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いつもダンジョンに居ます  作者: ねむねむぴよ
第二部 二章 生きたダンジョン
236/256

204話


 深海の魔物、アビス。


 酸素も少なく光も届かない深海に住まうアビスの生態を知る者はいないと言っていい。

 しかしその存在を知る者は多く、月の光の無い外洋を航行する商船や軍艦がアビスの餌食と成り一握りの生存者がその話を伝えていた。


 真っ暗な海から盛り上がる氷山の如き巨躯。


 その体に天体を瞬く星を写し、全てを飲み込む。


 魔法も火も聞かない外洋の化け物が、アビスだった。



 ・・・・


 アビスが自我を得たのはいつの頃だろうか。


 刺すような冷たさのマリンスノーの振る海の底、時折天から恵まれる大型生物の死骸。

 アビスは鋭い嗅覚、体の周辺を覆う粘膜の僅かな刺激を元に、誰よりも早く死骸に取り付きその肉をんできた。

 腐肉を食む彼の傍らで、緩慢に動く蟹や海老、ヒトデや虫の如き大小様々な生物がお零れに預かる。

 彼には目は無く、有象無象の蠢く気配を全身で感じながら、腐肉毎それらも喰らう。


 アビスのライバルは、兄弟姉妹達である。


 最初に己を認識したのは、生暖かい肉に囲まれた臓物の中であった。

 激しい飢餓感。

 隙間なく覆われた被膜を食い破り、近くの臓物に歯を立てる。


 柔らかく暖かい臓物が、己を満たす。


 周りには、己と同じようなものが同じように贄を食んでいる。


 アビスは、ひたすら臓物を食む。他の個体が眠る間も、己の贄を奪われまいとひたすら食んだ。


 いつの頃からか、己の躯体が他の個体より一回り大きく成っているのに気が付いた。


 臓物は随分少なく成り、まだ歯の立たない骨格に齧り付く矮小な、己のミニチアが気に障る。

 アビスはそんな矮小な兄弟毎内臓を食む。


 ” 痛い ”

 初めて感じる感触。

 触手を伸ばし触れると、己が身に群がり歯を立てる奴等がいる。


 ” 不快 ”

 再び感じる初めての感情。

 そう感じるよりも遙かに強い飢餓感がアビスを突き動かす。


 纏わり付く同輩を手燭で貫き、再び食む。

 そんな日々が不意に終わりを告げる。


 暖かった臓物に囲まれた世界が、冷たく成ってゆく。

 固く筋張った肉を外側へと喰い進んでいると、冷気を纏う塩辛い水が流れ込んでくる。


 アビスの回りには、彼を避けるように喰い進む同輩の気配がある。

 そんな物には構わず、彼は海中に躍り出た。


 刺すような冷たい世界。

 束縛するものは何もない静かな世界。

 アビスは自由を感じた。


 そして、古巣を振り返る。

 まだまだ食える肉が有る古巣。


 しかし、今まで食んでいた肉に取り付く、巨大な生物の気配。


 ” 怖い ”

 その気配に感じたものは、自己生存の危機だった。


 自分を育んだ肉の塊に後ろ髪を引かれるが、己の直感を信じ全力で遠ざかる。


 アビスは全身で感じた。


 巨大なガザミ。

 大小様々なハサミを使い、拉げた腐肉を喰らう魔物。

 ” 危ない ”

 ただ、そう感じる。


 然程美味いと感じない同輩が、己と同じように腐肉から飛び出すのを感じる。


 バチン!


 衝撃波を伴うハサミによる強撃。

 同輩は水中で両断される。


 何とかハサミをすり抜けた者も、その衝撃を全身で受け、痺れたように海中を漂う。


 ガザミはそれを器用にハサミで捉え、口へと運んでゆく。


 ゴリゴリゴリゴリ・・・・


 振動が全てを噛み砕く強靭な顎の存在を伝えてきた。



 ・・・・


 最初に飛び出したアビスは幸運にも難を逃れる事ができた。

 本能に従い触手を帆の様に張り、海流を捉え流されてゆく。


 水の流れに乗って漂う、同胞の体液の匂い。


 それを辿るように通り過ぎる、巨大な生物達。

 胡乱な意識の下、あの場はもう安全ではないと考える。


 触手に時折触れる生き物を素早くとらえ食む。


 新鮮な体液と肉は、” 美味い ”と感じる。


 何処へ向かうのか? 何をするのか? そんな思考は無い。

 ただ流され漂う。

 そんな日々が長く続いた。


 ・・・・


 ある時、己ではよく分らないが触手の数が増えているのを感じる。

 周りの水が随分暖かい。

 いつしか、何故か暖かい水が漂う海底に流れ着いた。


 嘗て恐怖を感じた、生き物が居る。


 地面から噴き出す熱水の周辺で、周囲にこびり付く生き物を食んでいる。

 何故か恐怖を感じない。


 触手を操り、海中を漂う帆船の如く、静かに獲物に忍び寄る。


 手足を動かす生き物を感じる。

 触手が届く距離だと感じたと同時に、ガザミに纏わりついた。


 固い外皮。

 噛み砕けるとは思わなかったが、歯を立てる。

 

 しかしその外皮は意外と脆く、難なく噛み砕けた。


 ” 美味い ”

 既にアビスの躯体は、巨大なガザミを捻じ伏せる力を得ていた。


 ・・・・


 ” 物足りない ”

 海底火山の畔でアビスは大物を待ち伏せていた。

 岩肌にこびり付く生き物では、空腹が満たされない。


 いくら食べても、殻ばかりで幾ばくも空腹が満たされない。


 そんな日々が永遠と続くかと思っていたが、変化が訪れた。


 海底が揺れる。


 熱水が大量に吹き出す。

 今では慣れた、毒を含む水が轟々と吹き出す。


 高熱で炙られた小物の煮える臭いが周囲に充満する。


 アビスの本能が囁く ” ここも安全ではない ”と。


 アビスは再び触手を大きく広げ、上昇する海流に漂う。

 前の様な後ろ髪を引かれる様な気持ちは湧かない。


 天へ向かって昇って行く。


 まだ見ぬ世界。

 アビスには、更なる” 美味い ”を考え喜んだ。


 生き物の気配の多く感じる場所へと流れつくのは然程掛からなかった。


 触手を伸ばせば、美味い物がいくらでも手に入る。

 時折振ってくる肉の塊も美味い。


 アビスはいつしか、美味い物は上に有る・・・・そう思う様になるのに時間は掛からなかった。


 ・・・・


 気が付くと、アビスは天上にいた。

 不思議な感触がする。

 慣れ親しんだ水が、そこから上に無い。


 素早く動く魚。 ” 美味い ”

 歯向かってくる水龍。 ” 美味い ”

 自分の考えていたことが間違っていなかったと確認する。


 そして一番美味いは、何故か水の上を走ってゆく何かに乗っている。


 アビスはそれが来るのをとても楽しみにするようになった。


 ・・・・


 アビスは、美味いを探す様になった。

 待っても美味いが来なくなった。


 美味いが居る場所が変わったのかもしれない。


 なので美味いの場所を探すことにした。


 そんな時、近くの浅い海の底から美味いの匂いがした。


 アビスは身を震わせ、臭いの場所へ泳ぐ。

 彼は改めて、己がこれ程早く泳げるのだと驚くが、そんなことはどうでも良い。


 早くいかなければ。

 美味いが居なくなる。

 誰かに取られるのは気に入らない。

 早く・・・早く・・・・


 そして、アビスはその場に辿り着いた。


 ・・・・


 やはり、匂いに誘われた者はアビスだけではなかった。


 海底にある、不思議な四角い岩の集まりの一か所から、得も言われぬ美味いの匂いがする。


 同輩や未だ知らないウネウネ蠢く生き物が獲物を狙っている。


 ” 美味いは自分の物 ”

 アビスが声に成らない気配を、全身で醸す。


 その気配で小物は逃げ出したが、殺意を向きだして迫る魔物も少なくない。


 アビスは周りの様子を窺がう。


 海底には大量に魔物の死骸が積み上がっている。

 アビスにとっては皆、小物であった。


 偉そうに牙を剥く、異形の生き物。

 共食いの様に争うそれらは、互いの体に噛みつくが、お互いに傷を付ける事が出来ないようだ。


 そんな彼等を捉え、噛み砕く。

 いろんな物が歯茎に突き刺さるが気にせず食む。


 ” 食べにくい ”


 美味くはあるが、アビスの知る美味いにはかなわない。


 アビスいつしか、その一帯の主となっていた。


 臭いに誘われてやってくる魔物。

 それを捉えては喰らう。


 しかし、美味いは食えない。 やってこない。


 四角い石の場所からは、確かに美味いの匂いがする。

 だから、なかなか離れられない。


 待てど暮らせどお預けなのだ。


 ある時意を決してその場から離れて見たものの、美味いの匂いが薄れていく事に耐えられず、直ぐに戻ってしまった。


 そして三度、アビスの周辺で変化が起きた。


 美味いの匂いのする四角い岩から、今までに感じた事の無い気配を感じた。


 何物も己を縛る事が無かった海中で、身動きが取れない。


 ピリピリとした感覚が全身を覆う。


 何かが体を包み込み、アビスは眠りに付くのを感じた。


 ・・・・


 しらない海?

 海ではない、水の中。


 知らない生き物が、辺りを漂う。

 濃厚な美味いの匂いを漂わせる生き物。


 捉えて食べると、中に美味いが詰まっている。


 アビスは喜んだ。


 美味いじゃないが、美味いが一杯。


 彼の潜む水の中に、大量に泳いでいる。


 ” 安全でなくてもここが自分の場所 ”

 アビスは何故かそう感じた。


 ・・・・


 どれくらい美味いの詰まった生き物を喰らい続けただろう。

 何処からともなく流れ込んでくる美味いの詰まった生き物。

 ときおり死んだ美味いも流れてくる。

 とにかく、ここは良い場所だ。


 しかし、時折美味いを食べたくなる。

 そして長らくその生き物を喰らっていたが、ついに美味いの匂いを強くかんじた。


 美味いの詰まった生き物が一気に泳いでいく。


 アビスも気がそぞろになり、それに負けじと泳いでいく。


 美味いの詰まった生き物を食みながら後を追う。


 天上の世界に時折触手を出す。


 ” 美味いがいた! ”


 アビスは歓喜に身を震わせ、何かに感謝した。

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