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女神達の花嫁  作者: ALMOND
二章
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第十三節

 ギャラリーの出入り口をくぐり人通りの多い体育館周りを抜け、カフェテリアへと通じる道に辿り着いたところでようやく外の空気を感じられた。試合前は天高く照り付けていた太陽も幾分か陰りを見せ始めている。この辺りまで来ると人の影もそう多くない。季節がまだ春なので人混みで暑苦しいということはなかったが気分的な閉塞感は中々のものだった。


 (前はこのあたりにいたよな?)


 忙しなく視線を動かしながら目的の人物を探す。ここにいるという確信はないけれど……。


 不意に肩を優しく叩かれる。人間そんなことをされてしまうと条件反射で振り向いてしまう。背後に首を回した俺を待ち受けていたのは自分の頬が押される感覚。


 「ふにゃり」


 加えて妙な擬音を笑いながら声に出して表現するデルフィン先輩だった。いつの間にこんなに肉薄していたのか気がつかなかった。ただでさえ探し物のために周囲をよく見ていたのに。


 「古典的な手を……」


 わざわざこっそりと近づいてすることがこれなら最初から普通に声をかけてくれればいいものを。意外と茶目っ気のある人なんだな。


 「お手伝いをしようと思って後をつけてきました。いくら男の子でも五人分の飲み物を運ぶのは難しいでしょう?」


 「あ……」


 そこまで考えてなかった。そちらは外に出る建前であって、彼女(・・)に会うついででしかないから。くすくすと楽しそうに笑う声が響く。


 「あなたって思っていたより抜けている所がありますね」


 ひとしきり笑い終えた彼女は立ち止まる俺を追い抜かして言う。


 「それじゃあ一緒に行きましょうか。……まずはリラさんのところへ」


 本当の目的も見透かされていた。リラがまたあの時のような状態に陥っていないかだけ確認して買い物をしてからすぐに戻るつもりだったのだが。彼女が聡明なのか、俺が筒抜けなのか……。


 「早くしないと次の試合が始まっちゃいますよ?」


 否応なしに先輩が俺の手を引きながら意気揚々と歩き出した……。そこまではいいのだが気になることがある。


 「リラがどこにいるのか分かっているんですか?」


 ピタリと、その言葉を放った瞬間に前ゆく先輩の動きが止まった。こちらからは後ろ姿しか見えないからどんな表情をしているのかは知ることはできない。


 「……先輩も意外と天然な所がありますよね」


 一緒に探そうという意味で数歩進み寄り、彼女の隣に並んで共に歩き出すのだった。



  「リラに助言を?」


 なかなか彼女を見つけられないその道すがら、デルフィン先輩からそんな話を聞いた。


 「ええ、同族(・・)のよしみとして。どの団体や組織にも属していない少女が突如、世界の頂点に立つほどの絶大な力を持つ者になった。それを世間はどう評価するでしょうか。私なら鴨が葱を背負って来た、と考えるでしょうね」


 俺もそう思う。しかし以前にリラ本人が話していたことだが彼女は教会の、しかも猊下と呼ばれる人物の後援を受けている。後ろ盾としては申し分ないのだろう。だからこそ物理的に離れたこの地にも護衛兼付き人らしきシスターライラックが傍に――。


 (待てよ。とすると教会側としてはあの人(シスター)が必要になると予想していたのか?)


 ただの留学生に対する処置としては行き過ぎな気がする。基本的にアングレカム学園とその周辺の地は治安が良い。というのもこの辺りにはヴァーミリオン家を中心として貴族派関係の団体が密集している。お嬢様方(宝物)に危険が及ばないために行っている治安維持活動もそれなりのものだ。


 (何か思い描くシナリオでもあるのだろうか。そのためにあの二人が共にいることが必要不可欠とか……。リラの進化も手の平の上の出来事で……)


 思考はもはや妄想と言われる段階まで飛躍していく。考え出すと止まらない。幼い子供の描く空想日記のように突飛な発想がどんどん湧いて出てくる。


 「――さん。――ヤメさん? 蘇芳菖蒲さん!」


 自分の名を呼ばれる声に意識が現実に引き戻される。危ない危ない。考えすぎるのは悪い癖、昔はよく華香里に注意されたものだ。慌てて先輩に言葉を返す。


 「すみません。ちょっと呆けていました。何かありましたか?」


 先輩は俺が上の空だったことを頬を小さく膨らませることで抗議の意を示した。


 「もう……。リラさんも見当たらないし時間も迫っているから飲み物だけ持って戻りませんか?」


 もうすぐ椿の試合時間か、リラの安否だけは確認したかったが仕方がない。戻ったらメッセージでも送ることにしよう。


 「そうですね。遅れると後が怖いですし――」


 とまで話したところでピタリと動きを止めた。耳を澄まして辺りを探る。その行動が不可解だったのか先輩に見咎められた。


 「どうしました?」


 「歌が……」


 かすかに耳に流れてくる。でも隣にいるはずの先輩は聞こえていないようで不思議そうに言う。


 「歌? 私には何も……」


 いや、確かに聞こえる。この歌は――。


 (Ave Maria!)


 脳がそれと認識すると、まるで(いざな)われるかのように歌声のする方向へ足が進み始める。


 「ちょ……何処へ行くんですか、待ってください!」


 静止する声も俺の耳には響かない。ただ呼び声(・・・)のする方へ……。



 道を外れてどれくらい歩いただろうか。背後の体育館が先ほどよりも一回りほど小さく見える。いつの間にか歌声は消えていた。代わりに何かが視界の端にちらついて、ふと足元を見下ろすと真っ白い羽根が数本落ちている事に気が付いた。一枚拾い上げて繁々と観察する。これはリラのギフトによって生まれていたものと同じもののような気がする。


 「ヘンゼルとグレーテルを追いかけている気分です」


 規則性を持って点々と落ちている羽根を見て先輩がそんな感想をこぼす。どうやら校門の方角へリラは向かったようだ。歩けるのなら心配ないか……。


 「もう帰ってしまったのかもしれません。俺は皆の分を買って戻りますけど先輩はどうしますか?」


 と尋ねると彼女も視線を伏せて何かを考える素振りを見せて答える。


 「……私も別の機会にお話することにします。そろそろ次の試合の時間が――」


 そこからの先輩の言葉は遠くから響いてきた大音にかき消された。体育館の方角からの歓声だ。前にも聞いたことがある。試合の決着がついた際の声援だ。つまり……。


 「椿の試合がもう終わったのか!?」


 驚きも束の間、急いでチャリスに手を走らせ結果を確認する。やはり試合は既に終了していた。勝者は北山椿。試合経過時間は八秒一四、予選ならいざ知らず準決勝以降ではまずあり得ない時間。チャリスの画面にも小さく歴代二位と記されてあった。俺は小さく感嘆の息を吐きつつ画面から目を離して先輩に向き直る。


 「すみません先輩。俺の奇怪な行動のせいで間に合いませんでした」


 幻聴に惹かれてふらふらした挙句、リラは見つけられずに椿の試合も遅れてしまった。最悪の結果だ。


 「構いませんよ。過程はどうであれ北山さんは勝利を収めたのでしょう? なら後日お祝いの言葉を差し上げることにしましょう。申し訳ありませんが私はこのままアテナイの会堂へと戻ることにします。元々カルミア氏の付き添いをするだけの予定でしたから」


 それでは、と締めて歩み去る先輩を見送りながら俺も華香里達と合流するためにもと来た道を辿っていった。試合に遅れた言い訳を考えながら……。



――――――――――――――――――


 今日の全日程が終了した。日は落ちあれほどまでに熱気高まった体育館も今では静まり返り、遠くから通り抜けるホトトギスの鳴き声が殊更寂寥感を煽る。しかし生徒達は興奮冷めやらぬ様子でその多くが集う寮内では口々に会話に花を咲かせていた。ある者はとある選手を神と空目したと言う。またある者は自室にて自らの親に新たな二日目が生まれたと口早に話していた。


 彼女らの間を席巻する話題の中心たるリラは寮内に在籍してはいない。なので自分の存在がお話好きのお嬢様達の格好の餌となっていることを知る由も無い。いや、万が一知っていたとしても今の彼女にはそれを気にする余裕は無かった……。試合が終わってから一目散に借りているマンション目指して帰路に着いたのだが辿り着くころにはすっかり暮れになってしまっていた。おぼつかない手で鍵を探し当てて開錠。玄関、リビング、そしてやっとの思いで自室に転がり込んだその姿は額に脂汗を浮かべ、息も切れ切れとまさしく疲労困憊という言葉が相応しかった。


 「はっ……はっ……」


 彼女がこれほどまでに憔悴しているのは帰り道が長いとか、走っていたからとかの単純な理由では当然ない。原因はその背に燦然(さんぜん)と輝く翼だった。


 本来ギフトとは保有者にとって自然に獲得されるものだ。これはつまり通常人間が獲得する"片足を前に出して、その後にもう片方をさらに前に踏み出す"という動作を"歩く"と意識するだけでその行動が出来るということと同等である。さらに言い換えれば意に反して獲得したものが勝手に行動することはない。


 それなのに今、リラのギフトは主人の意思に逆らって発動されている。いつもは薬を服用することによってギフトの暴発を少なくとも一日は抑えつけられていた。しかし()を外してしまった今は薬の力を借りても制御ができていない。それでも学園からの道中、ひたすらに薬を飲み続けて自分の中でのた打ち回るギフトと格闘していた。これが今彼女が消耗し切っている理由であった。


 リラは片手に握り締めていた空のピルケースを部屋の机に叩きつけるように置き、そのまま机上に立掛けられていた写真立てが倒れてしまうほどに荒々しく引き出しを探り始めた。目的は当然空になったピルケースの中身なのだが……。いつも彼女が保管してある普段常用しているものよりも強力な薬が一切合財消え失せているのだ。


 「無い……どうして……?」


 いったい何故、誰が、とリラの脳内を様々な考えが巡る。それも長くは続かず、疲労感と期待を裏切られた喪失感からうな垂れるように壁にもたれこんでしまう。その時、机の方から小さな物音がした。力なく視線だけを向けたリラの瞳に映ったのは、一つ、ほんの一錠だが躍起になって探していた薬だった。あれほどまでに血眼で探っていた机のその上にぽつんと置かれている。見逃すはずが無い、明らかにたった今現れた(・・・・・・・)。だがそんな疑問はリラの現状に対しては些細なこと。リラは飛びつくように薬を掴み、そのまま一息に嚥下した。すると憔悴する彼女とは裏腹に先ほどから光を(たた)えていた翼も鳴りを潜めていった。釣られてリラも平静を取り戻してゆく。


 「これが一体何からできているのかご存知ですか?」


 誰もいないはずの室内。そんな中から降りかかった声に虚を突かれたリラが猫がそうするように発生源から飛び退く。彼女の双眸が捉えたのは窓から差し込む月光と、その月光を背に受けて佇立するデルフィン・ヴァーミリオンだった。いつ侵入したのやら唖然とするリラを他所にデルフィンはさらなる言葉を紡ぐ。


 「これは人が造るにはあまりに冒涜的で反逆的。どこで手に入れたのか言いなさい」


 頭は高く、威圧的で普段とは異なる強い語気に肌が粟立つのをリラは感じた。見ると彼女の手には捜し求めていた薬の入った小瓶が握られている。気圧されまいと自らも口調を崩し、居丈高に言い返す。


 「あなたに話す義理は無いわ。それが何なのかだってどうでもいい。ただ私にはそれが必要なの。返して」


 一触即発の雰囲気漂う両者であるが実物を持っているのはどちらかという事を考えてみれば先に折れるのは当然リラであった。


 「……分かった。全部話してあげる。ただし、明後日私が優勝した後にして。それならもう…………」


 言葉が進むに連れて小さくなってゆき、最後にはリラ自身にしか聞き取れなかっただろう。それでもデルフィンは全てを理解したようで小瓶を机の上にそっと置いた。


 「いいでしょう。しかしこれだけは改めて言っておきます。この薬、人が扱ってよいものではありません。あなたが教会の出で立ちであり、神の信徒として在るのならなおさら……」


 何を言いたいか真意を測りかねているのか、それとも測れている上で耳に痛いのかリラは苛立ちを隠せない様子で小瓶を手元に取り戻した。


 「あなたの言う通りだとするならば何故私を初めとする人間に神罰がくだらないのかしら。神様は全てを見ておられる。たった今の私達の事だってお見通しでしょうね。神様にはあなたとは異なる思慮がおありなのではないかと私は思っているの」


 その言葉を聞いたデルフィンはこれ以上の説得は無意味と感じたのか先ほどからの威圧するような態度を潜め始めた。リラと交わらせていた視線を外して窓の方に体を向けて最後の言葉を放った。


 「神様は神命派(あなた達)の言うような全知全能ではないと貴族派(私達)は思っていますよ」


 次にリラが瞬きをした時には既にデルフィンの姿は消え去っていた。リラも今更それに驚くことはなく、ただ孤独になった部屋を一瞥する。倒れた写真立てに気がつき元の姿勢に戻してあげた。そしてゆっくりと窓を開けて夜のベランダへと身を晒す。昼は夏の暑さをじんわりと感じさせるほどに気温が上がり始める時期ではあるが、夜はまだまだひんやりとした風が吹き抜けている。夜風に長い髪を揺らされながら誰に向けてでもなく口を開く。


 「私は神様が全知全能なんて言っていない。神様はただ見ている(・・・・)だけだから」


 それからは口を一切閉ざし、夜空を……天をしばらく仰いでいた。


 立て直した写真立てが月明かりに照らされている。そこには幼い頃のリラと現在よりも幾分か若いシスターライラックが抱き合って笑う姿が写されていた。

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