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女神達の花嫁  作者: ALMOND
二章
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終節

 「――という事らしいんだ」


 華香里の部屋、シスターライラックから聞いた事の経緯をかいつまんで隣に腰を下ろしている椿に話す。華香里や藤花、リラも和気藹々と流しで茶会の用意をしている。洋菓子をリラが買って持ってきているらしい。漂う紅茶とコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。俺や椿も手伝おうと申し出た訳だが……。


 『怪我人は大人しくしていてください』


 と言われてお預けを喰らった。確かに先日の一件で俺と椿は多少の傷や打撲を負ったが日常に支障はきたさない程度。ただ五人で寮の一室の流しに集まればすし詰め状態になるということもあり引き下がった。そんな訳で俺達二人手持ち無沙汰に会話で暇を潰している。


 「ふぅん。あの人そんなことを考えていたのね。リラが大切に想うわけだわ。あの子、自分の体が弱いせいであのシスターの人生が縛り付けられていると思ってたらしいから。それで何だか知らないけれど偉い人にエルグランデで優勝すれば彼女に自由を与えてやるとか言われたそうよ」


 「そうか……」


 そして訪れた沈黙。気まずいということはなく、ただ空いた会話の隙間を無理に埋めなくても居心地が悪いと感じる相手ではない、と俺は勝手に思っている。しかし椿はそうではなかった……というよりも何か言いたい事があったようで暫し視線を彷徨わせた後に話を始めた。


 「その……あの約束の事覚えてる?」


 約束、昨日の朝に交わしたものだ。そういえばこんな事になって俺も彼女も優勝がどうとかを決められなくなってしまった。


 「ああ。勿論覚えているよ。昨日の今日で忘れるわけが無いだろう?」


 椿の居住まいが強張った。膝に乗せた手のきつく結ばれた握りこぶしが彼女の現在の心情を明瞭に語っている。扉一枚隔てた睦まじげな華香里達との温度差たるや耐熱ガラスも見事に粉々だろう。


 「私から持ち掛けたのに負けたどころか、またあなたを傷だらけにしてしまって――」


 「ちょっと待ってくれ。あの試合は未決着のはずだ。結果を見たって決闘場は勝者を示していない、中断されたんだ。この怪我だって些細なものだしそもそも今回も君の過失じゃないと俺は思っているぞ」


 今の椿は少し自罰的になっている節がある。責任感が強いと言うべきか。傷だらけなんて大仰なものでもない。手当てのためのガーゼが目立っているだけだ。どうしたものか困っていると扉が開かれる。砂糖やレモンを載せたトレイを手に持った藤花一人が入ってきた。彼女はテーブルにトレイを置いて俺に向き直り、入ってきた辺りを指差してこう言う。


 「菖蒲。やっぱり男手が必要だから手伝ってあげて」


 はてそんな大荷物があっただろうか。カップとポットがいくつか程度だと思うが……。ただこの空気の中で体を動かすのはやぶさかではない。立ち上がって扉に向かう道すがらすれ違った藤花に手を一回だけぎゅっと握られた。そして俯く椿には聞こえないくらいの小声で俺に耳打ちをして。


 「後は私に任せてくれない?」


 どこかで話を聞いていたのかそんなことを言う。言われるままにこの場を彼女に任せて二人を残して扉を閉め……そのまま扉にもたれかかってみる。すると辛うじて部屋の中の音を拾うことが出来た。なるほど、藤花はこうやって俺と椿の様子を窺っていたのだろう。とはいえ盗み聞きする趣味は俺には無いのですぐさまその場を離れようとした。その際に悪気は無かったが彼女らの会話の一端が聞こえてしまう。


 『ねえ。もう菖蒲を逃げ道に使うのは止めようよ』


 普段の藤花からは予想だにできない言い草に吸い寄せられるように再び扉にもたれかかってしまった。驚いたのは俺だけではなかったようで椿の引きつったような声がする。


 『何の話をしているの?』


 『菖蒲を自分の為の止まり木に利用するのを止めようよって話をしているの』


 『そんな事していないわ』


 『ううん。私もそうだったから分かるよ。椿ちゃんだって前の一件で理解してるはず。菖蒲は肯定も否定もしてくれない。だからこそつい居心地が良くてもたれかかっちゃう……。でも何時まで経っても答えを教えてはくれないよ。椿ちゃんは菖蒲に何を求めているの。罰、それとも慰め?』


 違う。俺は藤花が言うようなできた人間じゃない。ただ他人の問題に対して責任を持つだけの勇気が無いだけだ。藤花が俺に抱いてくれている人物評と俺自身のそれとの盛大な不整合に罪悪感を覚えてしまう。口を閉ざしてしまったのか椿の声は聞こえてこない。届くのは藤花のものだけだ。


 『椿ちゃんは考えすぎなんだよ。リラちゃんの時、椿ちゃんは自分が不甲斐無かったから菖蒲に押し付けてしまったって思っているんでしょ。でもそれがあの状況だと普通なの。居合わせた多くの子達も私も、何も出来る事は無かった。むしろ椿ちゃんは良くやった方だよ、最後の最後で菖蒲を助けたの私覚えてるよ。椿ちゃんはそれで菖蒲に手を煩わせたって謝って欲しいの? ……そうだよね、違うよね。だったらさ、別の言葉を伝えて終わりでいいでしょ』


 『……ありがとう』


 しんとした中でポツリと浮かんだ椿の謝意の言葉。それはまるでその場にいないはずの俺に向けられているような気がして。


 (こちらこそ)


 心の中で返事をしたのだった。もう大丈夫だろう。藤花に任せて正解だったようだ。俺は扉から離れ、華香里とリラの場所へと早い足取りで歩み始めたのだった。



――――――――――――――――――


 二種のポットから湯気が立つ。それぞれが思い思いの場所に位置取り、好き好きの飲み物を注ぐ。椿の様子も大分明るくなったようだ。俺とも以前のように普通に会話を交えることが出来ている。藤花大先生には頭が上がらないな……。


 リラの持ち寄った洋菓子はこの辺りでは名の知れた店舗のものらしく、仰仰しいデザインの外装箱の中に五人分のそれぞれ異なる種類のものが並んでいた。女性の為せる性か――いや男性でもいるだろうけど――その小さなショーケースに俺と持ち込んだリラを除いた三つの顔が引き寄せられ、あれやこれやとはしゃいでいる。その様子を眺めていると椿がふとこちらを振り返り目が合う。彼女は照れ笑いとも苦笑いとも取れる曖昧な表情で他の二人に対して少しだけ身を引いた。それでも言葉では負けじと甘味談話に交ざっていく姿は心が和む。俺は皆に先に決めてもらい、残ったものを頂くということを伝えそれまでの間コーヒーに満ちたカップに口をつけた。


 (う……)


 苦い……。恐らく付け合せが甘い物だからなのか相当濃く淹れてある。何も加えずに一口飲んでみたが想像以上の味だった。砂糖を入れるべきだろうか。と悩んでいると視界の端からスティックシュガーが一本差し出された。その手を辿っていくとリラの綻びた顔が待っていた。


 「どうぞ。選んだ豆がちょっと深煎りすぎたかも」


 ずいっとリラが体を寄せてきたので思わず身を反らして距離を開けてしまった。だがリラはそんな俺の行動を意に介する素振りも見せない。むしろ開いた分の間隔をさらに詰めてきた。


 「あ、ああ。ありがとう」


 どういたしましてと言う彼女の手から受け取ったスティックシュガーの口を破いてコーヒーに半分ほど混ぜた。その一部始終をリラはニコニコして見ていた。



 まる五分ほどかかっただろうか、最後はじゃんけんがどうとか言っていたが決着がついたようだった。各々の前にはケーキやタルトが揃った。


 (名前以外に何が違うんだ?)


 などと考えながら既に手を付けている皆に倣ってフォークを持とうとしたが……。リラが俺のフォークを持ち上げてケーキを切り分け、腹に乗せた。……まさか。


 「はい、あーん」


 その突拍子の無い行動に空気が凍った。なんだか皆の視線が痛い。俺だって何故彼女がこんな事をしているのか知らないのに俺が何かやらかしたのだろうといった雰囲気が漂う。


 「リラさん、兄さんは自分の手で食べられますよ」


 そう言って華香里はリラに遠まわしに止めろと咎めた。


 「でも菖蒲は命の恩人だし。それにそれに、私のギフトを持ってるって事は菖蒲と私は一心同体も同然ってことじゃない?」


 リラの中ではあの出来事はそう咀嚼されたらしい。まあ悪い印象を抱かれていないだけ良い……のか? リラの白熱した持論はさらに展開されてゆき。


 「あの時意識を取り戻した私の前に顕れた菖蒲は正しく救世主。本物の神様だったわ!」


 キラキラと瞳を輝かせて語った。遂に俺は神格化されるまでに至ってしまった。まあその原因の大部分は間違いなくリラのギフトによる翼だろうと思うけれど。


 とりあえず一口だけ食べさせてもらい、満足した様子のリラからフォークを取り戻した。今度こそ和やかに時間が進みだした……。と思っていたのに。


 「ちょ、ちょっと菖蒲。これ見て!」


 先ほどから我関せずでケーキを口に運んでいた藤花が慌しく俺の名を呼んだ。隔てられたテーブル越しに腕のチャリスから何かを映し出した。誰かとのメッセージのやり取りという事は見て取れるがそれだけでは良く分からない。


 「知り合いか?」


 「うん。少し前に知り合った子……じゃなくて。こっちこっち!」


 藤花はメッセージの中から添付されたファイルを呼び出した。何事かと気になったのか全員が身を乗り出して注目する。動画のようだが……。


 「これは……」


 そこにはある場面。俺がダモクレスの剣をリラに突き刺し、彼女の六枚の翼が吸い取られるように俺の背に乗り移る瞬間。そしてその後俺が剣で天を指し、光の雨が降り注ぐまで。要するに俺が彼女のギフトを強奪する光景が鮮明に記録されていた。藤花が呆気にとられている俺に説明を加える。


 「出所は分からないけどこの動画が今貴族派の子達を中心に流されているみたいなの。それが回りまわって私にまで伝わってきた」


 藤花は俺達の中で一番顔が広い。というより俺や華香里が特に狭すぎるからこちらに回ってこなくても不思議ではない。それは今問題ではない。椿がこの映像を見て一言だけ。


 「一体誰がどうやって……」


 その言葉が全員の頭の中に沈み込んだ。俺の記憶を辿ってもそんな人はいなかった。第一あの状況でそんな悠長な事をしている者がいれば教官の誰かが気づいてさっさと追い出しているはずだ。


 「ここだけを抜き取られると兄さん悪者にしか見えませんね」


 身も蓋もないが、華香里の言う通り経緯を知らない者が見ればまずそう考えるだろう。俺自身でもそう思う。撮影者が居合わせたのがこの間だけだったのか? 渋い顔をする俺とは対照的にリラはどこか楽しげな表情で話す。


 「それにしてもよく撮れてる。私もこの人にお願いして分けてもらおうかなー。私にとっては救済された瞬間だしリリィも欲しがるかも」


 確かに彼女の言うように綺麗に撮影されている。


 (……まてよ)


 綺麗と言うより一切ブレが無い。フレームが完全に固定されている。これはまるで……。と一つの答えを思いついた一方で、顎に手を当てて考え事をしていた椿も何かに行き着いたように口を開いた。


 「カメラか何かを撮影状態にして放置したのね」


 それは俺が辿り着いたと同じ結論だ。残りの三人もその言葉が腑に落ちたようだった。あらかじめ撮影されていたと言うことは一部始終が映っていたはずだ。つまりこの映像は切り取られた恣意的なものだ。一体誰が何の目的で……。そこである言葉が思い当たった。あれは確かカルミアが俺に話した――。


 『君も見られる側だってことを覚えておくようにな』


 (まさかこんな形で見られる側に回るとはな)


 頭の中で一人呟きつつ、湯気の消え失せたコーヒーに手を伸ばす。


 (う……)


 砂糖を幾分か投入したはずなのに苦味がさらに強くなっている。そんな気がしたのだった――。

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