第十五節
「ん?」
朝、身支度をしているとチャリスに着信があった。相手は椿だった。今日に決勝戦を控えている彼女なら性格からしても朝は何かしら練習をしているイメージを持っていたが違うようだ。とりあえず応答すると椿の声が届いた。
「あ、起きてた。ええっと、今あなたの寮……でいいのかしらここ。その前にいるのだけど出てきてもらってもいい?」
了承の旨を伝えて簡単に身支度を整える。この時間、廊下に出るととても静かだ。ここの騒がしさを大手に担う二大巨頭が夢の中だから。ダリア先生は日によりけりだが小御門先生はいつも俺より先に起きている。なるべく物音を立てないようにこっそりと玄関口から外に出る。そこには制服に身を包んだ椿がいた。
「おはよう。早くに悪いわね」
構わないと告げると椿は体を翻して歩き始めた。俺も黙って後に続く。しばらく歩き続けると体育館へと辿り着いた。一部の人のみがようやく活動を始めるほどの早朝。まだ中には何も、誰もいないはずだ。それでも椿はお構い無しに扉を押し開け入っていく。
館内の中央部、ちょうど先日俺達が試合を行った開始地点あたりで彼女は立ち止まった。なおも俺に背を向けたまま自身について語り始める。
「私は孤児だった。本当の親の顔は知らない。ヴァーミリオン財団に保護されてから今の北山家の現当主の夫婦に引き取られた。最初は彼らに恩義を感じたこともあった、扱いもよかったし。でも目的が私の中にあるこれだと知ってからはそんなものは消え失せたわ」
そう言って椿はカラドボルグを宙に顕現させた。カラドボルグは重力に導かれて彼女の背後、俺との間に落ち、地に刺さった。
(違う……。地面の空間に刺さっているのか?)
よく見れば床にはひび割れどころか傷一つできていない。水面に浮かぶ様に自然にカラドボルグは鎮座している。どうやらこれが椿のギフトのようだ。空間に作用する。だから何もない空中をまるで壁であるかのように突き刺して移動できてたのか。
前に戦った時からの疑問が解消されたことに密かに満足している俺を他所に椿の話は続く。
「家の人間はこぞって私にリブラリアンになる事を勧めたわ。当然よね。競争激しいワルキュリアよりもそっちのほうが安定してブレイサーとしての価値が表れる。だから私はワルキュリアになった。望まれないワルキュリアとして大成し、いつしかどのような形であれ報復を成し遂げると心に誓った。我ながら子供っぽいわ」
最後の一言は自虐的な笑い声が混じっていた。このあたりの話は以前にカルミアから聞いた話と同じだ。ブレイサーの孤児を引き取った家は大方リブラリアンを目指させる。地位名声の上がり幅としてはワルキュリアの方が大きい。国選レベルまで上り詰めれば家としての名声もうなぎ登りだろうが……。そんな博打を打つよりは研究・学問の分野で一定以上の結果を残しやすいリブラリアンの方が家格としての商品価値があるのだそうで。
「でもある日転機が起きた。ヴァーミリオン財団で孤児をかき集めていたグループの理事が殺された。家もだけど事情を知ることが出来た貴族派の中ではいろんな憶測が飛び交ったわ。孤児が反旗を翻したとかヴァーミリオン家の自浄行為とか……。事態を受けて二の舞を演じることを恐れたのか私に対する家の圧力はかなり弱くなった。なってしまった」
と、ここで椿はようやく俺に振り向いて視線を合わせた。カラドボルグを抜き取り、俺に突きつける。目をやればやはり抜かれた地面には何も変化が見当たらなかった。
「あなたがやったんでしょう? ダリウス・ヴァーミリオンを」
何故椿がそう思ったのか分からない。だからこのまま肯定してしまってよいものなのかも判断しかねる。俺はもう少し彼女から話を聞き出すためにはぐらかしてみることにした。
「どうして俺がそのヴァーミリオン家の何某さんを殺さなければならないんだ? 俺はただの――」
「ただの学生。なんて言い訳がこの後に及んで通用すると思わないで。あの日私達が戦った後の日からその両脇の下に着けている物騒な物。気づかれてないと思った?」
両脇につけている二丁のハードボーラー。それも着用している日までぴたりと当てられてしまっては観念するしかない。俺は警戒させないようにゆっくりと上着の前をめくり、ホルスターに収まったハードボーラーを見せて言う。
「……よく分かったな。なるべく体格に表れないものにしているんだけど」
すると椿も俺に突きつけていたカラドボルグの切っ先を下げて答える。彼女の様子を見てもう必要ないと考えた俺は上着の前ボタンを閉じてホルスターを再び隠した。
「それはだってあの日からずっと見てた……じゃなくて! 私が何故気がついたかは些細なことじゃない。それにあなた、ダリウスが殺された日に北山グループのビルに行ったでしょう。エントランスの人が覚えていたし警備カメラに記録されているのをこの目で見たもの。北山椿の肩書きを利用したのはあれが初めてだったわ」
エントランスの受付に覚えられていたのは想定外だがカメラに映っていることは知っていた。実際の現場に映っていなければただの訪問客で押し通せると考えていたので妥協したのだ。
否定しない俺を見て椿は大きく息を吐いた。
「はあ……。あの屋上から財団のビルがよく見えるんでしょう。私も何度も見てきたから分かるもの。そこであなたは――」
「それで、俺をどうするんだ?」
彼女の言葉を遮ってその真意を探る。白日の下に晒すつもりではないだろう。確固たる証拠が無いからそもそも不可能だ。それに椿はわざわざ俺を一人でこんな時間に人気のいない……つまり他者に聞かれる可能性の薄い場所に連れ出した。何か別の狙いがあるのだと思う。
椿は俺の質問に対して強靭な意志の固持を俺に悟らせるくらいの凛とした表情を見せた。
「どうもしないわ。ただ約束して欲しいの。今日、私はリラに勝って優勝する。あなたも明日、相手に勝利して優勝する。そうしたらもう一度、今度はちゃんと最後まで私と戦って。それだけ」
約束とは再戦の誓いだった。彼女らしい強気さの表れた発言に後押しされて俺も返答する。
「……ああ、約束しよう。もう一度」
――――――――――――――――――
「ああー。だるぅー。なんで折角のイベント中なのに授業をするかな」
机にぐったりと突っ伏す藤花。エルグランデの最中であっても午前は普段と変わらず座学の時間が詰まっている。それに辟易しているようだった。藤花ほど極端ではないにしても学園の雰囲気はおおよそ似たようなものだ。
「仕方が無いさ。ただでさえ俺達は一般的な学生よりも多く特殊な授業が組み込まれているからな。ほら、いつまでもそうしていないでカフェテリアに行こう。そろそろ華香里も来るはずだから」
と噂をすれば影。入り口に華香里の姿が見えた。虚脱しっぱなしの藤花に立ち上がるように促す。そうするとこのだらけ者は両腕を俺に突き出し、おどけた風に言った。
「お父さんだっこ」
何を言っているんだか……。
決勝が今日からということでカフェテリアまでの道すがら勝者予想というかリラと椿が話題の俎上に載せられていた。聞こえてくる限りではリラが優勢といったところか。華香里や藤花も聞いていたようで。
「やはりこの学園の事を考えるとリラさんに票が傾きますね」
と言う華香里だったが、藤花はそれに疑問を抱いたようである。
「やっぱりってどういう意味? リラちゃんが進化……だったっけ、それをしたから印象が強いってこと?」
確かにリラの見せたあの光景は皆の記憶に新しいだろう。しかし華香里が話しているのは別の要因である。華香里が質問に答え始めた。
「それも一端ではありますけれど……。全てがとは言えませんが、ギフトの純粋な質そのものがブレイサーの価値だとする思想がおおよその貴族派に根付いています。だからこそヴァーミリオン家などはデルフィン先輩の存在によって繁栄している訳です。失礼な言い方をすればその考え方に基づけば、椿さんの技術は小手先だけのもの。純然たるギフトによってのみ勝ち上がってきたリラさんの方が優れているというわけです」
説明を脳内で噛み砕いたのか藤花は渋い表情をし始め誰に宛ててでもなく苦言を呈した。
「それってワルキュリアの存在意義を否定してない? だってギフトをどう生かすかが鍵のはずなのに、質だけで優劣を決められちゃうんだったらリブラリアンの凄い人を連れてくれば終わりって話になっちゃうじゃん。なんだかなあ」
藤花の今までの人生からしてもギフトそのものを評価軸にされている事を嫌うのは当然だった。椿が華香里の言う様に思われているかもしれない事に憤りを感じるのかぶっきらぼうに話す藤花。そしてそれをなだめる俺達。そうしているとカフェテリアへはじきに着いた。
「――はい。――ええ。――どうも」
面倒な相手との会話はこれに限る。昼食をとっている間。数人の上級生に話しかけられた。内容は簡単。自分は何某で、こういう家の者だ……。という形となっている。要するに名売り、経験は無いが社交場のイメージでよくあるやつだ。
「優秀そうな人材には目をつけておきたいということでしょうね。やれやれ厚かましい」
あまり広い人付き合いをしない華香里も妹と言うだけで巻き込まれて鬱陶しそうに言い放った。俺だって正直勘弁して欲しい。名前だけならいざ知らず、家名からその栄華までくどくど御高説を賜った時には流石に嫌味の一つでも言いたくなった。実際には場が場なのでこらえたけれど……。その代償として俺は数十分前の藤花のようにぐったりとカフェテリアの机にしなだれかかっている。そんな俺に向いて藤花が合掌しながら少し上擦った声で喋った。
「嗚呼、蘇芳菖蒲の御霊よ永遠に……」
こいつ面白がってるな。
「あー。だるー」
お返しにと俺が芝居がかった台詞を口にすると藤花は口を押さえて吹き出すのを我慢している。唯一教室でのやり取りを知らない華香里だけが励ますような声で。
「もう。だらしがないですよ兄さん。ほら皆さん体育館へと移動しています。私達も行きましょう」
最後の一押しだ。俺を立ち上がらせようとする華香里に向けて両腕を持ち上げる。藤花はこの後に待ち受ける展開が予想できていて堪えるのが限界と見える。
「ああ。母さんだっこ」
悪ふざけをする相手が悪かった。本気にしたのか俺を抱きしめようとし始めた華香里と慌て過ぎてたじたじになる俺。藤花の防波堤は決壊した。
「まったく。いよいよ兄さんがストレスによって退行したのかと心配しましたのに」
眉間に手を当て心底呆れたという表情を見せる華香里。彼女のご機嫌をとりながら体育館のギャラリーに腰を下ろした。それからものの数分で満員御礼。その中には小百合さんの姿も見受けられる。俺の視線に鋭く気がついてアイコンタクトを交し合った。藤花の楽しげな声が聞こえる。
「すっごいね。学園長もいる。あ、ほら! あそこにはダリア先生に苺ちゃんもいるよ」
そういって指し示された先、小百合さんのすぐ近くには確かにその両名も含めた教師陣がいる。全員かどうかは定かではないがそれでも俺の知っている面々は揃い踏みだった。
「それだけ注目されているということだろう。……おっと、主役の登場だ」
示し合わせたかのようにリラ、椿が同時に現れた。二人はこの舞台の中央へと進む。何も交わさず、何も話さず位置に着いた。早く始めさせろと言わんばかりに。その雰囲気に促されたかは分からないが、小御門教官が彼女らの間に歩み寄る。しばしのやり取りの後、椿はカラドボルグを顕現させ、その手に。リラはあの美しい翼が背に。それは共に戦闘準備完了を意味していた。決闘場が彼女らを包み込む……。そして――。
「――始め!」
渦巻く注目の中戦いの火蓋は切って落とされた。




