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女神達の花嫁  作者: ALMOND
二章
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第十八節


 「ちいっ!」


 頬を光剣が掠めていく。独楽(こま)のように二刀流の光剣を振り回すリラに俺は追いつけない。彼女の試合は幾度と無く見てきたが明らかに動きが違う。機敏すぎるのだ。達人と呼ばれるレベルの動きに迫っているのではないか。何とか転機を得ようと切り込んでも二つの剣による圧力を前にしては太刀打ちができない。もしかすると論理本能を用いればイーブンに持ち込めるかもしれないが……。当たり前だが神様相手に通用するのか試した事はない。彼の者ははたして人と同じように予測が可能なのか、それとも超越してくるのか。もしも通用しなければ論理本能は諸刃の剣。犬の行動を猫に当てはめるようなものだ。的外れな予測によって今よりも更に悪手を打つ可能性が高くなる。


 思案する俺を嘲笑うかのようにリラは乱舞を繰り出す。不思議なのはヒトであった時のリラがしていたように光線による遠隔攻撃を一切してこない事だ。最初に姿を現した時に二発俺に向かって撃ち込んできたから能力が失われた、という訳でもあるまい。だとすると……。


 (意図的に抑えているのか? 何のために……)


 如何せん表情が見えないからそのあたりの判断が難しい。しかし俺が邪魔で排除するなら使わない手はないだろうから、やはりわざとセーブしていると考えるのが自然か。非常に人間的な……言い換えれば戦略的な行動だ。もしかしたら論理本能が通じるかもしれない。どうせこのままでは止める事はできない。


 (虎穴に入らずんばなんとやら、だな――)


 一瞬ぐっと呼吸を止め、集中を極限まで高めて論理本能を行使。リラの一挙手一投足から(きた)るべき未来を予測する。一筋縄ではいかない。俺は常に回路をスイッチするかのように論理と本能のバランスを切り替え続けている。まず論理に偏らせ正確な予測を立て、その結果を率いた上で素早く本能に天秤を傾ける。これでようやく今のリラと渡り合える。そうやって戦う中で気がつくことがあった。面白いことに相手は焦れる、ということができるようだ。攻撃に喰らいつく俺に対して若干だが子供のような苛立ちが生まれているように感じられる。精神――があるかは知らないが――的には未熟ということだ。まだヒトである部分がそうさせているのか、それとも人間が思っている以上に神が俺達(人類)に近いのか。何れにしても俺にとっては朗報。人間的な駆け引きに臨めるかもしれない。


 理想と現実の剥離は人間を最も苛立たせ、苛立ちは人間の意思決定を杜撰(ずさん)にする。根本的な実力差がある現状で俺が優位に立つためにはそういった箇所を引き出すのが望ましい。予測によって導かれる攻撃に先んじて俺から一撃繰り出すことで潰す。それ以外は何もしない。攻撃の予兆に対してだけ俺からもリアクションを返す。しばらくこのやり取りが続き……。


 (来た!)


 俺を一息に叩き潰そうという意思がありありと感じられる両腕の光剣を縦に大きく振りかぶった。平常心では絶対に打たないような雑すぎる一手。この瞬間を待っていた。姿勢を低く、一歩大きく踏み込み、両腕が振り下ろされる前にその懐に潜り込む。リラの斬る構えに対して俺は突きの構え。間違いなく俺の方が先に届く……はずだった。目の前を青い閃光が遮った。


 「なっ……」


 それはリラの光剣だった。なんと俺の攻撃を防ぐために光剣双方を自身に交差するように突き刺したのだ。俺のダモクレスの剣はローブに突き刺さった双剣に阻害されローブを僅かに切り裂く程度の成果しか上げられなかった。しかし二つの光剣は見事に体を貫通している。そちらの方が致命的に見えるのだが彼女は何もおかしな事は無いとばかりに一本ずつ自身から抜き去った。ローブには俺が裂いた浅い跡しか残っていない。そこからも相変わらず漆黒の闇が顔を覗かせている。奇術でも見せられているのか。


 (中身がないのか? いや、それだけならローブまで変化が起きないのは妙だ。だとすると……。ん?)


 奇妙な感覚を覚えて右手を見る。正しくは右手と、そこに握られたダモクレスの剣を見た。剣の先に切り裂いた時の灰色のローブが絡まっている。それはやがて輝く白色へと変貌し、溶け込むように黒色の刀身に吸収されていった。その際にまるで異なる色の絵の具を混ぜ込ませた時のように一瞬だけ自身の白を主張したが、すぐに黒に飲み込まれた。手元のそんな光景を見て俺の中で不思議と言う名のいくつもの点が繋がり、線になっていく。


 (そうか。これならリラが聖具を見せない事も、ギフトの制御が不完全なことも、さっき自身を傷つけなかったことも一応の説明がつく。であるなら沙羅さんが俺でなければ駄目と言っていたことも……)


 考えに耽る俺を呼び覚ますような低い呻き声がリラから発せられた。何事かと思えばローブが小刻みに揺れている。(わら)っているのだ。


 「いいぞ。所詮特異点だけの者かと思えば中々に愉しませてくれる。もっとだ、もっと我に愉悦を捧げよ!」


 この声は脳に響くだけに留まらなかった。その昂ぶりに連動しているのかリラの頭の後ろに光輪が創られる。また一段とヒトではない存在に近づいているのがありありと分かる。タイムリミットは刻一刻と迫っていた。



 熾烈な戦いが続く。論理本能を全開にしている脳の回路が焼き切れそうなほど悲鳴を上げている。そんな中で分かったのは今のリラは直情的だという事だ。愉悦だかなんだか知らないが興奮していて動きが把握しやすい。そのお陰で段々とリラの剣筋に目が追いつくようになってきた。人間の学習能力と生物の適応力の高さに驚きつつも上手く彼女の光剣を二本ごと絡めて鍔迫り合いに持ち込んだ。絶対にここから先へは振り抜かさせないという意思表示、攻めるのは俺だ。それにこれは駆け引き。技量の分野では俺に決定打を与えられないと思わせるための……。


 リラは呻りをあげながら二つの光剣を振るうが全てを食い止める。剣閃は次第に精度を欠き、我武者羅(がむしゃら)なものへと落ちていく。やがて何かを断ち切るように勢いよく光剣を地に叩き下ろした。俺は飛び退くことで事無きを得たが穿たれたフロアーには深い亀裂が入る。そしてゆっくりとリラは顔を上げて両腕を光剣ごと祈るように一つに合わせた。できあがったのは一つの輝く巨剣。


 (そうだ。力押しで勝負して来い……。それがお前にとっても俺にとっても最良だ)


 駆け引きは成功。狙いはヒトのリラがやっていたように一つの光剣のみを扱わせること。そうなると相手も力を込めやすくなるため先ほどのように鍔迫り合いでの拮抗は望めない。しかし時間に追われている今、ぐずぐずした戦いはしていられない。ここで全てを決める。


 ダモクレスの剣を両手で掴み体の正面、中段の構えをとる。剣先はリラを捉えて離さない。息を止め、目の前の全てに集中力を捧げる。使徒と皆の剣戟の音も遠ざかっていく。聞こえるのは心臓の鼓動だけ。リラも同じように静かに佇んでいる。


 互いが紐で繋がれているかのように同時に駆け出した。回りくどい動きは必要無い。ただ正面を見据えて力をぶつけ合う――。


 (――つもりなんだろうけど、俺は技で勝負させてもらう!)


 何故相手の有利な土俵で戦う必要がある。冷静さを欠いた者から負けていく。わざわざ相手に合わせるなんて馬鹿のやることだ。俺は頭の中にある人の姿を思い浮かべる。あの人がやっていた事を……。双方の刀身がぶつかった瞬間、俺はダモクレスの剣をリラの光剣に当てながら円をなぞるように動かす。そして今一歩前に踏み出して振り上げた。光剣が彼女の袖元を離れ宙を舞う。


 巻き上げ。剣道の技の一つ、名の通り相手の刀を巻くようにして弾き飛ばすもの。沙羅さんに稽古をつけてもらっていた頃に片手間でよく食らわされていた。それが子供心に悔しくてこっそり練習していたりもした。結局実践する機会は今の今までなかったが……。


 巻き上げられた光剣は遠く離れた場に突き刺さった。得物を無くし、後ずさるリラを追い距離を詰め続け、剣先が遂に彼女の眼前に迫った。だがまだ終わらない。リラは振り絞るように体を打ち震わせ、か細い光剣をその手に顕した。不意打ちのつもりだろうが俺にはそうするだろうとしか思えなかった。なぜなら――。


 「リラもそうだったからな!」


 吐き捨てるように告げ左手にもう一つの聖具、ロンググローブを形成する。向けられた彼女の最後の砦に対して左手で盾として用いることで受け止め、渾身の力で弾いた。


 「これで今度こそ終わりだ!」


 だが俺が剣を突き立てようとした時、鐘の音が鳴り響いた。これは使徒が出現した時に聞こえたものだ。光柱がリラの背後に立つ。巨人、いや巨像がこちらを睨み据えていた。既に両手で斧を振りかざし、主を守らんと俺を捉えている。


 論理本能がけたたましく脳を回転させる。論理はこのチャンスを逃せば次は無いと叫び、本能は回避しなければ身が危ないと叫んでいる。論理と本能の調和が崩れた。どちらも迎合しないのは初めての経験だった。俺が導いた答えは……。


 (くっ……。相打ちになってでも……)


 リラと背後の巨像に向かって突貫する。兎にも角にもリラを止める。あの斧に磨り潰されても運が良ければ生きているだろう。


 しかしそんな俺の甘い考えは強い風が吹き飛ばした。後方より飛来した何かが高速で顔の横を風切って通り過ぎ、巨像の真芯を打ち据えた。衝撃によって巨像の構えがぶれる。飛来物の正体は何かが伸びた(・・・)もの。それが何であるかに辿り着くのに時間はいらなかった。思わず口元が綻ぶ。同時にこの距離で聞こえるはずがない彼女(椿)の声が届いた気がした。


 『借りは返したから……』


 そして、俺のダモクレスの剣はリラの胸元を一息に貫いた。ここからは俺だけの役目だ。


 「さあ、全てを俺に吐き出せ」


 ダモクレスの剣を通じてリラから俺の中に伝わってくるものがある。並行してリラの翼が一枚一枚枯れ果てていく。全ての翼が消え、正体を曖昧にしていたローブも雪解けの様相でじわりと消えていく。そこには確かにリラの姿があった。俺はそれを確認して緩やかに剣を胸元から抜き去った。力なく崩れ落ちるリラを優しく抱きとめる。彼女には傷一つついてはいない。それは俺の本来(・・)のギフトとダモクレスの剣が為せる業。人を切るのではなく、人の中にあるギフトを切る。そしてそのギフトはどうなるかといえば……。


 (最後の仕上げだ)


 俺の背に六枚の翼が生える。それはリラと同じもの。リラを抱えながら未だ死闘を繰り広げる使徒達に向き直りダモクレスの剣を天に掲げる。ただ考えるだけでよかった。考えるだけで望むがままに空間から光が降り注ぎ、使徒を次々に突き抜けていく。光の雨に穿たれた使徒達はゼンマイが切れた玩具さながらに動きを止め、やがて足元からドロドロに融けて姿をくらませていった。一息吐く俺の手元から少女の呻き声が聞こえる。


 「うう……」


 「おはよう。体に変化はないか?」


 弱弱しく目を開くリラに語りかける。彼女はじっくりと俺を見つめて手を伸ばし、か細い声で言った。


 「神様……私を助けてくれたの……」


 背に生えた翼を見て錯覚したのだろう。そっと差し出された手を握り返して俺は首を振った。


 「俺は神様じゃない。(これ)は君のものだ。俺はただの簒奪者(どろぼう)でしかないよ」


 赦されざる処刑(リベリオン)。ブレイサーの所有するギフトを奪い去る最悪のギフト。花嫁が行うようなギフトのコピーではなく、完全に所有権を我が物とする、存在しない……存在するべきでないと考えられていた代物。それが俺の生まれ持った真のギフトだった。ダモクレスの剣はその橋渡しの役目をもっている。つまり俺はリラのギフトを強奪することで彼女を止めた。


 リラも自分の中にギフトが無いことに気がついたはずだ。悲しませてしまうだろうか、はたまた叱責を受けるだろうか。だが彼女の口から出たのは――。


 「いいえ。あなたは私の中にある枷から救い出したの。ありがとう、私の神様」


 感謝の言葉だった。予想外の言葉に呆気に取られる俺。


 「あ……ははっ、このギフトを使って感謝されたのなんて初めてだ」


 「蘇芳、無事か!」


 大きな声で俺を呼ぶ小御門教官が目に映る、カルミアも一緒だ。流石と言うべきか二人ともかすり傷一つないみたいだ。


 「少年。その姿は……いや、今はそんなこと些事だな。さっさと医務室へ行くぞ。北山のお嬢ちゃんも一緒にな」


 俺は目を閉じて意識を集める。すると翼は一斉に掻き消えた。ギフトが無くなった訳じゃない。今でも俺の中にある。小百合さんや教官達は忙しなく戦闘後の処理に追われていた。いたる所に残る激しい戦闘の爪跡に目を奪われていると藤花が椿を背負ってやって来た。パワフルな奴だな。


 「椿ちゃん、一旦は目を覚ましたんだけどすぐにまた気を失っちゃった」


 「ああ、椿には最後の最後で助けられたよ」


 彼女の使徒への一撃が無ければ今頃俺はどうなっていたか分からないからな。そこまで考えてあることに気がついた。


 「華香里はどこへ行った。藤花と一緒に椿を見ていたんじゃないのか?」


 すると藤花も不思議な顔をして首を傾げた。どうやら途中で姿を消したらしい。一体どこへ行ったのだろう。意味も無くこんな行動をするとは思えないが……。悩んでいると沙羅さんがどこからともなく現れて俺に話しかける。


 「華香里は残る守護者の元にいるわ。その子の守護者よ」


 と言って沙羅さんはリラを指し示した。彼女の守護者……あの人か。恐らくあの場所にいるだろう。華香里もそこに……。俺はリラをカルミアに有無を言わさず任せる。


 「後は頼んだ。ちゃんと二人を連れて行ってあげてくれよ」


 そして体育館も学園からも飛び出した。軋む身体に喝を入れて駆け出す。あの街外れの小さな教会を目指して――。

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