第十六節
それは壮絶な戦いだった。前触れもなく発せられる光槍。その嵐の中をかいくぐる椿。前に見せた光のカーテンによるギロチンにはカラドボルグを盾の様に構え受け止める。しかし影響範囲が辺りの空間まで拡張されているリラにアドバンテージがあるか。光はいたる所に発生する。聖具はたとえギフトであろうと破壊される事はないと言われている上に椿のものがいくら巨大であるといえど広角度からの攻撃を防ぎきれない。
迫り来る光撃に一つの対策を思いついたのか、椿はカラドボルグによって移動。その位置取りを光との間にリラを挟みこむ形に。
(自滅を狙うつもりか。しかし今のリラに通用するかどうか)
リラの体が浮き上がった。障害物のなくなった光線は一直線に目標を貫かんと差し迫る。椿は転がるように横に回避することで事なきを得る。彼女の元居た場所を通過した光線は敵の姿を見失った事が認識できているかのように消えていった。
そう、リラは空を飛ぶことが出来る。それは一昨日の戦いでも見せていた。椿も見ていただろうからこの結果を予測できていただろう。しかし問題は別にある。それは予測できていたか如何に関係なくリラは空中にいるということ。
「こうなると椿さんはつらいですね」
一人呟く華香里の言う通り、空中に存在している相手に満足に手が出せる者がどれほどいるだろうか。ギフトが肉体と聖具までにしか作用できないレベルのブレイサー……例えば俺程度なんかはほぼ詰みに近い。その条件をクリアーしたって自身が重力に縛られて足を着けていなければならない時点で移動可能範囲に大きな差ができているのだ。
(だが椿にも一応……)
俺と同じ事を考えたらしく藤花が俺達に話しかける。
「でも椿ちゃんだって空中移動はできるでしょ? それならまだ同じ土俵じゃ……」
その言葉は即座に華香里によって否定された。
「いいえ。同じではないですよ。なぜなら椿さんは攻め手である聖具を使用しなければならないからです。それに動きだって直線的、容易に移動経路の予想がつきますから寧ろそちらの方が不利と言えるでしょう。……ですが椿さんが勝利するには不利を覚悟で行かなければなりません」
椿のギフトは俺の考える限り少なくとも決闘場のルールにおいて、リラのように直接敵に損害を与えるようなものではない。だから決め手はカラドボルグによる一撃しかない。ならば苦境に身を投じなければならない。
(それでも。それでもやるしかないだろう。椿)
地から天のリラを睨め付ける椿の顔には決意が宿っていた。カラドボルグを天高く掲げ、その刀身を伸ばす。伸縮を利用して吊り上げられる様に飛ぶ椿。だがそんな絶好の機会をリラも逃すはずはない。天使の輪を彷彿させる眩い光の帯が出現。獲物を求める爬虫類がするように蛇行しながら追尾を始めた。これに椿も対応、すぐさま伸縮を戻し体を捻って向きを変える。なおも帯は椿を追いかけている。
椿は再びカラドボルグを今度はリラに向けて突き出した。刀身を伸ばしながら迫る、対面すれば蛇の飛びつきを錯覚させるその攻撃をリラは身を反らせて回避。だがまだ終わらない。椿は伸びたカラドボルグの収縮に引き寄せられてリラに突撃する。刀身を元に戻しても慣性によって迅速で移動している椿はすれ違いざまに更に一撃。これは回避できないと悟ったかリラは今までの試合にあったように光を集めた剣によって受け止めた。
二人のインパクトの瞬間、轟音と共に衝撃波が起こる。選手を包む決闘場によって俺達は護られているが耳に轟くこの音からして相当のものだろうことが想像できた。先ほどまで高速で移動していた椿の速度の載った一発を受け止めたリラは当然として、与えた本人も反作用で吹き飛んだ。弾かれ合う両者の間を光が流星群のように降り注ぐ……驚くべきことに椿はこの反作用によって移動の軌道を変えることにより追尾する光からも逃れたのだ。更に彼女は空中で回転して姿勢制御をやってのけ、そしてまたリラへと攻勢を続ける……。思わず感嘆が口をついて出た。俺だけではない、ここにいる全員がそうだろう。
「凄いな……。誰の目から見ても不利な条件だった空中戦をこなしている」
元はリラの独壇場であろう空の領域を蓋を開ければ椿が制しかけている。当然ギフトの差を考えれば手数は彼女が圧倒的だ。しかし椿は回避と攻撃を両立させる事に成功している。一撃一撃の価値は椿の方が高い。次第にリラも攻撃一辺倒で状況に合わせて防御ではなく、あらかじめ防衛の選択を採り始めた。これはつまりリラは攻めあぐねているという意味であり。戦いの主導権は渡りつつあった――。
――――――――――――――――――
彼女はゆっくりと重厚な扉に手を掛ける。木の軋む音をたてながら扉は彼女を中へと招待した。彼女を歓迎してくれたのは二列に整えられた長椅子。夏間近の陽光を差し込ませるステンドグラス。そして十字架を湛えた祭壇だった。
彼女は教会にいた。アングレカム学園を中心とする街の外れ、以前に蘇芳菖蒲がここで三名の謎の人間と戦闘を行った場でもある。その際に生まれた弾痕も血痕も、まるで魔法にかけられたかのようにその跡形も残っていなかった。
この名も無き無人の教会が創設されたのは単純に必要だと思われていたからである。アングレカム学園に集う生徒の多様性を考慮して街の開発計画の初期から造られたものの、蓋を開ければ学園は大多数が貴族派であり、宗教色も薄かった。故に街自体に神命派も寄り付かず、本来いるべき神父等さえも存在しなかった。それでも創設当初は地域の人間や憩いの場を探す生徒によって多少は人影があったが今では常に閑散としている。
彼女は教会にとっての演奏舞台である楽廊に進み、備え付けられているパイプオルガンへと手を伸ばす。鍵盤を数回押し下げて調子を確認した後、椅子へと腰を下ろしてパイプオルガンに語りかけるように言う。
「立派な物ですね。ここにあるのが勿体無いくらいに」
そして彼女は一度瞳を閉じて何かに祈る姿勢を作った。すると彼女の前に一冊の装飾写本が顕れた。彼女はそれをパイプオルガンの譜面台に載せて羊皮紙で出来たページをめくる。そこには何も描かれていない。文字も絵もない全くの白紙だった。それでも彼女は構わずに鍵盤へと指を這わせた。
「神に選ばれた者も、神へと至る者も揃いました。後は彼の者達への贈り物だけ……」
突然、写本が輝き始める。輝きの中で白紙のページは黒い線を引き始める。五本の直線が等間隔に並び、ページの端から端までを染め上げる。できあがったそれは一枚の譜面を示していた。だが重要な音符が記譜されていない。
「では始めましょうか。そうですね……。まずはこれからいきましょう」
そう言った彼女に呼応するかのように譜面に音符が描かれていく。
「全ては神でもなく。私でもなく。ただあの子の為に……」
そして彼女は奏でる。一人の少女に向けて。アヴェ・マリアを……。
――――――――――――――――――
リラは最早攻める手を失っていた。どうやら彼女が生み出せる光には限界があるように感じられる。椿の攻撃を受け止めるためなのか光剣の輝きが増している。そして引き換えに椿を追い詰めようと奔走していた光の槍も帯もその姿をすっかりと失ってしまっている。こうなってしまうと単純な武具での戦いと同じだ。俺は藤花に向けて語りかける。
「これがリブラリアンだけではなくワルキュリアが存在している理由だな。ギフトの優劣があろうとも、それだけでブレイサーの優劣を決められない。現に椿はリラをこうして戦術と武術で追い詰めている」
藤花は惹かれるように中央の二人の姿を視線で追いかけている。心ここにあらずといった感じで、しかし俺の声は届いていたようだ。
「うん……。なんとなく分かるよ」
頭上に移動した椿のカラドボルグが振り下ろされる。リラはそれを受け止めざるを得ない。光剣を両手で掲げるようにして正面から対抗した。当然今までのようにお互いに弾かれると思われたが、今回は違った。椿は上に、リラは下に位置している。それはつまり椿はこのポジションなら追撃のためにわざわざカラドボルグを利用した移動をする必要はないという事。重力に引かれて落下するだけでリラを追うことが出来る。リラもそれを理解してか吹き飛ばされた後に姿勢制御を行わない。行って今の動いている勢いを停止させてしまえばまた椿に追いつかれてしまうからだ。やがてリラは体育館の床に叩きつけられるように落下した。その方がマシだと判断したのだろう。そして腕の光剣を爆発させた。ここにいる全ての人間を閃光が包む。
「うっ……。フラッシュバンか」
見た者の視覚を破壊しそうなまでの強烈な光だった。落下した時の隙をカバーするためか攻撃も防御も捨て撹乱のために全ての力を使ったのだろう。その甲斐もあってか眩んだ俺の目が平常を取り戻した際に見えた光景は大きく離れた場所で対峙する二人の姿だった。
もう空中で戦う事はないだろう。リラはそれが何のメリットも生み出さないことを思い知ったはずだ。気がつけば両者共に息を切らしている。リラは攻め立てられたことによる精神的な疲労もあるか。椿は単純に運動量が尋常ではなかったからだろう。
「互いに限界が近いようだな」
俺の呟きに華香里も同意する。
「ええ……。恐らく次の一回で勝敗は決するかと」
どうやらその通りになりそうだ。椿はカラドボルグを構え直した。対してリラは手を広げて何かを呟いている。すると彼女の背に一つの光る球体が生み出された。光球は次々に増殖を続け、リラの周囲を囲んでいく。文字通りこれが最後の輝きとなるだろう。
二人の間の緊張が観客にまで伝わってくる。今この空間には歓声もなにもない。真空を感じさせるほどに沈黙が漂っている。決着が近いことを皆が察しているのだ。
ドンッと大きく地を踏み鳴らした椿が一直線にリラに向かって駆け出した。リラがそれに反応して手を突き出すと光球が形を変える。それはやがて分裂を繰り返し輪郭を変形させ人の形へ、更にディテールをはっきりとさせ始め気がつけば剣や槍を持つ戦士の姿を露にした。これが彼女の隠し玉。主の敵を打ち払う光の騎士団といった所か。立ちはだかる騎士の前に流石の椿も足を止めるしかない……と思っていた。
椿は走りながらもカラドボルグの刀身に構えている手とは逆の腕をぴったりと沿わせた。最初は両手をもってして攻撃を全て耐えながら突貫するのだと考えていた。しかし現実はそれを大きく裏切ってきた。刀身部分と柄の部分で分離した――いや違う。右手に持った柄からはしっかりと細身の刃が存在している。
(あれは……エストックに似ているか? と言う事は今まで俺達は……)
これが彼女のジョーカー。椿はたった今初めて抜刀した。俺達はずっと鞘こそが刀身だと思わされていたのだ。彼女はエルグランデを通して全ての人間をペテンにかけていた。それをリラを護る騎士の手数に対応するためにようやく露にしたのだ。
椿は左手の鞘を盾のように構えながら前進を続ける。鞘で身に迫る騎士の攻撃を受け流しながら、時に際どいものをエストックで素早く打ち払う。リラの顔に焦燥の色が浮かぶ。自身を護るべき騎士は次々と後にされてゆく。そしていよいよ最後の光の騎士が突破された……。リラは急ぎ次の手を打った。全ての騎士達が融解していくように光球に戻り、リラの元へ収束する。そして彼女の頭上で巨大に膨れ上がり太陽のように館内を照らす。これから一体何が起きるのか、それは全く予想できない。しかし間違いなく最大の攻撃となるだろう。皆が固唾を呑んで行く末を見守る。俺が見ることが出来た椿は少し奇妙だった。笑っていたのだ。まるでこうなる事を望んでいたみたいに……。
椿は左腕の鞘をリラの頭上目掛けて投げ出した。それは空中で自身を伸ばし、光球を一気に貫いた。あれは光の集ったもので実体はないはずだが突き刺さっているようにその状態で鞘は静止しており、椿のギフトで空間に刺さったのだろうことが分かる。華香里が不思議そうに声をあげる。
「何のつもりであのようなことを……」
その疑問はすぐに氷解することとなった。光球が内部から光を四方八方に拡散し始めたのだ。ミラーボールのように全方位に光線を撒き散らす。その間にも椿は着実にリラへの距離を詰め目と鼻の先となった。椿に対抗しようとリラも手に光の剣を形成したが、生み出せる光の大部分を光球に集中してしまっているのか非常に弱弱しい。そんな付け焼刃で技量にも勝る椿を追い払えるはずがなく、一刀で弾き落とした。がら空きの胴体にエストックの切っ先が迫る――。
その時歌が聞こえた。もう何度目になろうか、あの歌だ。出所を確認する間もなく館内に閃光と共に衝撃波が走った。
(そんな馬鹿な!?)
そんなものが発生する原因など一つしかない。だがそのたった一つは決闘場によって護られている。衝撃波など届くはずがない。なら理由は単純。
(決闘場が消えた……?)
「兄さん! あれ!」
珍しい華香里の慌てた声に引き戻されて言われるままに指差された方向を見る。そこには先ほどの衝撃で吹き飛び打ち付けられたのか壁にもたれかかるようにぐったりとしている椿。そして……。
「何……あれ……」
六枚の翼を生やし、灰色のローブに全身を包んだリラらしき者の姿だった。




