表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神達の花嫁  作者: ALMOND
三章
39/44

第四節

 学園街の装いはもう夏一色になっていた。ショーウィンドウには薄手のワンピースや水着のような季節を感じる服が陳列され、喫茶店や外付けのテラスでくつろぐ人々の多くは冷菓を手にしている。


 そのような光景を横目に俺は独り道を歩いていた。一緒に来ていた五人とはついさっき一時解散した。今回の主目的はリリィの普段着を購入することである。以前は女性服の店に入ることに居心地の悪さを覚えたものだが、段々と耐性ができた今では特に気まずさを感じない。しかしながらいくらかのアパレルショップを経て次はランジェリーショップへ、という話しになった時にはいくらなんでも一緒に入店する勇気は持ち合わせていなかった。


 そんな訳で俺は休息と暇つぶしの場を求めていた。最初は周囲の景色に倣ってカフェでのんびりしようと考えていたが、思い立って久しぶりにあの人の所へ顔を出してみることにした。活気のある大通りから外れ外れて閑散とした幅の狭い細道へと進む。


(相変わらず人気の無い通りだな)


 やがて一つの古めかしい外装をした建物の前で足を止めた。店名の書かれていない看板。売る気があるのかも怪しい、幕に覆われて中まで見えない陳列窓。初見ではとても開店中だとは分からないだろう。


(マーガレットさんも相変わらず……か)


 趣味で経営――の体を為しているのかは定かではないが――していると話していた店の主の姿を思い起こしながらその木製の扉の取っ手に手を伸ばした。ところが伸ばした手は急に体を引いた扉によって空を切る。引かれた扉の奥から中年の男性が出てきた。彼が反対側から引っ張ったのだろう。


「おっと、失礼」


 その人は俺に気がつき、そう謝辞の言葉を端的に述べて人無き通りを歩み去ってゆく。


(客足があったとは珍しい)


 入り口で立ち尽くし、遠ざかる男性の背中を眺めていると店内から声がかけられた。


「おや、久しぶりだね。今日こそ彼女への贈り物かい?」


 冗談めかす揺り椅子の老婦に招かれつつ俺は中へと入っていった。



――――――――――――――――――


「あなた最近時の人らしいじゃないか。大変だねぇ」


 時事の挨拶から世間話を適度にやり取りしていた俺達だったが、マーガレットさんは俺の近頃の学園生活について聞いてきた後に流れでこの話を切り込んできた。そういえばこの人はここらの貴族派の中では最古参の部類だったな。当然あの動画について知らないはずが無いか。


「マーガレットさんはあの動画を見てどう思いましたか?」


 折角なので感想を尋ねてみた。今の俺の状況において貴族派でそれなりの立場のありそうな人から直接聴く機会はそうそうないだろうからな。ところが彼女は困ったように両手どうしを摩りながら言った。


「悪いけど実物を見た事はないんだよ。人伝に聞いただけさ。男のブレイサーが女の子の胸に剣を突き立ててギフトを略奪する衝撃的な映像だ――ってね。花嫁でもあるんだろう? ただでさえ厄介な立場なのにそれとは別にギフトを奪うギフトまで持ち合わせてるなんてねぇ」


 やはり派の中ではそう受け取られているのか。マーガレットさんは同情するような言葉を掛けてくれているが、それはほんの一部でしかないだろう。大多数の目には俺がどう映っているのか想像に難くない。そんな俺の内心の溜息を見透かしているのかマーガレットさんは話を続ける。


「あの学園でしばらく過ごしたんだ。私達貴族にとってギフトの存在がどれほどの価値を持っているのか、十分理解しているでしょう。皆自分の財産が脅かされないか過敏になっているだけ。あなたはこのまま何も問題を起こさなければいい。むやみに使うつもりは無いと分かればその内風化していくさ」


(でも俺には明日問題が起きそうな一件が待ち受けているんだよな……)


 そこで思い出した。この人なら知っているかもしれない。


「話は変わるんですけどマーガレットさんは向日銀杏という名に聞き覚えは?」


 何気なく口に出した質問だった。しかしその名前は俺の考えていた以上のもののようだ。マーガレットさんは一瞬だが目を見開いて驚きの色を露にした。そして全てを察した様子で椅子を揺らした。


「どうやら見立てが甘かったようだね。私の思っていた以上に連中は事を深刻に捉えている様だ。大方手紙あたりでも送られたんじゃないかい?」


「……よく分かりましたね」


「ふふっ。自発的に教えられない限り、一学生が知ろうと思って知ることができる名じゃないからね」


 名探偵の笑い声に連動して揺り椅子が音を立てる。然る後に向日銀杏について話し始めた。


「前提として向日家が担う役割は知ってるかい? ――そう、なら話は早いね。向日銀杏は今の向日家の礎を築いた張本人さ。私ら年寄りの間じゃ“旧時代最後の傑物”なんて呼ばれてたりしてね」


「旧時代……ですか」


「ああ――あなたみたいな若い子には聞き覚えの無い言葉だったね。旧時代ってのはギフトが大々的に周知され始める今から……大体四十年よりも前のことを指すんだ。向日家は旧時代に別の家名だったらしく、銀杏はその時の当主だった。非凡な才と卓越した手腕をふるい、当時でもこの国の中枢に食い込むほどの権力を持っていたそうだ」


 マーガレットさんは昔話のような語り草で遠い目をしながらつらつらと話を続ける。俺は野暮な相槌や質問を挟む事はせず、ただ黙々と静聴に徹し続けた。


「権力を持つと言っても同じような組織や旧華族も存在したからあらゆる者を押し退けて圧倒的に――とはいかなかった。事の転機はまさしく旧と新の時代の境目、“受肉”が起きてからだ。あの騒動直後、あらゆる物事のバランスが崩れ始めた。なんせ次々と常識では計り知れない力を持った人間が生まれてきたんだからね。押し寄せる時代の波に多くの権力者は迎合できずにその栄華を失っていった」


 その辺りの事は新宗教の乱立と合わせて聞いたことがある。ギフトに対する制度が皆無だったためそれまでの権威は無へと帰し、ブレイサーの一部が暴走したりして様々な人々の間で対立が頻発したそうだ。これが世界規模で起こり国によっては転覆しかけたとか噂される所もあるくらいだ。


「多くが権力の鎧を剥がされていく中で銀杏は自身の家名を偽り新たに向日家と名乗った。ギフトが新たな価値の基準であると銘打ってね。要は旧時代の権力は滅びると考え、あたかも時代に沿う組織を作ったと社会に思わせたわけだ。結果として向日家は数々のブレイサーを囲い込みつつ自身の肉にすることに成功した。世界に貴族派という考えができるよりもずっと先に実質的な意味での貴族派を形成していたんだよ」


「向日銀杏は優れた先見の明を持っていたんですね」


 貴族派・神命派はセットではない。元はギフトを財とする貴族派ができた後に反発する形でできたのが神命派。つまり貴族派が先行していたのだ。その言葉と思想が生まれたのは貴族制度が未だ根付いていた欧州とされており、少なくとも日本ではない。しかし向日銀杏は話を聞く限り、恐らく独りでその本質を実行していた。まさに傑物だ。


「そうだね。銀杏は時代に抵抗し、適応し、そして勝利した。他が次々息絶えていく中で生き残った。だから“旧時代最後の(・・・)傑物”なんだよ。齢を重ねて傘寿(さんじゅ)も近いらしく、当主も子供がとうに継いでいるけど実質のトップはまだ彼女だ。誰もその意向には逆らえないのさ」


 話を聞くにつれて段々と恐ろしくなってきた。そんな人物に目を付けられて俺は大丈夫なのだろうか――。



――――――――――――――――――

 夜の帳が下り、館の皆が思い思いの過ごし方をする中でカルミアに呼ばれチェスに興じる。しばらく黙々と互いに盤上を睨み続けていたが、カルミアが沈黙を断ち切った。


「向日銀杏に接触されただろう」


 単刀直入に聞かれて俺はナイトを持ち上げていた手を止めた。しかしそれも束の間、俺はナイトを盤面に突きつける。


「なんで知ってる」


 俺は椿以外に話していない。マーガレットさんにも送られたメッセージの事は伏せていた。椿はカルミアとは接点が無いから彼女が教えたと考えることはできない。彼女はそんな俺の言葉を愚問だという風に鼻で笑ってみせた。


「お前、私の肩書きを忘れているだろう。今はこうして押し込められているが(つて)はまだ生きているんだぞ。故に向日家の手の者が学園理事連中に蘇芳菖蒲という人物について探りを入れたという情報もな」


 向日銀杏が俺のチャリスの送信アドレスを知っていたのはそういう事か。となると書類に記されている程度の情報は掴まれているということだ。学園には貴族派が多い、となると理事の面子も自然に貴族派の人間が大半を占める。その全てが日本人ではないだろうが、生徒一人に関してなど向日家の名をちらつかせれば引き出すことなど造作も無いはず。


 折角なので悩みの種をぶつけてみた。


「……俺はどうすればいいと思う?」


「そんなの私が知るか。お前が考えるしかないんだ。他人の言葉に任せると結果の良し悪しに関わらず後悔が待っているからな。――チェック」


 黒のルークが白のキングに狙いを定めた。こうなると射線を防ぐしかない。口を閉ざして次の一手を考える俺にカルミアは続けて語りかける。


「そうやって常に次の手を考え続けるんだ。悪手(ブランダー)を打ったと分かっても巻き戻しは不可能だ。時計の針は戻らない。だったら今できる最善を求め続けるしかない」


 俺は盤面中央に居座っていた自軍のビショップを下げて盾にする。そしてそれを見たカルミアはノータイムでクイーンを跳ねた。


「ま、それは相手も同じという事を忘れてはいけないがな。チェックメイト――」


 ナイトに護られたクイーンが俺のキングを守護するポーンを穿った。



「いやー、昨日の今日にしては中々悪くなかったぞ。オープニングの見え見えの罠に飛び込むこともなくなったしな」


「いいようにあしらわれているとしか思えないが……」


 俺達は軽いやり取りとしつつ感想戦を始める。なんでもこれが大事なことらしい。敗因となった手やその際の最善の手を考えるのだとか。カルミアは一手ずつ盤面を巻き戻しながら満足そうに頷いた。


「やはり少年のギフトと相性がいいようだ。昨日ギフトを駆使しながら指した局についてはより一層改善点が反映されている」


 それを聞いた俺は素直に自分の感情を表した。


「驚いたな。対局の内容を覚えているのか」


 俺が実直に褒めたのが珍しかったのか彼女は目を丸くした。そして照れ隠しか頬を指で掻きながら口早に話した。


「直近のいくつかくらいは……な。ま、まあそれは大したことじゃない。大したことなのは少年のギフトの方だ。気づいていないかもしれないが、今日は昨日と比べて一手に掛ける平均的な時間が短くなっていた。ギフトを使っていた時よりもな」


 今度は俺が目を丸くする番だった。おかしな話だ。端的に言えば考える時間を短くするのが論理本能の論理の部分なのに普段がそれを上回るだなんて本末転倒じゃないか。


「分かりやすく不思議だ――って顔をしてるな。私が思うに原因は単純……蓄積だよ」


「蓄積?」


 カルミアはよく結論から話を始める。チェスをやれと言った時もそうだった。それだけならまだ良いが、彼女の場合さらに特有の言い回しを重ねるので俺が二度聞きしてしまう事は珍しくない。


「そう。少年に自覚は無くてもギフトを使って常人を超えた速度で働かせた過程と結果を脳が蓄積しているんだ。言い換えれば学習だな。だから今回似た局面で脳が蓄積した結果を引き出すことで考える必要すら無かった。これは普通よりも早く学習していると言える。まさしく昨日話した限界(ケージ)が押し上がったんだ。面白い、これで戦闘経験も蓄積できればずっと効率よく戦略面での能力が伸ばせるだろうな」


 それは経験とも呼ぶのだろう。カルミアはかつて経験によって俺の論理本能と同じことが出来ると言った。それが今回、少なくとも論理の部分では正しく用いれば人と同じ回数で、より多くの経験が積めると彼女は言う。


「それで、チェスが上手くなると戦いも有利に進められるのか? 例えばお前が実際に体験したことがあるとか……」


 元とはいえ国選のワルキュリア。性格は兎も角実力は折り紙つきだ。そんな彼女の強さの秘訣はもしやチェスなのかもしれないと思ったが……。カルミアは俺の問いを聞いて嗤ったのだった。


「そんな訳ないだろう。チェスはターンがキッチリと区切られているが決闘はシームレスだ。少年が分裂して一人で十六人ほどの大人数を指揮する幻想空間が成り立つのなら多少は役に立つかもしれんがな。結局は実戦を繰り返すのが重要だ。――ただ、心構えや自分と相手を大局的に観るという力は養えると思うぞ。人間はどうしても物事の一点を集中して捉えがちだ、私と出会った頃の少年なんかその典型例さ。戦っている間、私の聖具ばかりを恋する乙女かと言わんばかりに見つめていたからな。あれは手玉に取りやすかった」


 当時を思い起こしているのか、からからと笑っているカルミアの話を反芻する。実践に勝る経験なし、ということか。思えば彼女の言う通り俺は戦う相手の得物や動作にしか集中していなかった。それは戦術でしかなく、戦略は行き当たりばったりだった。本来は戦略から戦術を導くべきなのだろう。チェスを少しでも(かじ)った今ならそう考える。論理本能を戦うための瞬間的な道具ではなく、長期的に学習のツールとして使えば――。


(――もっと早く強くなれる……のか?)


「……ふっ、嬉しそうだな」


「う――」


 図星を指されて思わず呻き声を出してしまった。また顔に出てしまっていたか? 俺の様子を見てカルミアは再び、今度は今日一番の大きな声で笑った。朗らかな笑い声に釣られた皆が興味を惹かれてこちらへ集合するのに時間はかからなかった。


(太陽)


 頭に自然と浮かんだその言葉。向日銀杏の事に焦る自身の力の事。心の中を覆っていた宛てのない不安という名の暗雲はいつの間にか払拭されていた。藤花を含めた多くの子らがなぜカルミアを慕っているのか、その理由が少し理解できた気がした――。


「少年。ご機嫌ならもっといい気分になれるものがあるぞ」


 それなりに一緒に過ごしてきたのだ。そのもの(・・)とやらが何を指しているのかは考えるまでもなかった。


「……未成年で、しかも自分が勤める学園の生徒に酒を勧めるなよ」


「はっ、そういうところ、可愛げが無いんだ」


 ――少し、本当にほんの少しだけだが……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ