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女神達の花嫁  作者: ALMOND
三章
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第一節

 暗い空間にいる。何も見えず聞こえず、蓋をされた箱の中に閉じ込められている。そんな感覚に俺は浮き流されている。次第に薄明かりが差し始め、どこを見渡してもぼやけた光が漂っている。そこで俺は蓋をしていたのは自分の瞼なのだと気がつくに至った。


 (そうか、俺は眠っていたのか……)


 そう認識したことによってようやく自身の瞼がゆっくりと持ち上がっていくのが感じられる。瞼の中に下から徐々に差し込む光が強くなってゆき、それはまるで緞帳(どんちょう)が昇っていくようで――――。


 (ここはどこだ?)


 扉。俺は一枚の扉の前に立っていた。それ以外はただただ白いスクリーンが彼方まで広がり、どこまでも無であることを明瞭に語っていた。それを確かめようとは思わない。俺は静かに目の前にある扉の取っ手に手をかけた……が開かない。押しても引いてもビクともしない。いっそ体当たりでもしてやろうかと思った矢先、男女の声音がかすかに耳をくすぐった。それが背後から流れてきているのだと気がつくより先に体が反射的にそちらを向く。


 そこには部屋が広がっていた。真っ白なだけの景色はどこにも見られなくなり、調度品の揃った洋館の一室と思わしき場に俺は立ち竦んでいた。イリュージョンにでもかけられたかのような出来事に呆然としてぐるぐると頭で思考を重ねて行き当たった結論は。


 (夢、明晰夢ってやつか。流石に今までの経緯を現実と思い込むには無理があるからな)


 などと独りで納得していると、かすかであった人声がミキサーのボリュームを上げるが如く徐々に強まっていった。同時に殺風景な部屋に新しい色が描かれる。キャンパスに加えられたのはいくつもの人影。揺り椅子へ腰掛けて両腕に何か布を(くる)んだ物を抱える一人の淑女然とした女性。そしてそれを囲むように立つ、総じて先述の女性よりも年配であろう複数の男女だ。その者らの揺り椅子の女性に対する恭しさと畏まった所作から彼らの間にある立場というものが透けて見えた。誰も彼もが執事服やメイド服らしき装いをしていることから仕える、仕えられる関係といったところか。彼らは口々に主であろう女性に対して言葉を投げかける。おおよそは同じ内容に集約され。


 「おめでとうございます」


 と言った事を表していた。よほどめでたい事があったのかちらほら柔らかな眼差しを向けるその目元に涙を湛えて者までいる。何がおめでとうなのか気になって中心である女性に近づこうとしたが、どうやら俺はこの世界では認識されていないようで正面からでは取り囲む人々の背によって阻まれてしまった。仕方が無く彼女の背後へと大回りすることで接近する。その功名と言うべきか、女性の肩越しに覗き込むと彼女が抱えていた布から赤子が顔を覗かせているのが確認できた。性別も分からない程に生まれて間もないだろうその赤子は瞳を閉じて健やかな寝息を立てている。


 (なるほど。これがおめでとうの正体か。にしても何故俺はこんなホームムービーを夢見ているんだ)


 俺の疑問を余所に和やかな劇場はチャプターを進める。年配の中でもより一層年齢を感じさせる深い皺の老婆が集団から一歩進み出て主に近寄った。おくるみに包まれた赤子の顔を覗き感涙に(むせ)いで話しかける。


 「おお、なんと凛々しく精悍なお顔か。正しくご主人様のお子であらせられる。必ずや素晴らしいブレイサーとなるでしょう」


 その言葉には少し引っかかりを覚えた。精悍という褒め言葉は普通男に使うものだがブレイサーというからには女のはずだ。いや、例外は唯一あるが……。しかし俺の引っかかりに対する答えはすぐさま提示されることとなった。


 「そうね。そして聖告(・・)の通り伝説の花嫁として――」


 それを聞いたことが引き金となって記憶の蓋がこじ開けられた。まるで外部からインプットされるように何かの記憶が流れてくる。それは俺が非常に幼い時のもの。成長と共に薄れていくはずなのに今ありありと思い起こされていく。頭が万力で締め付けられているほどの痛みと耳の奥で金属をひっかいたような不快な音が響き渡る。そんな中で掴んだものは――。


 (そうだ。この内装、窓から見える景色、そしてここにいる人達。全て俺が生まれ育った家にあったものじゃないか)


 ならこの赤子は俺で、それを抱いているのは――。


 「母……さん?」


 顔を見た事は無かった。なぜなら物心着いたころには乳母が傍にいたからだ。その意図は分からなかったがきっと多忙なのだろうと子供ながらに自らを納得させていたし、実母は彼女であっても精神的には乳母が母親のようなものだったから寂しさも感じなかった。だからこの人が目の前にいるといってもなんら感慨は浮かばない。そもそも顔を知らないのでこの姿が本当の母親のものなのかも怪しい。恥ずかしいので考えたくは無いが俺の理想像を映し出しているだけの可能性が高い。だから一度冷静に彼女に関する情報を思い出す。確か名前は――。


 「ロベリア……」


 その名を口にした途端、世界が凍った。誰もが身動きを止め、俺以外の全てが写真に切り取られたようだった。呆気にとられる俺の目が引きつけられたのは一人の女性の姿。母親(ロベリア)でも使用人でもない、白いドレスを着込んだ俺と同じくらい若い少女だ。彼女はあの開かずの扉の前に立ち、明らかに俺を認識して見つめている。繰り返される瞳の瞬きは時の止まった他の者共とは異なる存在であることを表していた。


 「君は誰だ?」


 俺の問いかけにその少女は何も答えない。いいや、注意深く見ると微かに口元が揺れている。しかしその揺らぎは声という発露の手段を果たされずして消失する。こちらの声は聞こえているのかいないのか、少女は俺を一瞥して背後の扉に手をかける。すると扉はすんなりと身を動かし、その先へと闖入者を受け入れた。


 「あ、おい。ちょっと」


 凍りついた世界に取り残された俺は彼女の姿を追って同じく扉へと駆け寄り、取っ手を握ってみるがやはり堅牢に閉ざされたままだ。夢だという認識があって尚、不条理な仕打ちに苛立ちと混乱を覚えた。ドスンと勢いよく扉にもたれかかり今一度眼前に広がる場景を映し出す。一切の展開が停止したこの状況を呆けながら眺めていると、至極当然な疑問に突き当たった。


 (父親はどこだ?)


 母がいるのだから父もいるはずだ。無論こちらもその面は知らず、加えて言えば名前さえも記憶に無い。先ほどまでの劇場を思い出してみても全ての中心にいたのはロベリアただ一人だった……。そういえば彼女らの話の中で気になる事を言っていた。


 (確か"聖告の通り"とか話していたな。聖告とはお告げ、そして赤子とくれば思い当たるのが……。馬鹿馬鹿しいな。それこそ伝説上(御伽噺)の出来事だ)


 小さく吐息を吐いて考えることを止めた。この支離滅裂な世界で合理的な説明を求めても仕方が無いと思ったからだ。ポップコーンムービーを観賞するのと同じでいい。ただ深く考えずに目に映るものをそのまま受け止めるのみである。ぼんやりと眺めているとロベリアの抱く赤子――すなわち幼い俺が微かに呼吸を繰り返していることに気がついた。さらに注意深く観察すると小さな手に何かを握っている。鍵だ。現代的なそれとは大きくかけ離れたアンティーク調のあつらえをした鍵がその手にはあった。


 (開かない扉……。それに鍵)


 こんなに簡単なロジックは無いだろう。早速俺は集団を掻き分け進む。近くで見るもう一人の俺の顔は悩みとは無縁とばかりの、なんとも憎らしい寝顔をしていた。右手に握られた古鍵を頂戴する。思い当たることがあって、代わりに人差し指をその手の平に差し出すとぎゅっと掴まれた。新生児が無意識に行うという原始反射の一つ、把握反射だ。夢の中でもこういう所はしっかりとしているが……。


 (阿呆か俺は……。何を自分で自分を玩具にしているんだ。さっさと鍵穴に試してみよう)


 平静になり、手が触れているついでにと花嫁の力によるギフトのコピーを試みたが何も起こる様子はなかった。そこまで精密に作られた世界ではないのか、もしくは体が異なるとはいえ自身を対象にすることはできないのか……。


 扉の前に立ち、鍵穴に頂いた鍵を差し込むと驚くほどするりと滑り込む。そのまま回せばカチリという音と共に持ち手に確かな手応えを感じた。しかし、たったその程度の微震が激震の始まりだった。ガラスの割れるような音を立て、凍った世界がひび割れる。そのまま打ち込まれた亀裂が始点となって周辺の景色を巻き込んみながらドロドロに混ざり合っていく。その光景に得体の知れない恐怖を覚えた俺は無我夢中で扉の奥を確認することなく飛び込んだ――。



――――――――――――――――――

 うっすらと開いたまぶたから突き刺さんばかりの陽光が俺の瞳を刺激する。額に手をかざして即席のシェードを作ることで抵抗するが、既に太陽は俺を目覚めさせるだけの働きを済ませていた。


 (朝……か)


 日が昇り始めた時間であるというのに高めに感じるじっとりとした室温が季節の移り変わりを思わせる。もうこの寝間着もそろそろ引退かもしれない。……などとと感慨に耽っていると鼻腔をくすぐる匂いと、小さな滝の音が俺の元に届く。そちらに目を向ければいつから居たのか机で頬杖をつきながら俺に視線をやるリラとポットを持ってカップに何かを注ぐシスターライラックの姿。漂う香りは彼女が淹れていた液体によるものだな。机の上には二つのソーサーとカップ、俺がいつも使用している味気ないマグカップが並んでいた。


 「おはよう、菖蒲」


 「おはようございます。菖蒲さん」


 屈託の無い笑顔。朝の日差しに負けず劣らず眩しい二人にお目見えできたのは良いことだ。良い事だが……。


 「ここは俺の部屋なんだけど」


 「でもあれ(・・)、開いてたよ?」


 そう言ってリラが部屋の入り口の方を指す。


 「それはまあ……。必要ないと思っているから鍵はかけていないが――」


 とまで話していると不思議な顔をしたリラに遮られた。俺の言葉が変だったのか首をかしげながらシスターと顔を見合わせる。


 「違う違う。鍵じゃなくてドア自体が開いてたよ?」


 このくらい、とリラは両手を組み合わせて度合いを表現する。それによれば俺の部屋のドアはおおよそ半分ほどは開かれていたらしい。俺は寝る前にしっかりとドアを閉めたはずだ。というか大体の人がそうだが開けっ放しで寝るほどガサツではない。……となると俺が眠った後、そしてリラ達がやってくるまでの間に誰かが部屋に入ったということか?


 「大方酔ったカルミアか寝ぼけた苺さんが部屋を間違えたんだろう。大したことじゃないさ」


 言い切るように話題を締めた。クローゼットへ歩み寄って中から制服を取り出してベッドへと投げる。そして自らの寝間着のボタンに手をかけたところで動きを止める。振り向くとそこには相変わらず二人がいて何食わぬ顔でこちらを見続けている。俺は困惑しながら二人に向かい。


 「今から着替えるんだが……」


 と苦情を入れてみても地蔵が二尊。二人は揃いも揃って。


 「どうぞ」


 と答るだけで部屋から一時退散するどころか視線を逸らせる素振りすら見せない。


 (……まあいいか)


 立場が逆なら大問題だが、悪い意味での優男の着替えを見たって面白くはないだろう。ただ顔を突き合わせながらというのは俺が気恥ずかしいので背を向けた状態になった。磁器特有の高く澄んだ音を背中に受けながら制服に身を包んでいく。リラが何かを思い出したような声と一緒に磁器の音が一つ、一層大きなものが響いた。


 「そういえば、寝ている間にうなされてたけど大丈夫?」


 その口振りからして随分と前から見られていたらしいな。変な寝言を口走っていなければいいが。


 「なんだかあまり良くない夢を見ていた気がする。たぶんそのせいじゃないかな」


 「夢……どんな?」


 「さて、それが思い出せない(・・・・・・・・・)。楽しいものじゃなかったという感じだけ残っているけど。夢ってそんなものだろう?」


 興味津々に聞いてきたリラには悪いが嘘でも冗談でもない。本当に覚えていないのだ。人の夢と書いて儚いとはよく言われるが今の俺にはこちらの夢でも当てはまるな。


 着替え終わると脇からマグカップが丁重に差し出された。俺はそれを受け取りながら差出人である彼女へと感謝を述べる。


 「ありがとうございます。シスター」


 「もう教会の人間ではないのですから、私の事はどうぞライラックもしくはリリィと御呼びください」


 中ほどまで注がれたコーヒーに一口つける。


 (……うん?)


 苦味も強すぎず、酸味もほどほどで俺の好みに近い風味につくられている事に驚いた。心中ではそう思っていても顔には出していないつもりだったのに、彼女は表情の機微から察したようで。


 「お口に合ったようで何よりです。……どこかの誰かさんは下手に苦くつくりすぎたようですから」


 と言って笑いながらリラに流し目を送る。一瞬の間の後、自分が貶されたと気がついたリラは頬を膨らませるという分かりやすい抗議の姿勢を示した。それが可愛らしくも可笑しくてリリィ(・・・)と二人して声を出して笑い合った。

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