長年一緒に居る俺や姉妹である小百合さんですら知らないという。俺も小百合さんも、あの人がどこに居て、何を考えているかは推し量れない。
「菖蒲ちゃんが自分から私に話すことは無いと思ったんでしょう」
「う……」
確かにその通り。小百合さんは沙羅さんと違って俺や華香里に過保護になる時がある。あまり心労を掛けたくないから黙っておいたんだ。苺さんもその辺り肌で感じていたのだろう。話していい相手は選ぶといった評価に偽りなし、だ。
俺の心境を知ってか知らずか小百合さんは少しだけ困ったように笑いながら、
「大きく成長したあなたの選択なら私がとやかく言うつもりはありません。ただ……無茶だけはしないで」
俺はただ一言で答えた。
「はい――」
その後は他愛の無い話を繰り広げた。過程で分かったのは、やはり春からここのところにかけて小百合さんは仕事に追われていたという事だ。身内びいきに聞こえるが、小百合さんは非常に優秀な人である。それは彼女が学園の長という大役を背負っている事実が証明している。そんな人が忙殺されているのだから俺だけが原因でないにしろ申し訳なさを感じた。
その話で思い出した。
「そういえば、向日家は薫衣という人を春の期間だけ調査目的で在籍させてたらしいですけど。小百合さん知っていました?」
あれも仕事を増やしている一因だろう。エルグランデの準決勝にまで食い込んでおく目立ち方をしておきながら、あっさりとその消息を学園から消しているのだから。すると小百合さんは眉根を寄せてあからさまに嫌そうな顔をつくった。
「早雲庵の姓を持つ入学生は向日家からの合図なんです。この者には手を出すな、という。毎年一人が送り込まれて同じ時期に去っていくんです。あまりいい気はしませんが理事会からの差し込みなので、こちらとしてはいかんともし難く……」
なるほど。早雲庵なんて苗字はまず無いからな。向日のルーツと合わせて示すにはもってこいの名称だ。ということを話せるという事はやはり小百合さん――歴代の学園長も恐らく――は向日家の策略を知っているという事になるが、気になるフレーズがあった。
「理事会からの差し込みだから、というのはどういう意味ですか?」
そもそも単なる学園生の俺としては度々表舞台で姿を見せる学園長とは違って、理事会・理事という存在は――副理事の一例は知っているが――かなりぼやけたものである。
「なら、お教えしましょう。私一度譲葉さんみたいに授業をしてみたかったんですよね」
乗り気でそう言う彼女は楽しそう。今夜はまだまだ長くなりそうだ。
(明日に響かなければいいけど……)




