第十節
夜も更けた。私は閉まっている学園の裏口のセキュリティゲートにチャリスを掲げる。あの人の言っていた通り、ゲートは私を認識して裏口のロックを外した。後は待ち合わせ場所に行くだけ……。
体育館もセキュリティが外れている。私は躊躇うことなく中に入る。窓から差し込む月明かりだけが道しるべになる。その先に一人の人影があった。
「来てくれたんだ」
私は影に駆け寄ろうとする。
「北山椿は来ないぞ」
足を止める。明らかに彼女の声ではない、低くよく通る声。これはまるで男の人の――
「北山椿は来ないと言った。八代藤花」
「菖蒲……」
なぜ貴方がここに!? 私はただただ立ち竦むだけだった。
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「悪いが君のことをしばらく監視させてもらった。北山椿のロッカーにこっそりと手紙を入れるところもな」
そう言って俺は藤花にその手紙を見せる。
「『今夜の二十五時、体育館に来てください。セキュリティーは外れてあります。あなた自身の過去についてお話があります』か……。これ、何の話だ?」
「監視に人の手紙の盗み読み、いくらなんでもデリカシーがないなあ。女の子には色々あるんだよ」
「竜胆菜沙にも関係することか?」
減らず口を無視して質問する。図星だったのだろう。藤花が顔を歪める。
竜胆菜沙――四年前に学園を退学したとされているマーガレットさんの店でブレスレットを買い、その時に自分は独りだと話した生徒。
「なんで……あなたがその名前を……」
「この写真が全てだ」
一枚の写真を彼女に投げて寄越す。竜胆菜沙が聖具を構えて戦っているあの写真を。
「そこにある彼女の聖具、君があの日見せてくれたものと同じだった」
そう、入学初日の出来事――藤花が間違えてチャリスに格納されている聖具を教室で具現化させてしまった事である。あの時見えた大槍と竜胆菜沙の持つ大槍は全く同じ物だったのだ。
「同じギフトを持つブレイサーは多くいるが、聖具が同じブレイサーはいままで存在しない。つまり君は彼女の聖具でこの学園に入学した」
「なんでそう言えるの? 私がその初めての同じ聖具を持つブレイサーかもしれないじゃない」
震える口調で反論する藤花。
「いいや、それはない。なぜなら君はブレイサーではないからだ」
藤花の目が見開かれる。
「なん……で……」
「華香里に聞いた。君はリブラリアンの授業のときに教官から渡された訓練データを華香里とほぼ同じ速度で終わらせたそうじゃないか。身内贔屓に聞こえるかもしれないが華香里は"普通じゃない"、それと同じ速さで終わらせられる訳が無い。とりわけ君のようにギフトに対してほとんど知識がなかった生徒が……。となると答えは一つ、実際は訓練自体終わらせていなかったということになる。つまりギフトを持っていない……ああ言い忘れていた。祝福痕が無いことも華香里が見ているから俺のように花嫁でもな――」
言い終わるが早いか否か殺気を感じて飛び退く、先ほどまで立っていた場所に大槍が突き刺さる。
「止めたほうがいい。君はワルキュリアではない」
「だったら何、戦えないって? 甘く見ないで! 戦う術は知ってるんだから!」
「カルミア・エイベルに教えてもらってか?」
「くっ! このっ!」
(落ち着かせるためには無力化するしかないか……)
俺は"自分の"聖具を具現化した……。
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(剣!? どうして!?)
彼が手にする黒色の剣に驚愕する。聖具は一人のブレイサーに一つだけ発現する。それは他ならぬ菖蒲が言ったこと。私がこの聖具を使えるのは元々自分のを持っていないから。でも彼は違う。入学二日目に確かに長い手袋のような聖具を装備していた。
(とにかく彼をどうにかしてカルミアに伝えないと……)
菖蒲に向かって突きを繰り出す。でもいともたやすく避けられてしまう。そのまま彼は真っ直ぐ歩み寄ってくる。槍のリーチを維持するため私はすぐに距離をとった。
「これなら!」
突きを出し、その後横に素早く薙ぐ。点と線の攻撃、菖蒲を退けることには成功したがやはり当たらない。角度を変えても、緩急をつけても当てることが出来ない。出来てもあの剣を使って逸らされてしまう。まるで八重垣教官と彼の決闘の時と同じだ。
(反撃こそさせてないけど……違う……!)
カルミアの言葉を思い出す――。
『――稀に、勝つ気があるのか分からない奴がいる。攻撃をほとんどしてこない、そのくせ此方の攻撃は飄々と避け続ける面倒な奴らがな。結局奴らは自分のタイミングでしか行動をしない。決定的に自らが有利だと確信するまでは手を出してこない、そんな変わり者が相手の時は揺さぶりを掛ける。そのために――』
(わざと隙をつくる!)
次の瞬間突きを数回連続で出し、まるで当たらない攻撃に焦れたかのように大きく薙いだ。それに釣られてか菖蒲が今までになかった速さで懐に飛び込んできた! 大振りの横一閃!
(速い! ……けどもらった!)
私はその剣撃を掠めるようにかがんで回避し、柄を逆手に持ち勢いよく突き出した!
――ヒュッ
刹那、そんな音が聞こえた。それが何による音なのかを認識するより先に私の聖具が弾き飛ばされた……。動揺する私に菖蒲はさらに踏み込む。腕を掴まれ、足を払われる。私はまるでそうすることが自然かのように一瞬で彼に組み敷かれた。今のは……。
「かまいたち……」
笑うしかなかった。完全に忘れていた。目の前にいるのがどんな人なのかを。攻撃を誘ったのは私のほうではなく彼のほうだった。
(ギフトがあったらなあ……菖蒲……)
私は薄れていく意識の中でそう考えるのだった。
――――――――――――――――――
(未承諾だが苺さんにギフトを渡してもらっておいて正解だったな……)
心労が重なっていたのだろうか、藤花は気を失ってしまった。何にせよこれで一先ず――
「……ッ!」
藤花とは比べ物にならない遥かに強力な覇気を感じ思わず飛び退く。そこにはブロンドの髪を束ねた女性が立っていた。
「カルミア……エイベル……」
その人だった。既に聖具を具現化している。
「その子を放してもらおうか、少年」
そう言いつつこちらに歩み寄る。彼女の胸の丈ほどまであるだろうか、両刃の巨大な戦斧を片手で軽々と持っている。
国の代表を務めていた女だぞ、真っ当に戦って敵うわけが無い。だが逃げようにも藤花を置いて行くわけには行かない。
(あれを……使うか?)
それは最後の手段だった。相手が誰だろうと使いたく無い。
どうする……。こうしている間にもゆっくりとカルミアは近づいてくる。
「待て」
ただ一言、大きな声でもない、だがカルミアの歩みを止めるだけの圧力があった。俺もカルミアも声がしたほうを向く。声の主はスーツに身を包んだショートカットの女性だった。
「……小御門譲葉…………」
「小御門先生……」
刀を携えた先生がカルミアと対峙しながら俺に語りかける。
「話は白羽学園長に聞いてある。さっさと八代を連れて行け」
「分かりました。先生は?」
「聞くまでもないだろう」
カルミアを見据えたままの彼女のその言葉を聴き俺は藤花を抱えて立ち上がり、出口へ向かってひた走った。
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「菖蒲ちゃん!」
「兄さん!」
学園の外では小百合さんと華香里が待っていた。
「藤花をお願いします。俺はもう一度体育館へ戻ります」
返事も聞かずに来た道を戻る。
決着は既についていた。地に膝をついているカルミアとそれを見下ろす小御門先生。どちらが下したかなど一目見れば明らかだった。
「……さらに強くなったな」
「違う、お前が弱くなっただけだ。国選のときはこんなものではなかっただろう」
「……ふん。時が経てば人も変わるものだ。なあ少年」
向けられる視線に俺は何も返すことは無かった。




