発端
ある日、自らを神の御使いだと名乗る女が現れた。不思議なことにその者の素性も経歴も真っ白の女だった。曰く神様からの贈り物がある……と。当然誰も信じるわけが無い、科学の進歩目覚しい世界にとって神様とは、最早壁に飾られる絵画のための存在でしかなかった。
しかし、女は証明して見せた。到底人では実現できない、科学によって裏打ちされた法則を捻じ曲げる現象を引き起こすことで……。曰くこの力こそが神様からの "贈り物"だと。この"受肉"以来、神は額縁から抜け出した。姿は見えない、だけど必ずいるものとして――
(神様はなんてことをしてくれたんだ……)
心の中でそう毒を吐く少年がいた。歳は十を少し過ぎたくらいだろうか、身なりは高級そうな服を着ているがいくつもの染みができ、それが真新しいものであることも窺える。おまけに所々が破れておりその奥に傷を負っていることまで分かる。
林を駆け抜ける彼の背後には炎上する大きな館が見える。あそこから逃げてきたのだろうか、彼は振り返ることなくひたすらに走る……が。
「うぐっ……」
少年は足を止める。先ほどまで館を包んでいたはずの炎が意思を持ったかのように彼を取り囲んだのだ。
「逃げられると思いましたか?」
炎の中から人が姿を見せる。軍の戦闘服のようなものを身に付け、顔はマスクで覆っている。声からかろうじて女性であることが分かるだけだ。
女はうろたえる少年に素早く走り寄りその体を押し倒しボロボロの服を剥ぎ取る。今まで走り続けた少年に抵抗する力はまともに残ってはいなかった。
「あった、祝福痕……」
そう呟く女は少年に手を伸ばしてゆき、少年は観念したかのように目を瞑る……。だがその手が彼に届くことは無かった。光が瞬いたかと思うと別の女性の声がする。
「大丈夫ですよ……」
目を開く少年に映ったのはまたも手を伸ばす女だったが、今度は彼からも手を伸ばし返すことができる柔らかなものだった。
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「――であるので、この春アングレカム学園の一員となる皆様個人個人の成長を願い――」
どの教育機関でも入学式の祝辞というのは長いものだ。俺だけじゃない、皆思ってるだろう。
(いや……、ここに入学する人の中ではそっちのほうがマイナーかもな)
そんな事を考えつつも少し横の子らに目を移す。熱心に聞き入る生徒、目を輝かせている生徒ばかりだ。
「――です。以上で学園長としての私から皆様へ送る祝辞とさせていただきます。頑張ってくださいね乙女達……と男子一名」
その一言を皮切りに心なしか俺に向けられる視線が増えた気がする。
(余計なことをしないでください、女神様……)
壇上で微笑みかける女神に対しても、様々な視線に対しても、俺は苦笑いで返す他なかった。
あの日俺に救いの手を差し伸べた女神は少しだけいたずら好きだった……。