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女神達の花嫁  作者: ALMOND
三章
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第五節

 学園正門前。俺は校門周辺の外壁にもたれかかって時が来るのを待っていた。指定された午前十一時までには幾ばくかの猶予がある。待ち合わせ場所をあちら側でなく、俺の都合に近い場所に設定したということは車か何かで迎えに来るのだろう。


 学園周辺の街での車両の往来は極めて少ない。許可を受けた車両――例えば物販の為の搬入車や地位の高い貴族派の一部などがこれにあたる――のみが学園街を通行でき、それ以外は街境でストップがかかるからだ。なぜわざわざそんな規制をするのかと言うと、ここら一帯が貴族派関係の縄張りであるという事が大きく関係している。建前は学園生が多い地区なので交通事故のリスクを下げるためとしているが、それが方便だというのは誰もが知っている。実際は幅を利かせる貴族派にとってのアキレスの(かかと)たる学園生の誘拐や不審な人・物が紛れ込む事を防止するためであり。交通規制が最低限の努力で最大限の効果が得られる手段の一つなのだそうだ。


 そんな訳でこの街で車やバイクを走らせると非常に目に付く。そう、例えば今まさにこちらへ向かって来るリムジンカーなど悪目立ちの典型であり、日中まだまだ活発に通りを行き来する学生達の注目の的となるのは明らかだ。夏めく日差しを受けて見る者を威嚇するように車体を黒く光らせるリムジンが速度を緩め始めた。こんな場所であれに乗る奴は相当な自信家か唯の馬鹿に違いあるまい……。


(――ま、そうなるよな)


 それは俺の正面に見事な停車を決めた。下手な現実逃避の時間は終わりだ。俺は内心溜息を吐きながらもたれかかっていた壁から背を離して静止する車の前に進んだ。内部を窺うことが出来ない真っ黒なウィンドウをたたえた後部座席のドアが開く。中から現れたのは一人の女性。その人は俺に向かって恭しく頭を垂れる。


「あなたは……」


 持ち上げられた顔には不気味なほどニコニコとした笑顔。そして印象的な右目下にある泣きぼくろ。忘れるはずがない。


「向日銀杏様より仰せつかり、お迎えに上がりました早雲庵薫衣です。……お久しぶりですわ」


 エルグランデで一戦を交えた顔がそこにはあった。真っ黒なスーツに身を包み、表情に張り付いた笑みとは裏腹に佇まいは研ぎ澄まされた刃物のようだ。かすかに開かれた瞳が俺を捉えて放さない。


「只者じゃないとは思っていましたけど向日家の手の者だったとは」


「その辺りのお話は車内にていたしましょう。もっともあなた様がこちらでよろしいと(おっしゃ)るのなら(わたくし)は一向に構いませんが……」


 そう言って彼女は俺の背後に視線を向けた。それに倣って少しだけ首を回して横目に後ろの様子を見ると、足を止めてこちらを何事かと窺っている生徒が視界にちらほら入る。確かに彼女の言う様にここで立ち話を続けるのは得策ではない。俺についてのあらぬ噂が増えるだけだ。手遅れかもしれないが……。


 薫衣さんに先に乗せられた車内は想像通り一般乗用車とは大きく異なる造りになっていた。運転席と後部座席を隔てる壁や大の大人がおよそ五人は優に並んで座れるシートもそうだが、逆側と同じく内側からも外の様子を窺えない漆黒のウィンドウが最も異質だ。内も外も黒で統一されたこの車両は文字通りのブラックボックスとなっていた。


 後から乗り込んだ薫衣さんは運転席との隔壁を二度ノックした。それが合図だったらしくリムジンは微弱な振動を伴って走り出す。俺達は向き合う形にシートに着き、話を巻き戻す。


「それで、結局あなたは学園の生徒ではないですよね?」


「ええ。正確にはもう(・・)が付きますけれど。向日家の力であれば春の期間だけ入学生の中に一人の存在を捻じ込むなど造作も無いことですから。今は自主退学扱いになっているのではないでしょうか」


 ……という事は一応正式な生徒ではあったのか。その目的については尋ねても教えてもらえるとは思えないが念のために聞いてみた。


「そんな面倒なことを一体何のために?」


 拒絶されると考えていた質問だったが彼女は意外にも簡単に理由を明かした。


「一つは新たに入学する生徒の中に自らに益となる者、その有無を調べるため。もう一つは私と同じく、入学生に学園側(・・・)から捻じ込まれた一人の男の子の調査のためですわ」


「なるほど。そうやって向日家は毎年ブレイサーを監察しているんですね」


 あっさりと手法と目的を晒したのはもう今年の入学生について収拾し終えたからなのだろう。彼女、そして向日家の目にはギフトが発現していない藤花や絶大な力を持ちながらそれを失ったリラはどう映っているのだろうか気にはなったが今それを聞いても仕方が無い。


 薫衣さんは俺の言葉に何か引っかかったようで膝の上で重ねていた両手を組み替えながら話し始めた。


「一つだけお断りを入れておくと私は真の意味で向日家に仕えている訳ではありません。この仕事も今年が初めてですので。所謂雇われという形で迎え入れられているだけです。要は傭兵でございますね」


 傭兵というのはもっと血みどろなイメージになってしまうが、つまりは委託、アウトソーシングであり契約上の関係に過ぎないと表現したいのだろう。彼女を問い詰めても必要以上の情報は無い事を仄めかしているとも受け取れる。しかしそれにしては……。


「それにしては随分と信頼されているようですけど。俺の迎えもですけど生徒の調査も単独でしていたようですし」


「それだけ私が優秀ということでしょうか」


 彼女はそう冗談めかしながら口元を手で隠しながらくすくすと笑う。エルグランデの時に感じた底知れなさを考えるとあながち間違っていないと思えるのが恐ろしい……。



「ところで俺はどこに連れて行かれているんですか」


 一切外部の情報を得られない車内の閉塞感を我慢できずに尋ねる。送られてきたメッセージにも迎えにいくとは書いてあったが、どこへ行くとは記されていなかった。学園街にある、懇意にしている家や枝葉的な分家が候補だろうか。ところが彼女の答えはそのどちらも否定するものであった。


「向日の本家でございます。銀杏様はお年を召されている事もあり余程の用事以外では本家から動く事はありませんから。それに、ここだけの話ですが本家はこの街にあるのですよ」


「それは驚きですね。でも学園街にあるならこんな目立つ物で送迎せず俺から赴いても――」


 ――よかったのでは。と言い掛けた所で、体に掛かる遠心力からある事にようやく気がついた。この車が右左折を頻繁に繰り返しているのだ。


 学園街は大まかにヴァーミリオン財団の高層ビルと同心円上に点在する有力貴族派の建造物を中心として放射状に大通りが広がり、それに沿うように店など数々の建物が建ち並ぶ造りになっている。何が言いたいのかというとこれほど繁く曲がることを要求されるほど複雑な構造をしていないということだ。マーガレットさんが店を構える場所のように脇の入り組んだ小道に入る事が必要な例外もあるが、それはあくまで小道であり到底車が通れる幅ではない。つまり運転手は目的地の経路のためではなく、意図的に右往左往している。


「たかが学生の為に随分と念の入れようですね」


 外界の情報をシャットダウンする黒塗りの窓と合わせて考えれば、この行動が俺の為であることは明らかだった。本家の所在を(さと)らせない為にグルグルと街を周回して学園からのルートの予測を難しくしているのだろう。そもそも俺は話しに夢中でどう進んでいるのかなんて記憶するつもりは更々無かったのだが。


 薫衣さんは笑みを絶やさずに俺の言葉を聞いている。思えば今日出会ってからずっとこの表情だ。本当にそういう仮面を着けているのではないかと考えてしまうほどに崩れない。


「たかが学生でも警戒を緩めない。それが向日家が永らくこの国のフィクサーとしても君臨してきた理由でもありますわ。特に受肉以来は、人は見かけによらぬものが非常に有意義な言葉になりましたから。それに――」


 彼女は笑顔を強め、その目がより一層細まった。


「ご自身のお立場を鑑みれば、たかが(・・・)学生などとは決して捉えられないと思いますよ」



――――――――――――――――――

 やがてリムジンは足を止め、外に出た俺がまず見えたものは緑だった。鬱蒼とした樹木が立ち並び、その隙間からは背の高い塀が主張している。振り向くとそこには巨大な屋敷が鎮座していた。高さはさほどでもないが横の広がりが尋常ではない。古き洋風を思わせる白い塗り壁も相まって白鳥が翼を目一杯に広げているかのよう。今俺が住まわせてもらっているあの館を遥かに凌駕する大きさである。薫衣さんに先導され石畳で舗装された道の上を歩いて屋敷へ向かう。


 重々しい玄関口から中へ通されると外観にかなうだけの立派な内装のフロアーが広がっていた。窓からの景色は計算されているかのように木々に覆われ、景観としては見事の一言だがやはりロケーションに関わる情報はシャットアウトされている。


 やがてどこかの一室の扉の前で足を止めた薫衣さんはゆっくりと三度ノックをして取っ手を握った。


「失礼します」


 扉を引いた彼女に促されて先に部屋に入る。中には二人の老人が待っていた。一人は物腰柔らかそうな男性。口髭を蓄えテールコートに身を包み、もう一人の老女の後方に控える姿はまさしく執事と呼ぶに相応しい。そしてそんな彼を従えるもう一人の老女は杖をついて、窓から見た景色に似た深緑の着物を着ている。真っ白な髪と深い顔の皺からは歳による衰えではなく、貫禄が表れていた。その人は俺を正面に据え、しわがれた声で話した。


「よう来なさった。私が向日銀杏だ」


 そして無言で片手で何かを払う動作をする。すると彼女と俺の背後に控えていた男性と薫衣さんは銀杏に頭を垂れてから部屋を後にした。僅かに物音をたてながら閉ざされていく扉を見送っていると声が掛かる。


「まあ好きな所に座るといい」


 お言葉に甘えて手近なソファーに腰を下ろすと銀杏も俺の対面に置かれたソファーに杖を立てながら座った。


「さて……今日此処に呼んだ訳は先に送った手紙に綴った故知っておろう。異能を盗む異能、お主が持っている事に間違いはないか?」


 どう答えたものか。向こうの腹の奥が見えない現状正直に話して良いのだろうか、一度話を逸らせて様子を窺ってみようか。いやしかし乗ってくれるようには見えないし――。と苦心する俺を見抜いているのか銀杏はくつくつと喉奥を鳴らして笑った。


「別に取って食おうってんじゃないんだ。私はピースが欲しいだけだよ、九十九パーセントを補完する一パーセントのピースがね」


「なら俺が何も言わなくてもほぼ確信を得ているという事ですよね」


 喉奥から移って口へとはっきりした笑い声を運んだ彼女は杖の取っ手、その先端を指で擦って楽しげにしている。


「フッ……その通り。私ら(・・)にとってお主の返答如何は問題じゃないからね。幽霊の正体見たり枯れ尾花。事実よりも噂の方が大きな影響を持つのさ。この質問は単なる私個人の好奇心を満足させるためのものだ」


 彼女の言う“私ら”とは向日家までなのか、それとも貴族派全体を指すのか。恐らく前者だろう。降って湧いたわけわからずな存在――要するに俺だが――に対して放っておいたほうが都合がいいらしい。確かに学園での俺を考えると勝手に尾ひれが付きまくっているようなのだが、そちらの方がある種扱いやすいのかもしれない。貴族派という大きな社会を掌握する立場としてはブラックボックスはブラックボックスのままでいてもらう方が脅威として使えると考えているのだろうか。


「なら本題は何ですか? まさかあなたの興味のためとは言いませんよね」


「もちろん違う。……単刀直入に言わせてもらおう。蘇芳菖蒲、私ら向日家に入りな」


「駒になれと?」


「そうは言うておらん。家の庇護下に入らないかと言っているんだ」


 何のメリットがあってそんな事を提案しているのだろう。それに庇護とは護るという意味であるが、俺は誰からも危険に曝されてはいない。俺は目の前の人物の意図を汲みかねていた。一言も話さなくなった俺を見て言葉に詰まっていると判断したのか銀杏は続けざまに話を紡いだ。


「訳が分からないって顔をしているね。お主の知らない場所で状況は刻一刻と変化している。お主があの学園に現れた時からだ。男の異能者かつ御伽噺の花嫁という存在は者者共の食指を動かすには十分すぎるからねぇ。それでもお主の下に本格的な接触が無かったのは私らが何とか抑えていたからだ」


(ご苦労な事で)


 と言いかけたが苦労を掛けている本人が言うとからかっている風にしか聞こえないので止めた。まあ俺だって好き好んで花嫁の力を持って生まれた訳でもない上に、そのお陰で様々な面倒事にも巻き込まれてきたので特に罪悪感も感じないが、彼女の言葉はまだ続く。


「そんなところに今回の一件は完全なる追い討ちだった。異能を奪う異能なんて他家を蹴落としてのし上がろうとする貴族派の者にとっては垂涎の代物だからね。このままだとまずいと思った私が先んじてお主に接触した。……向日家の影をちらつかせれば貴族派の大多数はまず間違いなく大人しくなる。一部――ヴァーミリオンやその息の掛かった奴らは黙らないだろうが、それでも牽制にはなる」


 何だか今までの話を聞いていると、どちらかと言えば俺に対して友好的な印象を受ける。最初に受け取ったメッセージとは正反対だ。あちらは挑発、もしくは脅しを内包していながら古めかしく硬い文体には刺々しさを与えていた。その側面もあり今の俺は彼女の言葉を正直に受け止めていいものか決めかねている。信用半分、疑い半分と言ったところか。その判断を確かなものにするために俺はもう少し話を引き出しにかかる。


「しかし、それはどちらかと言えば俺の利になる事ばかりじゃないですか? そうしてあなた方が得られるのは現状維持だけ、ならば俺本人に選択を与えるというのは最も回りくどいと思いますけど」


 俺のギフトについて世間に謎のままでいてもらうだけならもっと単純、効果的な手段があるのではないか。そう俺は暗に問うた。


「ふふっ、私に得る物が無いのが怪しいかい? まあ逆の立場なら私は信用しないね」


「ならどうして――」


 ――理解していながらわざわざ俺に話を持ちかけたのか。との言葉は最後まで発せられなかった。彼女が言いたい事は分かっているという風に俺を手で制したからだ。


「そこで最初の話に戻るのさ」


「最初……幽霊の正体見たり枯れ尾花、ですか」


 銀杏は満足げにじっくりと頷いた。


「話が早くて助かるねぇ。向日家はお主にとっての盾になろう。その代わりにお主は向日家の矛になるんだ。ヴァーミリオンの連中に対する矛にね」


「ヴァーミリオン家ですか? しかし俺は矛と呼べるほど大した事はできませんが……」


「何もしなくて良いんだ。重要なのは『あの(・・)蘇芳菖蒲に向日家が関わっているらしい』という噂だから。らしい(・・・)は魔力。その噂だけで私らは奴らと渡り合う手札が一枚増える。そのためにわざわざぐるぐる街を回らせておいたのさ」


(この老獪め……)


 やられた。俺が送迎の車に乗った時点で既にあちらの手のひらの上だった。勿論黒塗りされたウィンドウからしても、俺に本家の場所を覚らせないという意図もあったのだろう。いや、それはもしかすると逃げ口上に使うためかもしれない。正門前に待たせておいたのも人目に付かせるためか。どちらにせよ既に過去になってしまった出来事である。第三者の目からは俺が向日家と関係を持っていると映るだろう事は避けられない。それはもはや事後承諾であり前提となってしまった。俺が取れる選択はそれでも尚銀杏を突っ撥ね、ただ少しの風評被害を背負ってリターンゼロで退くか、銀杏へ協力し更なるリスクと引き換えにリターンを求むか。


 例えば小百合さんなら最悪の状態が起こった場合を想定してこれ以上のリスクを受ける可能性を拒否するために多少の擦り傷を貰っていても引き下がるだろう。一方で自信家の沙羅さんなら最善の状態が起こった場合を想定して勇猛果敢に飛び込むだろう。……身近な保護者に当てはめて考えてみたが、彼女らも中々性格がすれ違っているので依然として悩ましさは変わりなかった。


 銀杏が杖を立てる手に顎を乗せて俺を覗き込む。


「決めかねるかい?」


 その口調は仕掛けてきた罠にも等しい所業が他人事のように柔らかく、それがまた一層と疑心を深める。


「そうですね。あなたみたいにもっと自らの利に聡ければ良いんですけど……」


「嫌いじゃないが厭味(いやみ)な言い方だね。……ならばこれを渡しておこう」


 そう言って銀杏は懐から二封の封筒を取り出して机に並べた。一つは純白の装いに何かしらの花一輪の紋章が施された朱色の封蝋で封されているもの、もう一つが対照的に純黒のそれであり、中心に白で向かい合う二対の……蝶らしき紋が印されたものだった。おれはそれらの白黒を手にとって尋ねた。


「これは?」


 どちらの封筒も表裏を調べてみても先ほどの特徴的なもの以外の一切が存在しない、宛名や差出人の名すらも。


「招待状さ。黒が向日家からで白がヴァーミリオンからのね」


「招待状……」


 招待するつもりがあるのかないのか随分と質素だな。銀杏は杖を頼りに立ち上がって部屋の窓へと歩み寄って外を眺めた。


「近々、両家合同の宴がある。宴とは名ばかりで実態は腹の探りあい――冷戦さ。興味があるならそれを使って一度お主の目で観てみるといい。お主を含めたこの街を取り囲む環境をね。答えはそれから聴こう」


「なるほど……。しかしなぜ両家のものを?」


 机に並べられたのは二封。どちらか片方だけで事足りるはずだ。銀杏は尚も俺から顔を背けて外の景色に向けながら答えた。


「お主は向日家のものを使えばよい。だがもしも誰かと一緒に来たいのなら、その者にはヴァーミリオンの方を出すように言いな。同じく要らぬ憶測を生まないためにもね」


 同伴人と共に参加するときに向日家の招待状を出してしまえば、俺は手遅れとしてもその人も向日家と関係があると思われる。それを避けたい場合に……ということか。用意周到なことだ。あらかじめ懐に忍ばせていたしここまでも予想通りなのだろう。どこまでいっても結局は彼女の手の上から逃れられなかった。


(最後の傑物……か)


 白黒の封筒を制服の内ポケットにしまい込みながら俺はマーガレットさんの言葉を思い出していた――。



――――――――――――――――――

 帰りも同じく黒い箱の中に押し込められたが、銀杏と対面していて感じる体の鉛のような重さに比べればオアシスも同然だった。同乗する薫衣さんのノックが二回。そして彼女は俺にいつもの表情をしながら話しかけた。


「流石にお疲れのご様子ですね」


 微弱な振動が伝わる車内。何も返す気力が無い俺、それを見ながらクスクスと小刻みに笑声を漏らす薫衣さん。同じ静寂でも水面(みなも)が揺れているようで、あの傑物の生み出す裁判所の如きそれとは雲泥の差だった。



「お腹、空いていませんか?」


「え?」


 ゆらめく水面に唐突に小石を投げたのは彼女からだった。


「もう正午も回って一時になろうかという時間ですから」


「ああ……。すっかり忘れていましたよ」


 指摘されてようやく空腹感が顔を覗かせ始めた。


「ふふ、仕方がありません。緊張やストレスに曝されると人は空腹を感じなくなるそうですから。このままお返しするのは忍びありません。……という事で、少し寄り道してもいいでしょうか」


 そんなやり取りがあって揺られること数分。俺達を乗せた車はその足を止めた。またも促されて降りると、向日家ほどではないがそれでも随分と大きな邸宅らしき建物の前だった。その玄関前には見覚えのある人の姿が。


「あっ、蘇芳君。ようこそようこそ!」


 天竹葵。彼女がこちらへ駆け寄るのだった。

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