タイム・トラベル
著作者:折穂 狸緒
着地点を見失うとはまさにこの事。
今年もあと三十分ですね、よいお年を!
あなたのことを夢に見て、
その瞳さえ、とても懐かしい。
□
自分が少しだけ特異な体質だってことはずいぶん前に気がついていた。
例えばそれは自分の部屋で、
時計の秒針が同じ場所を行ったり来たりしているのを見た。
けれどそれは数分したらまた元通りに進み始める。
例えばそれは外を出歩いているとき、
車道を走る車が進もうとしているのに何か、見えない大きな手で数メートル手前に戻されて再び走る、この繰り返しを見た。
それはまるでビデオで何度も同じ場所で巻き戻しをかけているみたいだった。
例えばそれは学校の教室で、
生徒の一人が何か発言する。
「私はこの意見に反対です、何故なら……」
しばらくぼんやりと聞き流していると違和感に気づく。
「……からです。これが主張となっているからです。これが主張となっているからです。これが主張となっ――」
表情は至って真顔、しかもその子は授業中にこんなふざけ方をするような人柄ではない。真剣に言ってるのならばこのクラスにはいないだろう。どこか、もっとリラクゼーションのできる病院の中だろう。
ちなみにクラスメイト達は全くの無反応だった。
例えばそれは家の食卓で、
夕ご飯を食べていると、一向に空腹が満たされなかった。
箸は米を掬って僕の口元へ運んでくれるのに口に入るときにふっと消える。そしてまた箸で米を掬う。
家族は無反応。よくよく観察すると家族も同様、料理が全く減っていない。
時計の秒針も短い距離を行ったり来たりしていた。
ここまで例を挙げてわかるように、どうやら僕は時間を逆走する体質があるのだろう。
特技とか超能力のたぐいではない。だって自在には扱えないから。
この体質で別に困ったことはなかった。同じ場面が繰り返される事が嫌ではなかったし、むしろ人々の滑稽な動きが面白かった。
繰り返される時間の回数は大体五回から十回位。幅は十秒から一分くらい。
気がつくと繰り返される事が多々ある。
前兆は少しだけ空間が揺らぐ事だろうか。気付かないことが多い。
一番最後の動きを次の元通りになった時間に反映しているせいか、初めて時間が繰り返された時、パニックのあまり叫んでしまい、変な目で見られたのはまた別の話。
もっとも繰り返されるスパンは把握できないから派手なことはできないが。
この事について誰にも話したことはなかった。親にさえも。
信用されないと思ったから。第一、こんなふざけた話信じられるはずがない。僕だって友人がそんな話を切り出してきたら信じないだろう。
だからこのまま、死ぬまで誰にも隠すつもりだ。
あの日が来るまでは。
□
夢は幻だと言うけれど、
でもわかる、貴方こそ、
愛してくれる、あの夢と同じに。
□
私には変な能力がある。
念力とか瞬間移動とか、そんな派手な力じゃないんだけれど。
単刀直入に言うと、予知夢ってヤツ。
夜寝て、夢見て、起きたらその通り! みたいな感じ?
要は一日を二回繰り返してるって事。まあ細かい場面はぼやけて忘れちゃうけど、大まかな流れは絶対一緒。
視点は私で、私は何もしなくても体は勝手に動く。会話も何も言ってないのに勝手に話は進んでいく。まるでテレビの前に座らされてドラマを見ている感覚と同じ。
生まれてきてから、物心をつくときから夢ずっと明日のことだった。
転校すること、新しく猫を飼うこと、友達と喧嘩すること、……それから、お母さんが死ぬこと。
全部全部が二番煎じだった。感動も薄いし、何より何でも受け入れられるようになってしまっていた。
でも、それでも私は人生に悲観して死んだりとか、そんなのしようとは思わない。
おおざっぱな一日はわかるけれど、細かいところはわからない。その細かいところにこそ私の楽しみはあるようになったの。
道端に咲いている花が綺麗だったとか、虹を見たとか、百円を拾ったとか、些細なこと。
その小さな事を発見する度に嗚呼、私は生きてるって実感するの。
ほんの少しだけ人生が色づくの。
けれど、そんな日常も急に幕を閉じた。
□
ある日、夢を見た。とても怖い夢。
それは私が死ぬ夢。
ちょうど夕方、目の前に大きなトラックが突っ込んできて死ぬんだ。
こんなことすらこの能力は教えてくれる。本当に厄介だ。
怖い。家を出たくない。
けれど、無情にも私の足は意識とは反して学校へと出歩くのだった。
夢での事実を曲げてはいけない。それは私が一番よくわかっていることだった。
それに、どう足掻いたって現実は変わらない。
とぼとぼと通学路を歩く。学校まで大体徒歩で十五分と言ったところ。
帰り道で死ぬんだ。
今日一日、悔いの無いようにすごそう。嗚呼、でも、死ぬのは怖いなぁ。
もっといろんな事がしたかった。彼氏とか、作りたかったなぁ。
日曜日にはかわいい服着てデートに行って、映画とか、見に行くのかな、それで、帰りは手とか繋いじゃって、それで、それで……。
仕事ってどんな感じなんだろう。本当に厳しいのかな。一回は働いてみたかったな。
駄目だ。やりたいことが多すぎる。
こんな中死ぬなんて。早すぎる。嫌だ。死にたくないよぉ……。
あふれそうになる涙をぬぐい、歩を速める。
本当は、とってもとっても嫌だけど。
これも運命なのかな。
そう、運命。これが私の定め。
逆らっちゃいけない、戸惑っちゃいけない。
ただ無感情に、全部受け入れるの。
□
おかしい。
今日はなんだか変だ。
朝ご飯を食べているとき、学校に向かうとき。
いつも以上に時間のバグが長い。
長くて十回位だったはずなのに軽く二十回はループしている。二倍だ。しかも長い時間を、だ。いつもよりも長い時間を何度も逆走している。
おかげで体感時間が変になりそうだ。
いや、もうなってる。
何かの前兆なのか、退屈だ。
……
普通に何事も無く一日が終わりそうだ。
一体どういうことなんだ! 一体何のためにこんなに時間が繰り返されるんだ……!
もしかして、体質が今になってグレードアップしたって事なんだろうか。なんでこんな中途半端な時期に……? 一月だぞ。
まぁ、時間がいつもよりも長くループされたおかげで多く本も読めたことだし良しとするか。暇つぶしの記憶は消えないから少しだけ有意義だった。
帰宅路。目の前を女の子が歩いてる。
この子は何度も見たことのある。帰り道に何度か見るあの子。
さらさらのロングヘアは手入れが行き届いていてつやつやと光っている。
一言で言えば美しい。
いつも物憂げで、つまらなさそうな面をぶら下げているのが少しだけ気に掛かる。
確か名前は……。出てこない。まぁクラスも同じじゃ無いしな。
彼女は商店街へ入っていた。なんとなく後をついて行ってしまう。そんな気分だった。 意外とここは近道になるらしい事がわかった。
ここを通ればいつもより五分ばかり短くなる。ふうん、明日からここを通ろう。
中程まで進んだとき、異変は起こった。
ぐらぐらと大きく空間が揺れる。
時間が繰り返される前兆だ。
この感覚はどうしても慣れない。またここで足止めか。
別に進んでも構わないんだけど彼女のことが気がかりだ。
あまりにも悲しそうな顔をしていたから。このタイムループが終わったら声でもかけてみよう。
彼女がとことこと歩いて行く。次の角を曲がると商店街の終わりだ。
瞬間。
衝撃。
何が起こっているかわからなかった。
彼女の姿が消え、
代わりに、
大型トラックの姿が僕の目の前に広がっていた。
「……え?」
彼女は遙か彼方に吹き飛ばれていた。
ぴくりとも動かない。
ああ、そうか。
これが死なのか。
気がつくと商店街を歩いていた。
目の前にはあの子だ。
とぼとぼと悲しそうな足取りで前を歩く。見慣れた景色だ。
ああ、あの角は。
「行っちゃ駄目だ!」
思わず叫んだ。
「えっ」
彼女が振り返る。ふわりと髪が舞う。
刹那、背後を通り過ぎる大きな鉄の塊。
彼女がみるみる青ざめた。
「今のって……」
彼女がつかつかとこちらに歩いてくる。どこか起こっているようにも見える。
「勝手に変えないでよ!」
パァンと乾いた音。
平手打ちされたんだ。
「私の運命よ、なに勝手に変えてるのよ!!」
彼女はぽかぽかと僕を殴りつける。
「せっかく! 決心が付いたのに!」
うっすらと涙。はっきり言って助けてやったのにどうしてこんな仕打ちを受けなきゃいけないんだ。
「これが運命なのに!」
「運命なら変えられるだろ」
少しだけ、ほんの少しだけ苛ついたのだ。運命だった簡単に口走る彼女が。
「少なくとも、僕は変えられる」
そう言って彼女を抱きしめた。
大泣きしていたからだ。
「僕が君を守る」
彼女を落ち着かせるにはそれしか無いと思った。
決して下心からでは無い。ただ単純に彼女を守りたいと思ったんだ。
「で、でもっ!」
甲高い声が耳元で聞こえる。
「きっとできない、私の夢は本当になるんだから」
その時、時間が巻き戻った。
僕の目の前をある彼女。泣いてはいなかった。とぼとぼと悲しい足取りで歩いている。
あの角が見えてきた。忌々しい、トラックが飛び出す角だ。
「待て!」
彼女を制す。彼女は振り返らない。
……おかしい。さっきは振り向いたのに。
その瞬間、彼女は吹き飛ばされた。
そして時間が戻った。
僕の考えだと、彼女は「夢は本当になる」と言った。
彼女は夢を見て、それが本当に起こると思いこんでいるのだろうか。
何度か正夢を見るとそういう風に思い込んでしまうものなのか。それを変えさせる?
いいや時間が無い。もうこのタイムループの間になんとか彼女を引き留めれば良いんだ。
最長二十回。二十回のうち、最初轢かれたのを一回、と考えるとあと十七回だ。
それだけ止めれば良いだけの話。
「……よし」
自身の頬をたたいて気合いを入れる。それくらい、お安いご用だ。
何よりも彼女の笑顔が見たいと思ったからだ。
四回目、五回目………十五回目まで成功した。
呼びかけでの反応が鈍かったので物理的に制したのが功を奏した。
手を引っ張る、羽交い締めにする、等々。
言い訳をさせてほしい。別に違うんだそういうつもりじゃ無いんだ。
そうでもしないと彼女が止まってくれないから。
段々彼女の五感が失われているような気がする。十五回目に引き留めたとき、目の焦点が合っていなくて僕が何を言っても無反応だった。
大丈夫なんだろうか? 力も段々強くなっている気もする。
十六回目、これで最後にしてもらいたい。
彼女はふらふらと僕の前を歩く。今にも倒れそうな歩き方だ。
あの角に差し掛かる。彼女の一歩。僕の三歩。
「待って!」
後ろから抱きしめる。これが一番足止めしやすい。
「……え」
彼女は声を震わせる。こんな反応久しぶりだ。いや、正確には十四回ぶりだ。
「何……してるの」
わなわなと声を震わせる。その目の前を通り過ぎるトラック。
何秒、何分たっても時間は元に戻らない。
勝った。僕は運命とやらに勝ったのだ。
「守れた。もう大丈夫。君は死なない」
「……? 何言って?」
抱きしめたまま僕は心の中でガッツポーズを決める。
「えぇと……もし良かったら」
救い終わったら言おうと思った言葉。これから彼女と仲良くなる言葉。
「僕と一緒に」
僕は今の今まで気がつかなかった。
彼女が撥ねられるであろう位置から動いていないこと。
後ろからまた新たなトラックが迫っていること。
彼女が強く強く僕を抱きしめていること。
彼女が笑っていること。
「ほらね、夢は叶うんだよ」
その声はどこか悲しそうで、
とても楽しそうだった。