181話
謁見の間、ステンドグラスの明り取りから昼間の日差しが射しこむ光がくすんで感じる。
セルジオ達は、玉座の傍らに佇む一際豪華な甲冑を注視していた。
当初、甲冑の長剣は抜かれていなかった。
だが、今は長剣を地に突きその柄を両手で押さえる佇んでいる。
何時動いたのか分らない。
ガシャ・・・・
再び、金属音が響く。
何かが変わった・・・・
彼らは直ぐに気付く、そう、居並んだ甲冑の頭が、全てこちらを向いているのだ。
瘴気が揺らいでいる。
甲冑頭部の開口部から、瘴気が呼気の様に出入りしていた。
「魔力の胎動を感じます。 何が起きるか読めません!」
カジミールが警告を発し、詠唱を始める。
トランス状態の彼の瞼はヒクヒクと動き、周囲の変化を捉えながらも記憶した魔術の術式を綴る。
『反射・追撃・火炎・障壁』
カジミールは自身の正面に目に見えない魔力の複合障壁を編み出し不意打ちに備えた。
甲冑が振れて見える。
皆の頭の中に、幽鬼の声が響く。
その声は底冷えのする、冷たく低く生気の感じられない無機質な物だった。
『 戦時下に、先ぶれもなく玉座の間に押し入るとは何事ぞ、賊共に告ぐ、如何なる者差し金であるか? 答えねば切る 』
聞きなれない言葉が、直接頭蓋に響く。
しかし、その意味は不思議と理解できた。
カジミールがセルジオに話しかける。
「ゴダール語のようです、少しは話せますので。
交渉を試みて良いでしょうか?」
セルジオは頷く。
「ありがとうございます。ゴダールの歴史は少々過去に調べた事もありますれば・・・・
何を聞きだせるか・・・・
しかし、決裂すれば即襲い掛かってくるやも、ご注意を」
早口で告げ、カジミールがセルジオの半歩前に出た。
『我々はゴートフィッシュ縁の者である。
先の大戦で勇士を見せしゴダール王国、国王に謁見したく参じた。
戦時は過ぎ去り日の出来事、まずは城下の様子をご覧頂き、判断されたし』
カジミールは少しどころか、流暢なゴダール語を披露した。
『ゴートフィッシュ?
融和を唱える腰抜けの一族がいまさら何をしにきた。
我々石斧の士族と袂を分かち、引きこもる輩に用はない。
石鋤の士族であるかも疑わしい。
次は無い、どこの手の者か? 答えよ』
セルジオ達は、音は聞こえないにも関わらず、ざわつく気配に視線を向けた。
此方を向く甲冑に変化があった。
謁見の間に隊列を組む甲冑の手に、いつの間にか剣が握られているのだ。
セルジオ達はカジミールの交渉を息を呑み見守るしかできない。
『ゴダール王に嫁いだ妃は石鋤の士族であったはず。
それは既に力を失ったと申されるか?』
カジミールが食い下がる。
『・・・・』
無言の間に躊躇いが感じ取れる。
『今考えれば、石鎌の士族との共闘も妃の差し金・・・・
このような末期に現れし其方等の動向、解せぬ・・・・
姦計ではない証拠を提示せよ!』
一瞬の停滞が、怒りに塗り替えられる。
話がおかしな方向へ流れ始めるのを感じたカジミールの額に汗が浮かぶ。
『待たれよ、石鋤の当代当主が参じても、王への取り継ぎもすら叶わぬのか?』
この場での戦闘を回避すべく、ギリギリまで食い下がる。
『・・・・』
声なき者の注意がセルジオに向く。
『確かに石鋤の士族の縁者であることは認めよう。 しかし、当代当主は妃の姉である。
謀ったな・・・・痴れ者め、死んで悔い改めよ!』
些細な齟齬。
声の主は、嘗ての時代のまま情報の更新はなされていない。
そして変化を、滅んだ事を受け入れないし、認めない。
そもそも交渉自体が無意味であった。
コォォォ・・・
周辺の瘴気が急激に甲冑へと吸い込まれてゆく。
「交渉決裂! きます!」
カジミールが魔法の詠唱を開始する。
冒険者達が弾かれたように動きだす。
退路を確保すべく、謁見の間の扉に飛び付くが、その先の控えの間、その異変に固まった。
床を埋め尽くす、朽木の様な四肢の躯が立ち上がろうとしている。
「退路が断たれる! 急ぎ避難を!!」
ブロッソが大斧で一番近くに居た貴族を殴り飛ばす。
遺骸はクシュと軽い音を立てバラバラに崩れ、衣服毎壁に吹き飛びずり落ちた。
セルジオの周囲では、直立不動の甲冑より白い靄が吹き出し、その姿を正確に移し取り形をなす。
その霞の兵士の歩みは、脚を向けた方角とは違い床を滑るようなに不自然な軌道をもって害意を纏う。
シュ! シュシュ!
サク ササク!!
矢継ぎ早、クディの矢が甲冑東部の隙間に打ち込まれる。
乾いた音と共に、甲冑の中の頭部を矢が打ち砕く。
数人の幽鬼がよろめき屈みこむ。
しかし然程ダメージがないのか、即座に立ち上がり再びこちらへと霞の剣を翳し迫る。
「拙い!囲まれるぞ!!」
レシアが叫ぶ。
イルミナが先頭の幽鬼に矢を射かけるが、全ては突き抜け全く効いていない。
ブレナは謁見の間の扉まで引き、退路確保を兼ねてか、その場で祈祷を始める。
初手で、カジミールが動いた。
『地を這う焔、弔いの炎!』
疑似石鋤を頭上で大きく一回しし、振り向き様、退路となる控えの間に魔法を放った。
カジミールの石鋤から熱を帯びた陽炎が吹き出した。
それは、水が飛び散るように控えの間に散り、地面を薄く覆い出した。
よろよろと貴族の亡骸が立ち上がり、その陽炎を踏みしめる。
ゴォウウ!!
死者の衣服、足先が陽炎に触れた途端 彼等が青白い火柱と成った。
熱気で足元を掬われ転倒し、他の干乾びた遺骸を巻き込み火柱が大きく成る。
「退路を確保した! 一時撤た・・・」
声を掛けるカジミールを幽鬼の近衛兵が切りつけた。
幽鬼の霞の剣が、カジミールの障壁を紙の様に切り裂き、その頭上に振り下ろされようとしている。
カジミールの障壁魔法が効いていない、彼の目が驚愕に見開かれている。
それを視界にとらえたレシアが助けに入った。
『地霊・精霊の加護!』
レシアは障壁毎、幽鬼の兵士にショルダータックルを喰らわした。
ブハァ!!
幽鬼は飛び退くが、魔法の障壁の圧を受け霧散した。
しかし、霞は即元の形を取り戻し、次の一撃の構えを取る。
「大して効かん! 切りがないぞ!」
レシアが幽鬼を剣で切り付けるが、霧散するばかりで包囲が次第に狭まって行く。
「状況は最悪よぉ、セルジオちゃん退くわよ!」
クディが声を掛けるが、セルジオの側に迫る前に幽鬼が波状で仕掛けてくる。
『死せし者に寵愛と慈悲を!浄化の光』
控えの間の扉近くに居た聖職者のブレナの祈祷が終わり、聖言が放たれた。
ファァァァァ
ブレナを中心に、淡い光の粉が降り注ぐ。
幽鬼の動きが突如止まる。
控えの間の枯木の様な貴族の数体が砂となって崩れ落ちる。
『・・・・』
頭の中で声がする。
『偽りの神に縋る愚者よ、恥を知れ!』
光の粉はその言葉と共に消え去り、再び幽鬼が再び動き出す。
「な、何ですと!!」
ブレナが動揺し数歩後ずさる。 集中力が途切れた。
ブレナの目には側面から迫る幽鬼に気付いていない。
「危ない!!」
ブレナを刺し殺そうとする幽鬼の剣戟の前に、ラットが飛び込んだ。
ズスゥ・・・
ラットの脇腹を霞の剣が貫いた。
「ラット!!」
弓を捨てたイルミナが、ポーチからポーションを取り出しラットに駆け寄る。
ラットの目から生気が消えて行く。
イルミナはポーションをラットの口に押し込み、嚥下させるが回復の兆しはない。
「・・・イ、イルミナ 早く、逃げろ・・・・」
彼は力が抜けてゆく中、仲間の心配を口にし地に伏した。
イルミナの全身の毛が逆立ち、鳥肌を立てて目を剥く。
しかし、冒険者として負傷者の応急処置に慣れたイルミナは、横たわるラットの脈と呼気を確認した。
「・・・・息は、息はまだあるわ!!」
ブレナも駆け寄りラットを抱え起こす。
「不利です! 撤収を!!」
叫ぶブレナにブロッソが駆け寄り、ラットを肩に担ぐ。
「セルジオ様・・・・!?」
幽鬼のほとんどはセルジオに群がる。
石鋤を不器用に振り回し一切を寄せ付けていないが、幽鬼はセルジオの隙を常に狙っている。
ブロッソ達は、多数の幽鬼に囲まれ身動きが取れないセルジオを見て、口の中に苦い物が広がるのを感じた。
「レシア! 退路を!!」
クディが、弓で幽鬼を霧散させながらレシアに指示を飛ばす。
「分っている! セルジオ殿を!!」
セルジオに群がる幽鬼数体は彼を取り囲むが、二の足を踏む。
彼が振り回す石鋤に触れた幽鬼は、靄であるにも関わらず打ち据えられ、床に伏す奇妙な状態がそこにあった。
念動の魔法で幽鬼を吹き飛ばしていたカジミールは、ジリ貧の状況をみて叫ぶ。
「退路を作る! クディ殿しばしの間を!!」
最もセルジオの近くにいるカジミールが、再び詠唱を始めた。
「あい分った! レシア!!」
「応!」
カジミールの周辺を、クディとレシアが守る。
幽鬼が次々と襲い掛かり、霧散しては即座に迫る波状攻撃の間隔が次第に狭くなってゆく。
素早く詠唱を終えたカジミールが魔法を放った。
『衝撃の風』
謁見の間に風が生まれる。
出口となる方角に向け、ドン!と押すような面を持つ風の壁が、幽鬼をなぎ倒し退路を確保した・・・・
が、その時、セルジオの元に玉座の傍らに居た幽鬼が、セルジオに挑みかかった。
・・・・
ヒュゥン
霞の剣が空を切る。
実体が無いにも関わらず、空を切る音を纏い、セルジオに襲い掛かった。
「わ、わ、わぁぁ」
セルジオは敵の剣に石鋤を合わせる。
剣は石鋤に当たると霧散するが、瞬時に元に戻り、再びセルジオに襲い掛かる。
レシアがセルジオの襟首を掴もうと駆け寄る。
しかし、彼女の背後にも幽鬼が迫り、剣の突きを放った。
「ケレブレシア!」
クディの制止は間に合わない。
ジュシュ!
霞の剣が、体を貫く。
レシアが異音に振り向く。
そこには、レシアを庇って右胸から霞の剣を生やし、口から血の泡が吹き出したクディが居た。
振り向いたレシアの顔からも血の気が引く。
「ヒューラ・・・・嘘であろう・・・・冗談はよせ・・・・」
カジミールは、呆然となるレシアをクディーの方へ突き飛ばし、二人に迫る幽鬼を吹き飛ばす。
それに気が付いたセルジオが叫ぶ!
「クディさんを! 撤収! 撤収です!
俺が殿を務めます。 クディさんを、早く!!!!」
駆けつけたブレナがレシアを促し、クディの脇を抱え走り出す。
そこに再び異変が起きた。
・・・・
ズゥウウウウゥゥゥゥゥ
空間が歪む。
腹の底から揺さぶられるように振動が謁見の間を包み込んだ。
霞の幽鬼達も、その振動に翻弄され身動きが取れない。
床から、濃い瘴気の滴、水滴のような物が湧き上がり空中へと滴る。
ゾロロロロロロ・・・・
墨汁のような滴は、次第に数を増し筋となって空中で球を作り始めた。
大きさは次第に人程の繭状になり、辺りの瘴気を巻き込み肥大化してゆく。
ドン!
ビキ! ビキキ! バキィ!
繭の中で何かが胎動する。
衝撃で繭の表面に深い闇の亀裂が走る。
バシ ガリリ!!
ブハァー!!
亀裂が砕け泥の様なへばり付く瘴気が吹き出した。
謁見の間の壁面や天井が、瘴気に侵され黒色へと変色していく。
セルジオが叫ぶ。
「行け!! 早く!!」
「セルジオ様には私が付く!! 気にせず行け!!」
カジミールも撤退を促す。
「ご、ご武運を!!」
足手まといと判断したブロッソが、セルジオに目配せをする。
ブロッソには部屋を埋め尽くす程の、波と成った瘴気を、セルジオとカジミールが石鋤の楔を打ち込む様に切り分けこちらへの浸食を遮る姿が見えた。
「・・・・あ、あんな濃い瘴気っていったい・・・・」
ブレナが零す。
「は、早く!!」
イルミナが急かす。
冒険者とクディ達が控えの間に入ると同時に、謁見の間の扉が激しい音を発て閉じられた。
・・・・
ドドドロロロロロロロ
瘴気の本流が亀裂から噴き出す。
人の世では見る事すら叶わない、濃密な瘴気。
謁見の間は渦巻く瘴気に覆われた。
その中、唯一清浄な場所はセルジオの背後、石鋤を構える彼とカジミールの後ろだけであった。
瘴気は何故か彼等を避け、後ろの壁面に打ち当り、黒い壁の中へと消えて行く。
その濁流に幽鬼達も抗えず、辛うじてその依代となる甲冑に逃げ込み、吹き飛ばされた壁際で瘴気の噴出に耐えていた。
繭の表面に変化が起きた。
ゴリゴリリリ・・・・
瘴気が固形化したのだろうか、石を擦る様な音と共に、亀裂から骨の指が現れる。
亀裂はさらに砕け瘴気の噴出が激しくなる。
骨の指が幾つも突き出し、亀裂を掻き分けるように左右へと動き出す。
バリバリリリ・・・・
ゴバァァァァアアアア!!!!
固形に近い圧力を持った瘴気がセルジオ達を包む。
それは、月の無い闇夜のような謁見の間に、ダンジョンの管理者が顕現した瞬間だった。
・・・・
幽鬼と比べ物にならない威厳ある声が頭に響く。
『直接 見えるのは初めてであるな、セルジオ』
セルジオは濁流に呑まれまいと全身全霊の力を込め石鋤を支えている。
とても問いに答えられる状況ではない。
『人の身には酷であるか・・・・』
瘴気の濁流の中、姿の見えない存在が何かの力を行使した。
瘴気が急激に薄れていく。
今までの状況が嘘の様に静まり返った謁見の間。
そこにはボロボロの黒衣を纏った王冠を掲げた髑髏の姿があった。
彼の掌の上には、宙に浮きクルクルと回る漆黒のタリスマンが生成されてゆく。
それは吹き出す瘴気だけでなく繭自体をも吸い込み形を顕在化させた。
床から滲みだす最後の瘴気を吸い込んだタリスマンは、次第に重さを持ち始めたのか、ゆっくりと床へと落ちて行き、そのまま床の中へと沈み消えて行った。
石鋤を強く握り締め過ぎたセルジオの指は、石鋤から剥がれず節々には血の気が無い。
彼の後ろにいるカジミールも似たような状況である。
二人は、強大な魔力の塊が姿を持った存在に蒼白の顔を向けていた。
『お前がカジミールか・・・・良きかな。 その杖、秀逸である』
頭の中を埋め尽くすような声が響く。
思考がまま成らない。
そのような邂逅の場を邪魔する者が動き出す。
瘴気の濁流から解放された幽鬼の兵士が、骨の王に挑みかかった。
『小賢しい・・・・』
軽く蠅を掃う動作で幽鬼を吹き飛ばす。
しかし、靄である幽鬼は形を失うだけで、すぐさま再び挑みかかる。
だが、霞の剣では骨の王の前にまったく無力であった。
骨の王が、両腕を広げ、掌を地面へ向ける。
掌から大量の瘴気がドッと吹き出した。
滝のように床に吹き付ける瘴気の中から骨の指が何かを掴み出す。
瘴気が途絶え、その手に黒い塊が杖の様に握られている。
それは、見覚えのある黒髑髏の兵士だった。
黒骸骨兵が、棒状に折りたたまれた状態で一体ずつ握られている。
骨の王は、徐に彼等を解き放った。
『塵芥を片づけよ』
ダンジョンの管理者の命に命を吹き込まれた黒骸骨が、カシャリと音を立て動き出した。
ちょっと長くなったので読み難かったらすみません。




