3話
4話を移設・加筆
随分日が傾き、北向きの斜面は対面の照り返しで明るくはあるが、幾分肌寒い。
土盛の両親の墓の側にそれほど深くない穴を掘り、思わずくすねた諸々物を納めた。
墓には、萎びた野花が捧げられていたが、それらを傍らに集め、新たな野花を捧げる。
少し空腹を感じるが、ひもじいとは思わない。
野良仕事で、汚れた石鋤の土を掃い、セルジオは小屋へと足を向けた。
・・・・
セルジオは、いつになく気疲れした。
暗がりの坂道を這うように逃げ帰ったのも、初めての人々と話したのも数時間前の話で、気が付くと質素な藁のベッドにつっぷし、微睡みの世界へと沈んでゆく。
そして、懐かしい夢をみた。
・・・・
「セルジオ・・・・セルジオ?! 早く起きなさい!」
セルジオの母の声がする。
「今日は父さんと、ウサギの罠を見に行くって約束してたでしょ?」
「・・・・そ、そうだった!」
寝ぼけていて、すっかり忘れていた。
セルジオは、ベッドから飛び起き、既に出かけようとしている父の背を追った。
石造りの立派な家の玄関で、母が手を振り見送っている。
「父さんの言う事ちゃんと聞くのよ?!」
「わかってる!」
セルジオが振り向き、手を振りながら母さんに応える。
とても大きくみえる父の背中。
「いくぞ・・・・」
口数は少ないが、弓と矢筒を背負った逞しい父の背中は、いつ見ても頼りがいがある。
家から出て間もないはずなのに、既に深い森の中に入っていた。
人が罠に気が付くように、色の付いた布が、木の枝に巻かれている。
木の実を使った罠の側に、石で潰された息絶えたウサギが横たわっていた。
死後硬直で手足が曲がらず、棒の様に固まった獲物の姿に、セルジオ少し怯む。
自分の手が随分小さい。
ヒュン!
矢の射られる音に振り返ると、父の視線の先には、胴を射抜かれたウサギが鮮血を撒き散らしながらのたうっている。
「セルジオ、血抜きをして皮を剥いでみるか?」
背後からセルジオを覆う様に手が回され、持たされた短刀で息のあるウサギの首を描き切る。
父の手が添えられた短刀が、首から腹に入って行きみるみる皮を外されていく。
ウサギはまだ暖かく首から零れる血糊は既に止まっている。
深い茶色の皮がべロリと剥がされ、ピクピクと時折動く残った小動物の肉はまるで魔物の様に見えた。
父は、ウサギを木に吊るし、腸を取り出す。
心臓、肝臓、腸・・・・胆嚢は破くなと、短刀の先で小さな臓器を切り分け見せてくる。
小さな宝石の様に輝く臓器。
それに草の茎を刺し、先を舐めろと言う。
苦いので嫌だと言う・・・・何故知っているのか不思議だが既に知っている自分に戸惑う。
はにかむ様に笑う父のやさしい笑顔・・・・
傍らの、死んで時間のたったウサギの姿が気になった。
・・・・
家の賄いを手伝ってくれる人が次々と病気で倒れていく。
父がいつもより厳しい顔つきで、村長と話している。
母は泣いているが、毅然と父の傍らで村長を見ている。
父と村長は、大きな街へ誰かを呼びに行く算段をしていた・・・・
『あぁ、流行り病が来た・・・・』
前にセルジオの胸に空いた、穴がジュクジュクと開く感じがする。
酷く悲しいく辛い気持ちが胸いっぱいに広がって行く。
・・・・
セルジオは、いつの間にか家の中に居た。
父と母が、ベットに寝ている。
その姿は、あのウサギの様に弱弱しく、逞しかった父の姿・優しかった母の姿はどこにもなかった。
時々耳に届くうめき声。
父の目は落ち窪み、半開きの眼球は乾いて濁っていた。
「父さん・・・・母さん・・・・」
二人の手を取ろうとするが、枯れ枝の様に細く干乾びた手は予想より重く握り返す力もない。
ヒュゥヒュゥと掠れた呼気。
「・・・・セル・・・・」
母が何かをいっている。
「・・・・生きなさい・・・・」
母はそう言って息をしなくなった。
父も既に息をしていない。
セルジオは声を殺して泣いていた。
これはもう終わった事だ・・・・俺は夢を見ている。
・・・・
小屋の壁の隙間から、朝の光が射す。
セルジオは、涙と鼻水でガビガビになった顔を上げ、夢を反芻する。
「・・・・久々に、夢を見たよ。
父さんと母さんの元気な姿を・・・・少しでも見れて良かった・・・・」
セルジオは、この時気が付かなかった。
埋めたはずの硬貨の塊と、腕輪が彼のテーブルの上に置かれている事に・・・・
『・・・・!?』
一瞬視界に入った金貨と腕輪や宝石類。
それを、これぞ二度見の王道と言わしめる挙動でセルジオはガン見した。
埋める前よりも奇麗に整えられたそれらは、足にガタのある粗末な木のテーブルの上に、無造作に置かれているのだ。
いやな汗が寝起きの首筋を伝う。
物欲に捕らわれ無意識に持ち帰ったのか? いや確かに浅かったといえ、地面に肘より深い穴を穿ち丁寧に納め埋め戻したはずだ。
昨晩の記憶である以上、呆けた老人ではないセルジオにはしっかり埋め戻し野草を掲げた鮮明なイメージが眼前に蘇る。
深い朝靄の立ち込める小屋の外に視線を走らせたセルジオに嫌な妄想が沸き上がる。
『・・・・両親と遺品の墓が荒らされた?!』
そう思った途端にセルジオの眠気は消し飛び、遺品の全てをシャツに包み石鋤を抱え墓所へと走り出していた。
雲が下りてきているのか見通しが極端に悪い、突き出した石鋤の先がかすむ程の霧。
手足の産毛や髪の毛に露が下りる肌寒い段々畑を最短の行程で走り抜き、墓所の前に辿り着いた。
「・・・・何が・・・・どうなってるんだ?」
セルジオは埋め戻した記憶そのままの状態である塚の前で呆然とするしかない。
懐に有る埋めたはずの遺品が、まだ人肌に温もらず冷たい感触を伝えてくる。
不安になったセルシオは墓前で黙祷し、『何かの手違いで遺品が家に残っていた、申し訳ありません』と心の中で呟き、再び塚を掘り起こす。
そして記憶通り、肘より少し深い所に簡単な藁で編んだ筵で包んだ物が顔をだした。
気味が悪い、荒らされた形跡が全くないのだ。
筵は破れておらず、中に何かが包まれているのであろう膨らみがある。
遺品を傷つけないよう、慎重に周辺の土を払い再び地表へ持ち出す。
・・・・簀巻きになった筵を解く・・・・
パサリ・・・・
中空であったのか筵の膨らみは潰れ、形を失う。
そこには遺品にこびり付いていた塵芥が筵を汚しているのみで、遺品の姿はない。
セルジオは生唾を飲み込み、自分の記憶を浚う。
『確かに筵に包み、土中に収めた。土中に収める時の筵の重さも思い出せる。絶対に目が眩んで遺品を漁ったわけじゃない!!』心の中で叫んだ。
気を取り直し筵の土を払い退け、綺麗な面を表にすると懐から取り出した遺品類を丁寧に包んだ。
「今度は、もう少し深く・・・・帰りにも持ち物には注意してっと・・・・」
石鋤で腰の高さまで掘り下げた竪穴の底に、宝石や金貨の包まれた筵を横たえ、野草の花を手向ける。
『どうか、どうか心安らかに・・・・』竪穴の上から黙祷し、心の中で念ずる。
一頻り黙とうした後、丁寧に土を被せ額の汗を拭うと、朝日が谷合の空に幾つもの光の帯を作り出していた。
「よし! 懐の中には何もないな。 石鋤の土も払った。 墓前の野花もいい感じだな」
ようやく気の晴れたセルシオが小屋へと戻る。
早起きの家畜がセルジオに気が付き、鳴き声を上げて挨拶をしてくる。
「あぁ分かったよ、水桶の水は今から汲みに行くからさぁ」
セルジオは円らな瞳のヤギや羊に手を振り、小屋の戸を開けると、凍り付いたように立ち竦んでしまった。




