出立前夜
レオーネ・ヴィンツェンツィオは、無口無表情無感情を形に表したような男と称される人物だ。若い頃妻を亡くし、心を閉ざしている。
灰褐色の髪を無造作にかきあげ、荒野のような庭を眺めながら強い酒を飲んでいた。喉が焼けるようだ。
右手に酒瓶を持ち直接口をつける。左手のすぐそばには短剣。飾り気のないそれは実用的で使い勝手が良い。ただ軽すぎて物足りない時がある。
ラピスラズリの瞳を少しかけた月にやると、少し離れたところから足音が聞こえてきた。
白いワンピースにショールを羽織っただけの黒髪の女が、しずしずと歩いてきた。声もかけずにレオーネの隣に座ると、同じように月を見上げた。
会話はない。
しばらくそうしていて、月が少しだけ位置を変えた頃。
「オースティン・ザイルがあなたを心配していたの。彼、泥だらけになってわたくしのもとへやって来たわ」
静かな声が落ちた。
レオーネがつと視線をやると、彼女は変わらず月を見上げている。
「彼は実力主義者だわ。ちょっと残念なところがあるけれど、根は良い人よ。西で病が流行ったとき、病に苦しんでいた子たちをみて王都に何度も掛け合った。国も、神殿も一度は見放した命を守るために、錬金術師長に直接助けを求めたの。貴族の彼にしか出来ないことをしたわ」
それでもオースティンは王都へ行ったとき、百合たちが居ない瞬間を狙って、他の貴族から散々嫌味を言われたようだった。
もともと騎士が錬金術を頼ることを是としない風習がある上に、国が動かないから直接錬金術師長に掛け合うと言うのは明らかなルール違反だ。法に触れないからと言って、がむしゃらにやって許される立場でもない。
オースティンが王都で酒を飲み過ぎたのは、行き場のない怒りを鎮めるためだったと、後になって百合たちは知った。
「・・・そうか」
「それに、彼の育てた部下もとても優しい人ばかりよ。騎士のくせに患者のために炊き出しを手伝ってくれたり、亡くなったおばあさんのために手をつくしてくれた」
たくさんの騎士や街の人が、おばあさんの死を悼んでくれた。
百合は、まだ彼女の死をうまく受け止められないでいる。けれどそれを表に出してはいけないのだと自分を律した。
未だにあの街では咳をする人に対して過剰な反応を見せることがある。彼らの中で、あの病はまだまだ恐怖の対象なのだ。だからこそ百合は、人々の前で笑みを浮かべなければならない。
しかしオースティンは数少ない素の部分を見せられる相手であった。からかって遊ぶのも楽しい。
はじめはなんてつまらない男とだと思っていたが、存外気に入っている己がいた。
「今度会う機会があったら、一緒にお酒を飲んであげて」
レオーネはしばらく口をつぐんでいたが、そっと言葉を発した。
「おせっかいな女だ」
「っ・・・はいはい、そうね。お邪魔したわ、おやすみなさい」
ムッとして百合は立ち上がる。その白い手をレオーネは遠慮なく握った。
「オースティン・ザイルに、次に会える日を楽しみにしている。此度の件、本当に感謝している。無事の旅路を祈る」
静かな声だったが、ラピスラズリの瞳には確かに熱があった。彼なりに思うことがあったようだと気付き、百合はもう一度腰を下ろした。
「・・・あなたに、幸多からんことを」
そしてそっと彼の額に口づけて祈りを捧げると、また立ち上がり彼の傍を離れた。
一度も振り返ることのない背中を見送り、レオーネは口元に笑みを浮かべたのだった。




